2012年09月24日

「信じ侍った指導者が揺れる時も、悲しまないでください」文先生の預言


文先生の聖和によって、
霊界の整理が成されると思いますが、
地上においても
様々な問題が起こっています。

いずれ詳しく書くときがくるかも知れませんが、
今は、み言をもって
心情を整理していきたいと思います。

以前、紹介したこともあると思いますが、
文鮮明先生み言選集第11巻に
「侍りたいお父様」という題目のみ言があります。
1961年2月12日に語られていますが、
すでに未来を予言されているかのような内容です。

少し長いのですが、
『患難の時を用意された意味』
という小題がつけられているところを
そのまま掲載したいと思います。



『患難の時を用意された意味』

神様は終わりの日になれば、
人類の前に七年の大患難があるだろうと予告されました。
この患難時期は六千年の歴史路程において、
天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。
人間の絆がみな壊れていき、
信じられない環境にぶつかる時です。
自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、
その良心で自らの生涯を主張できない時です。
み旨を抱き、考えのある者であればあるほど、
眺めるあちこちに苦痛を感じる時です。
そのような時が、終わりの日の七年大患難の時です。

その時は、希望が揺れる時であり、
私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、
信じて従った指導者が揺れる時です。
主義はもちろん、宗教、良心、
父母の心情までもすべて揺れる時です。

では、神様はなぜそのような世の中を
つくっておかなければならないのでしょうか。
それは真の神様、歴史的に苦労した神様と
同参したという価値を与えるためです。

神様は六千年間数多くの惨状を見てきましたし、
数多くの曲折を受けられたので、
終わりの日においては良心とか、主義とか、
信仰ということをもって中心を立てることのできない
環境にぶつかるようにするのです。

そのような患難の中でも「神様を愛する」と言う、
そのような難しい場でも「神様と共に生きる」
と言い得る真の息子、娘を探すために、
そのような時が来るというのです。

それゆえ皆さんは、
教会が揺れるのを見て悲しむことなく、
ある主義が動揺するのを見て悲しむことなく、
ある主権者が倒れるのを見て悲しむことなく、
自らの父母が変わったと悲しむことなく、
自らの兄弟が変わり果てたと悲しまないでください。

頼り、信じていた世の中のすべてが動揺しても、
皆さんの心は平然としていなければなりません。
神様は動揺せず、この時間も私を訪ねてこられる
ということを知らなければなりません。

神様が私たちに苦痛を与えるのは、
神様との貴い一日、神様が経てきた苦痛の因縁を
私たちに結んでくださるための、
大きな約束であることを知らなければなりません。

そのような場で天を抱き締め、
「一緒に行きましょう。
共に闘いましょう。
共に行動しましょう」
と叫んで立つ人を探すために、
そのような世の中が必要だというのです。

ですから皆さん、進む道がふさがった
と落胆しないでください。
この国が乱れると気落ちしないでください。
神様は死んではいません。
この世界がどんなに乱れても、
気落ちしないでください。

神様は死んではいません。
神様は必ず訪ねてこられます。

すべてが動揺しても、
天に対する一片丹心だけは
動揺させないでください。
天を頼って仰ぐ希望の心だけは
変わらないでください。

その心を変えようとするために、
神様が皆さんをいかなる苦痛の場に
追い込んだとしても、
その場で父を呼ぶことができる心を
もたなければなりません。

いかなる場に落ちても、
その場で天の心情のひもをつかんで
上がろうと努力しなければなりません。

地獄に落ちる苦痛を感じる恨があったとしても、
父と共に参与する立場に立って
父の苦痛を私が思いやって、
その父は私の苦痛を察してくれることを信じて、
そのような場でも行くという
責任と義務を感じていくならば、
皆さんは滅びないでしょう。

今日、数多くのキリスト教徒がいますが、
そういう信者が果たして何名になるでしょうか。

私たちは父に侍るのに、
天上の宝座に座っていらっしゃる父に侍るのではなく、
死亡の波打つ中で真の息子、娘を探すために
御苦労される父に侍らなければなりません。

その父を私の父と知り、
その父の事情を私の事情として、
その父の心情を私の心情として、
その父の願いを私の願いとして訪ねてこられる
父の前に雄々しく立って、
「あなたの息子を探すことが
あなたの願いであることを知って、
その息子を探し、あなたの歴史的な曲折を解くことが、
あなたの事情であることを知って、
失った息子を抱き締めて愛したいのが
あなたの心情であることを知りました。
どのような塗炭の苦しみと
患難と難しさの中にあったとしても、
私があなたの願いの実体であり、
事情の実体であり、心情の実体です」
と自信をもって立たなければなりません。

