今日は死について書いてみたいと思います。
人間の生死は一瞬にして決まります。
私も奇跡的に生きていますが、
脳の血管が切れた場所がほんの少しずれていたら、
この世には、いなかったのです。
本当に死んでいたかも知れませんでした。
血管が切れたとき、
「頭が痛い」ということはありませんでした。
その後も、体調が悪くはなることはありますが、
頭の中が痛くなることはありません。
ですから、真ん中の血管が切れて、死んだとしても、
その瞬間、「痛い」ということもなかったと思います。
死は突然にやってくる、と思いました。
死のことを書こうとしましたら、
父のことが頭をよぎりました。
私は霊的に鈍い方なのですが、
それでも思い出されるので、
以前にも少し書いたことがありますが、
もう一度、振り返ってみたいと思います。
父は交通事故で亡くなりました。
おそらく即死だったと思います。
「だったと思う」と書いたのは、
父の死を後から知ったからです。
2度目の拉致監禁の時、
私が教会を辞めると宣言して、
両親も家族もともに喜びました。
そして、生活をともにした弟が、
思ってもみないことを言いました。
「兄貴、本当に統一教会を辞めるんだな。
うそをついて、また教会に戻るんなら、
何かあっても呼ばないからな」
私は「大丈夫だよ」
というしかありませんでした。
その時の止むを得ず弟と交わした約束を
私は守ることはなく、教会に再び戻りました。
しかし、「何かあっても」が
現実に起こってしまいました。
私が拉致を受けて偽装脱会してから、
約2ヵ月後のことでした。
弟は公約通り、父の死を連絡しませんでした。
母は私に連絡したかったのだと思いますが、
弟が強く制したのか、私が全く知らない中で、
父の葬儀が行なわれました。
父の死から1週間して、
母から手紙が来ました。
「父が亡くなった」と書いてありました。
その手紙を読んだ瞬間、
とても不思議なことが起こりました。
すなわち、私ではない何者かが、
私の体を使って泣いているのです。
何故、自分ではないと書いたかというと、
父の死を悲しんで泣いているとか、
私の感情とは別のものだったからです。
私の思いで泣いているわけではなかったのです。
これは亡くなった父が、
私の体に入ったのだと思いました。
そして、このように訴えています。
「申し訳ない、申し訳ない」
父は拉致監禁をしたことに対して詫びていました。
私は心の中で言いました。
「お父さん、謝らなくていいよ。
もう済んだことだから。
それより、申し訳ないと思うなら、
これから拉致監禁の解決のため協力してね」
そのように言ったら、
うそのように涙が消え、
何かが去っていったようでした。
さきほども書いたように
私は霊的に敏感な方ではないのですが、
この時ばかりは違いました。
父の霊人体を実感しました。
よく、大母様のことを否定する人がいますが、
本当に訓母様とともにいらっしゃるのだと思います。
父は霊界にいます。
私の拉致監禁の解決に対して、
訴えかけていると思います。
なので、私もどんなことがあっても、
この問題を解決しなければならない、
そう思っています。
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