劉会長は原理本体論教育のとき
必ず聖歌の16番(復帰の心情)
を何度も歌われます。
この修練会に参加した知人から、
なぜ、ここまで歌われるのか、
理由があると聞きました。
劉会長の証しを
書き留めたものを紹介します。
★
私は島で生まれました。
島で生まれたので
風が激しく吹いた日には、
船が出ませんでした。
中学校まではその島で勉強して、
高校のときから、陸地に出てきました。
陸地に出たかったのですが、
いざ出てきたならば、
16歳までは島から出たことがないので、
本当に親・兄弟・友達に
会いたくて会いたくて大変でした。
木浦に行って奨学金をもらいながら
高校に通ったのですが、
学校に行くと気が狂いそうになりました。
親に会いたいし兄弟に会いたくて、
故郷の友達が恋しくて、
本当に昔遊んだことが思い出されて
おかしくなりそうでした。
だから学校から帰ってくると
すぐ港に行きました。
そして日が沈むまで
誰かくるのではないかと思って
真っ暗になるまで
港を行ったり来たりしながらいました。
毎日毎日風が吹いても
雨が降っても必ず、6ヶ月の間港に行ったのです。
だから気が狂ってしまっていたのです。
そのときに
「あー。こうやって人は狂うんだな」
そう感じました。
本当にそのくらい
親・兄弟・友達に会いたかったのです。
だんだん会いたいという
慕わしい思いが首のところまでいっぱいになり、
だからもう声が出せなくなりました。
こうやって人は死ぬんだなと思いました。
だから死ぬときは瞬間で死ぬのです。
こうした期間は6ヶ月続きました。
後に故郷に帰って、親に会って、兄弟に会って、
昔一緒に遊んだ友達と会ったときに
そういった狂った心は無くなりました。
そして統一教会に入会しました。
船から下りたときに
私の友達に伝道されたのです。
私はそのとき学校の
生徒会長をしていましたから、
私を伝道したら学校の学生を
全員伝道できると思って、
私を待ち伏せていたのです。
それで統一教会に入教して
最初に歌った歌が復帰の心情でした。
その歌詞はよくわかりませんでしたが、
曲は知っていました。
「母の恩恵」という曲でした。
それで私は曲をわかっていましたから、
必死について歌いました。
すると涙が出てきて出てきて
仕方がありませんでした。
私が経験した内容と
その歌詞がとても似ていたからです。
神様が子供に会いたくて
どれほど子供を恋しく思ったのか、
と私は感じました。
初めて聴いた曲でありましたけれども、
本当に涙が出て、
字が見えなくなりました。
そのように泣きながら
聖歌を歌ったのです。
その後、故郷に行って
伝道を始めました。
熱心なキリスト教信徒である
お母さんを持つ友達を伝道しに
その家に行きました。
でもその友達はいませんでした。
そのときお母さんが
庭にござを敷いて
豆を乾かしていました。
私は友達が帰ってくるのを待っている間、
歌を歌いました。
復帰の心情です。
そして、「神は創造わざ果たそうと…」、
と歌を歌い始めました。
その歌をお母さんが手を休めて
ジーっと聞いていました。
そしてその歌が終わったら、
「その歌をどこで学んだのか?」
と言われるので、
「統一教会で学んだ」と答えました。
するとお母さんはこのように言いました。
「うちの子供をみんな統一教会に連れて行け」
私は復帰の心情一曲を歌って、
家庭を全部復帰したのです。
なぜ復帰できたのかと言えば、
ただ歌ったのではなく、
心情から歌ったからなのです。
その心に感動したのだと思います。
私は何でもないような人です。
私がこのように神様のみ言をお伝えしているのは
話にならないことです。
資格がない私です。
でも心情の内容を
誰よりも深く感じている人間ですから、
神様の心情を誰よりも深く
体恤出来たのだと思います。
み言の中で神様の心情を
早く体恤出来たのです。
島で生まれたので
風が激しく吹いた日には、
船が出ませんでした。
中学校まではその島で勉強して、
高校のときから、陸地に出てきました。
陸地に出たかったのですが、
いざ出てきたならば、
16歳までは島から出たことがないので、
本当に親・兄弟・友達に
会いたくて会いたくて大変でした。
木浦に行って奨学金をもらいながら
高校に通ったのですが、
学校に行くと気が狂いそうになりました。
親に会いたいし兄弟に会いたくて、
故郷の友達が恋しくて、
本当に昔遊んだことが思い出されて
おかしくなりそうでした。