このような者であってこそ父の息子であり、
またその父に侍ることができる者になる
ということを皆さんは知らなければなりません。


1961年2月12日「侍りたいお父様」より



今まで、私たちは
天邪鬼のアマガエルでした。

今こそ、山の上に墓を作る、
親孝行者となるべく、
動揺しない私たちになることが
必要なのではないでしょうか。

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posted by ten1ko2 at 08:38 | Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ありがとうございます!
この御言によって、心情が整理されていくのを感じています。
二世達も様々な思いをして、揺れている子たちがいる中、自分が強くたって、守っていきたいと思います。
神様、御父母様がとおざかるのではなく、より深く神様、御父母様と心情因縁が結ばれる時なんですね。
また、御父様が、これから信じられなくなるような事が起こるというような事を、よく言われていたように思い、その試練であるとも感じます。
ありがとうございます!
Posted by 感謝! at 2012年09月25日 12:54
いつでも読めるように書きうつさせてもらいました。(どこかのみ言葉の本にも載ってたんですが探すより今すぐ書きうつしたかったので。。。)
ありがとうございました。
Posted by ZEN at 2012年09月25日 20:23
今日はタンカーのように大きな帆船に乗って先生と世界巡行をしている夢を見ました。「もうすぐ行くよ。あとのことは頼んだよ」と、これまでも何回か念を押されました。聖和後ますます寂しさが募りますが、真聖徳皇帝陛下がすぐ近くにおられるのを感じます。
Posted by hide at 2012年09月27日 13:09
このような御言葉を語れる方が他にいらっしゃるでしょうか。この御言葉を読むだけで救われた気がします。私が孤独と悲しみの絶頂で出会った神も、初愛を失われた孤独な悲しい神でした。自分の人生に誇れるものは何もないけれど、神様の悲しみを知り、神様の悲しみの涙を拭って差し上げたいという思いで生きてきたことだけは、確かです。
Posted by hide at 2012年10月03日 21:30
hideさん、いつも貴重な証しありがとうございます。

また、返事が遅くなりましたが、ZENさんと感謝!さんもコメントありがとうございました。
Posted by ten1ko2 at 2012年10月04日 17:52
拙き者の極めて個人的な思いですが、どうしても書きたくなりましたので、書かせていただきます。再臨主が昇天され、時代は本当に変わってしまったのだという思いがします。

30年以上前、私は最高峰の大学とされるT大の学生でした。そこで出会ったのが、特別機動隊として伝道されていた霊の親でした。私の兄弟はみんな学校でも1、2番の成績でしたが、家が貧しく大学に行かせてもらえませんでした。そんな中、末っ子だけはと大学に行かせてもらえたのです。親兄弟の期待は大きかったと思います。しかし、私は自分が何になりたいという思いよりも(夢がなかったわけではありません。数学者か物理学者になりたかった)、これから神様と約束した私の本来の使命を果たさなければとの悲壮な決意で入学したことを覚えています。そのころ私は、7年間に及ぶ初愛の苦闘にボロボロの状態でした。12歳になるまで親に愛されないことに苦しみ、誰もが寝静まっている時に家に火を放って自分も死のうと決意していたほどでしたが(その時初めてご父母様が私の前に出現され、「お前には本当の親がいるんだよ。忍耐するんだよ」と言われました)、初めて愛する喜びを知ったのです。それは愛される喜びより、何倍も大きいものでした。しかし神様の許可なくできないことも知っていたので、神様にこの愛する衝動を衝動のままの任せてよいのか神様に聞いたのですが、神様は何も答えてくださいませんでした。あれほど私を愛してくださり親しく会話してくださったのに、完全に沈黙されたのです。イエス様に聞いても、イエス様も沈黙されたままでした。愛したい衝動に燃え尽くされながらも、神様もどうすることもできない問題であることを悟りました。入学後何年も学校にも行かず留年を繰り返していた私ですが、統一教会に関わろうとしているとして父親と長男に家に連れ戻されてしまいました。そうしたとき、トラックをヒッチハイクをしてまで東京から九州まで私を連れ戻しに来てくださったのが、霊の親でした。機動隊の隊長さんが、あんな名前と反対の日の沈むような男は
ほうっておけとの指示に反してまで、はるばる1000キロ以上の道を来られたのです。私にとって足を向けては寝られない方です。
変わり映えのしない私を見て悲しい顔をされたのが辛くて、20年近く音信不通だったのですが、お父様の聖和後、霊の親の最近のことを知りました。ス○ーセッ○スの提唱者として教祖的な存在になっておられました。私を伝道してくださったころを思うと意外な気がしましたが、驚きはしませんでした。愛と性は尊いものだからです。教会からは離れられてるようですが、伝道してくださったころが懐かしいです。万が一、神様の目から間違ったことをしたとして裁かれるようなことがあれば、私がその方を神様の前で弁護したいと思います。
取り留めのない事を書いてしまいました。その方に伝道されて初めて出た修練会の地名が、その方と私の頭文字を取ったものであることに気づいて、二人共重要人物なのだと話し合ったあの頃が懐かしいです。
Posted by hide at 2012年10月24日 01:07
hideさん、導かれた証しありがとうございました。
どんな人にも教会に来る時には神様が働いたとしかいいようがない証しがあるものですが、hideさんもまさにそんな感じだったんですね。
Posted by ten1ko2 at 2012年10月24日 12:58
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