2012年02月29日

1200年前の宗教界のアベル・カイン、空海と最澄


文先生の自叙伝をスマートフォンで読んでいます。
http://www.ucjp.org/?p=11382
『日本語版によせて』
の最初の部分に目を惹かれました。
少し抜粋します。

文先生が大勢の人の前で講演されているところを見た。
その時、『あの人は弘法大師そっくりだ』と感じ、
今でも私はそう思っている。
率直に言って弘法大師は美男子ではない。
『高僧』とか『名僧』とかいう感じではない。
強いて言えば『怪僧』に近いのではないか。
あの面魂(つらだましい)の持ち主は
決してただの人ではない。
ひとくせもふたくせもある男である。
それが私の弘法大師に対する感想であるが、
その感想はそっくり、
そのまま文先生にも適用される。
弘法大師と文先生が一番似ているのは、
横顔の一見穏やかな顔の上部に見える
目の光である。
私は最初に先生を見た時からそう思った。
あの目の光は決して凡人のものではない
(『文鮮明 人と思想』 松下正寿著、善本社)

国際政治学者の松下先生が見る文鮮明像です。
鋭い視点で書かれていると思います。

文先生の目は弘法大師そっくりだと表現しています。

弘法大師・空海は言わずと知れた
真言宗の開祖であり、
中国で真言密教を学びました。
真言・即ち真理であるキリスト教を学んだとも言われています。

そして空海と同時代に生きた人物として更に有名なのが、
伝教大師・最澄です。
天台宗の開祖であり、
『明らけく 後の仏の御代までは 光伝えよ 法の灯』
という唄を残しています。
後の仏・・・すなわち弥勒仏、再臨主がくるまでは、
灯をともし続けるということで、
1200年間、開宗以来、法灯が消えることがないといいます。

彼らはよくアベル・カインと称されました。
二人の出会いもあったらしいですが、
喧嘩別れでおわってしまったそうです。

アベル・カインも一つになるのが難しいのです。

本人たちの問題もありますが、
過去の歴史を背負っているがゆえに
越えるのが難しいともいえるのだと思います。

真のご家庭においても同じことがいえるのだと思います。


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posted by ten1ko2 at 09:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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