だから学校から帰ってくると
すぐ港に行きました。
そして日が沈むまで
誰かくるのではないかと思って
真っ暗になるまで
港を行ったり来たりしながらいました。
毎日毎日風が吹いても
雨が降っても必ず、6ヶ月の間港に行ったのです。
だから気が狂ってしまっていたのです。
そのときに
「あー。こうやって人は狂うんだな」
そう感じました。
本当にそのくらい
親・兄弟・友達に会いたかったのです。
だんだん会いたいという
慕わしい思いが首のところまでいっぱいになり、
だからもう声が出せなくなりました。
こうやって人は死ぬんだなと思いました。
だから死ぬときは瞬間で死ぬのです。
こうした期間は6ヶ月続きました。
後に故郷に帰って、親に会って、兄弟に会って、
昔一緒に遊んだ友達と会ったときに
そういった狂った心は無くなりました。
そして統一教会に入会しました。
船から下りたときに
私の友達に伝道されたのです。
私はそのとき学校の
生徒会長をしていましたから、
私を伝道したら学校の学生を
全員伝道できると思って、
私を待ち伏せていたのです。
それで統一教会に入教して
最初に歌った歌が復帰の心情でした。
その歌詞はよくわかりませんでしたが、
曲は知っていました。
「母の恩恵」という曲でした。
それで私は曲をわかっていましたから、
必死について歌いました。
すると涙が出てきて出てきて
仕方がありませんでした。
私が経験した内容と
その歌詞がとても似ていたからです。
神様が子供に会いたくて
どれほど子供を恋しく思ったのか、
と私は感じました。
初めて聴いた曲でありましたけれども、
本当に涙が出て、
字が見えなくなりました。
そのように泣きながら
聖歌を歌ったのです。
その後、故郷に行って
伝道を始めました。
熱心なキリスト教信徒である
お母さんを持つ友達を伝道しに
その家に行きました。
でもその友達はいませんでした。
そのときお母さんが
庭にござを敷いて
豆を乾かしていました。
私は友達が帰ってくるのを待っている間、
歌を歌いました。
復帰の心情です。
そして、「神は創造わざ果たそうと…」、
と歌を歌い始めました。
その歌をお母さんが手を休めて
ジーっと聞いていました。
そしてその歌が終わったら、
「その歌をどこで学んだのか?」
と言われるので、
「統一教会で学んだ」と答えました。
するとお母さんはこのように言いました。
「うちの子供をみんな統一教会に連れて行け」
私は復帰の心情一曲を歌って、
家庭を全部復帰したのです。
なぜ復帰できたのかと言えば、
ただ歌ったのではなく、
心情から歌ったからなのです。
その心に感動したのだと思います。
私は何でもないような人です。
私がこのように神様のみ言をお伝えしているのは
話にならないことです。
資格がない私です。
でも心情の内容を
誰よりも深く感じている人間ですから、
神様の心情を誰よりも深く
体恤出来たのだと思います。
み言の中で神様の心情を
早く体恤出来たのです。
★
劉会長はとてもみ言を長く語られる
とても知的な方だと思っていました。
復帰の心情に対して、
このような証しがあるとは知りませんでした。
また、神様の心情を
誰よりも感じておられるがゆえに、
お父様が本体論教育の講師として、
劉会長を認定されたのかな、
そんなことを思いました。
また、聖歌の16番、
復帰の心情を歌うとき、
この証しを思い出しながら、
心情的に歌いたいと思います。
「復帰の心情」
神は創造わざ果たそうと
復帰でたずねし
一筋の 心の辛さをたれぞ知る
長い歴史は神の声
地上に人は多けれど
神の御意 たれぞ知る
栄光ほむべき 創造主は
人の堕落を悲しみて
我らの美と愛 求め出し
永遠の栄光 誉め奉れ
神の思い はかるべき
地に落つ涙は 海となす
神に秘めらる奥義は
天使のラッパで明かすれど
ノア時のごとく 皆笑い
暗い墓場で喜ぶや
天地に何が畏ろしも
裁きのその日を いかに耐えん
信ぜよ 早く信ずれば
父のみ旨に溢る愛
元の故郷に帰れば
これより幸が ほかにありや
千歳失のう 子女を得た
父の喜び 永遠にあり
神は創造わざ果たそうと
復帰でたずねし
一筋の 心の辛さをたれぞ知る
長い歴史は神の声
地上に人は多けれど
神の御意 たれぞ知る
栄光ほむべき 創造主は
人の堕落を悲しみて
我らの美と愛 求め出し
永遠の栄光 誉め奉れ
神の思い はかるべき
地に落つ涙は 海となす
神に秘めらる奥義は
