2012年06月26日

文先生がご自身を「龍明」と呼ばれる理由(わけ)


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☆清心平和ワールドセンター奉献式での文先生ご夫妻☆


最近、文先生はご自分のことを
龍明(ヨンミョン)とよく呼ばれます。
そのことに気づいた方もおられると思います。

Today’s World Japanの6月号を見ると、
文先生のみ言があります。
「清心平和ワールドセンター奉献式の御言」
(2012年天暦3月1日 陽暦3月22日
その一部を抜粋してみます。



しかし、ここに立っている人の名前が何かと言えば、
龍明です。文龍明です。


(中略)

(宗教界、政治界、産業界の人々は)神様を知らないのです。
神様を知らないので、真の人間を知らないのです。
神様の真の愛の万王の王となる、
真の父母がいないのです。
それを開発した人が誰かというと、
文龍明という人です。
文龍明なのです。
文龍明は、
アダムとエバの堕落とは何の関係もありません。




先日、古参食口の大先輩が、
100回訓読の証しとともに、
み言の解説もしてくださり、
この先生の呼び名についても
解説してくださいました。


龍明というのは、
お父様が生まれたときに
名づけられた名前です。
それを今このときに何度も話されるというのは、
どういう意味があるというのでしょうか。
これはお父様が昔話、子供の頃の話をするから、
文龍明と言っているのではないというのです。
一番大きな要因は、お父様がサタン屈服をされた大会
天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会、この勝利です。
摂理の完成・完結・完了宣布をされて、
サタンを完全に追い出されたお父様、
この勝利によって、お父様の位置が、
取って食べてはならないというみ言以前まで戻っているそうです。
基元節ということをご存知だと思いますが、
この基元節は、堕落をしていない前に帰るというのではなく、
取って食べてはいけないというみ言以前に帰ると言うのです。
どう違うかなと思うかたもいると思いますが、
取って食べてはいけないというみ言が発せられる前までは、
無形の神様、夜の神様、創造理想を持った神様なのです。
堕落する前に心配している神様ではなく、
何の心配もなかった神様、そこまで帰ってきたというのです。
その観点に立っておられるから龍明といいます。
16歳の時に鮮明になられましたから、
それは復帰するために与えられた名前であるというのです。



基元節というのは、
「善悪の実を取って食べるな」という
み言以前に帰るときをいうのであり、
すでに文先生は、そこに到達しておられるから、
文鮮明ではなく、文龍明なのだ、
そう解釈したほうがいいのだと思います。

昼の神様を知っている私たちからすると、
ピンと来ない内容かも知れませんが、
本当に特別な重要なときを目前にしているのだと
改めて知らなければならないと感じました。

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posted by ten1ko2 at 09:20 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
文鮮明
文龍明

文は、御言です。
鮮は、イエス様です。
明は、明らかにする証しです。
※羊と魚は、イエス様の象徴です。

ですので、文鮮明先生は、イエス様をあかすための存在です。イエス様とは、象徴的に、聖書を指します。聖書を解き明かすことによって、イエス様の本当の姿を明かされました。


では、文龍明先生は、どうでしょうか?何を明かさす存在なのでしょうか?龍です。

では、龍とは何でしょうか。


そこを悟らなければならないと、お父様はいうんだね。それは、一人ひとりが悟らなければならないんだね。わかりましたか。

先生は、生まれたときから龍を明かさなくては、いけなかったんだね。

鮮明という名前は、龍明のための基台なんだね。


先生は、もう行かなくてはいけない。さよならしなくてはいけないんだよ。分かりますか。


--
文先生と、夢で逢いました。彼の意志を引き継がなくてはいけません。神に立ち返らなくてはいけません。地位や財、情に惑わされてはいけません。慣習や周りに流されてはいけません。神様だけ真実だけをみて、進まなければ、サタンが待っています。
Posted by 辰巳眞玄 at 2016年09月22日 22:43
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