2012年05月27日

見なくても見える力をもつ文先生〜先輩家庭の証し2〜


先日、12双の先輩家庭の証しをしましたが、
その時に聞いた
一つのエピソードを通して感じたことがありましたので、
今回はそれを紹介したいと思います。

文先生がいかに霊的に敏感なのか、
そのことを証明する部分です。



1950年、韓国動乱が勃発した時のこと。
お父様は、北から南に向けて、
弟子の先生たちと移動していました。
ある日のこと。
金元弼先生が夜あまりにも寒いので、
焚き木をしようと思いました。
しかし、探しても探しても燃やす木がありません。
ようやく木が見つかりました。
その木を燃やそうとした瞬間、
お父様は次のように話されました。
「木であれば、何でも
良いってものじゃないんだよ」
元弼先生は、びっくりしました。
お父様は、その木のことを知っておられました。
先生の拾ってこられたその木というのは、
死人を運ぶときに使う木だったのです。
しかもお父様は、その木を見ないで、
後ろ向きに話しかけられたのです。
(文責 ten1ko2)

  

        
古い方なら、聞き覚えのある証しかと思います。
文先生は、その木がどんな木なのかわかったこと、
本当に霊的に敏感である証明だと思います。
しかし問題は、その木を見ないにも関わらず、
それがどんな木なのかがわかったことです。
何だか、マジシャンのように当ててしまっています(笑)。
私の勝手な解釈ですが、
これは善霊(当時は絶対善霊はいませんでした)か天使か、
何か霊的な存在が教えてくれているのではないか、
(悪霊を感じるのかもしれませんが…)
そのように感じました。

12双のお姉さんは、祝福のマッチングの時、
「あなたは陽だね」と言われたそうです。
ご自身は、陽的というより、悩みやすく
この道に来るときも深刻に悩んできたので、
「陽的というより、陰的ではないか」
そう思ったといいます。
しかし、若いときから、信仰の道を歩まれ、
今日に至るまでの期間、
どんな試練にも耐え、全てを前向きに捉えていける世界、
自分は何よりも陽的だ、そう思ったとき、
文先生の「陽だね」というのは、本当だ。。。
そのように思われたといいます。

自分以上に自分のことを知っておられる文先生の姿。
親ということの何ものでもないのではないか、
そのように思います。

また、文先生は何でもかんでも全てをご存知ではなく、
肝心なことを知っておられるのではないかと思います。

いいことも悪いことも全て知っておられる文先生。
こんなちっぽけなブログのことは知る由もないと思いますが、
それでも本心に負債なく、
文先生が喜ばれる記事を目指して、
頑張って書いていきたいと思います。

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posted by ten1ko2 at 07:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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