天使のラッパで明かすれど
ノア時のごとく 皆笑い
暗い墓場で喜ぶや
天地に何が畏ろしも
裁きのその日を いかに耐えん
信ぜよ 早く信ずれば
父のみ旨に溢る愛
元の故郷に帰れば
これより幸が ほかにありや
千歳失のう 子女を得た
父の喜び 永遠にあり
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劉会長の証、ありがとうございました。
慕わしい父母、兄弟姉妹。これが統一教会の美しいところではないでしょうか。
神は創造わざ果たそうと
復帰でたずねし
一筋の 心の辛さをたれぞ知る
長い歴史は神の声
地上に人は多けれど
神の御意 たれぞ知る
私は思います。
統一教会のすごいところは、明確な「歴史観」を持っているところです。それは、神さまのご意志のある歴史観です。
6000年の堕落した人類全体をお救いになられる神さまの復帰摂理完成と、人類一家族世界実現に向けたこれからの1000年をかけて流れていく神の国建設へ向けた人類の歩みというものが、真実の摂理史ではないでしょうか。
そして、2013年1月13日の「基元節」の意味は何を意味しているのでしょうか。
それは、神の国の出発を意味するのではないでしょうか。
ここで、1954年に統一教会が出発した根本動機について考察したいと思います。
統一教会は、1954年5月1日に、ソウル市城東区北学洞の小さなみすぼらしい家に「世界基督教統一神霊協会」という看板を掲げて設立されました。
アボニムが解明し書かれた「原理原本」を読まれて、1953年に弟子になられた劉孝元協会長を中心として、歓迎される立場ではなく、孤独な立場で、若干の食口が集まり出発したのです。劉孝元協会長はアボニムより6才年上で、洗練ヨハネの立場におられました。現在、オモニムが草創期の統一教会の時代のように御言にあふれる時代に戻ろうとおっしゃったのは、この時代を指します。
余談になりますが、私こと「ちあき6500」が、1992年に家庭を出発したのも、ソウル市城東区であります。城東教会に所属していました。
さて、それでは、ここで、統一教会出発の使命について、アボニムが語られた「真の御父母様の生涯路程」の「統一教会出発の根本動機」のところからいくつかの箇所を抜粋いたします。
統一教会は、その創立の動機が人間の考えではないのです。統一教会は、間違いなく天が動機となっているのです。
統一教会が神様によって始まったのであるなら、この統一教会を経て行くべき道は、いくつもの道ではないはずです。出発も一つであるはずであり、行くべき道の方向も一つであるはずであり、帰着すべき目的地も必ず一つであることに間違いはないのです。
神様から始まったので、行く道も私自ら行けないのです。
神様が動機となって、その動機に従って私たちが集まることになったので、我々はその動機と一つになって、一つの方向を経て行く途上に立っているのです。その方向は、あくまで我々自らが思うままにできるのではありません。
さて、次に「新しい真理の教え」のところから抜粋いたします。
その統一教会の教えは、神の摂理史です。神様がどのように創造の摂理を始め、今まできたのかという具体的な内容を教えているのです。
ユダヤ教とキリスト教は、メシヤに会うまでの教えであり、統一教会はメシヤに会って、生きていく道理を教えているのです。
以上、アボニムの御言から、神様の摂理史と統一教会の関係性について引用させていただきました。メシヤである文鮮明先生は2012年9月3日に聖和されました。しかし、統一教会は父母宗教です。真のお母様(オモニム)が中心となり神様の摂理を進めていくのです。
さて、シックのみなさま。
神様が私たち統一教会のシックを召命したのであり、私たちを神様が必要とされておられるのがおわかりでしょうか。神様の明確なご意志があるのです。
2012年には、多くの世界中の国々で国家指導者が選挙によって交代あるいは再選されてきました。日本も今日の新聞を見ると野田首相が衆議院の年内解散総選挙を視野に入れているということが書かれています。
歴史は、生きて動いています。
神様の摂理史があるのです。
唯物史観は間違いです。
神様抜きにして、歴史は語れないのです。
それを誰よりも、メシヤとともに歩んだ私たち統一教会のシックがよく知っているのです。
統一教会を中心として、これからも神様の摂理史は展開されていくに違いありません。
「復帰の心情」の歌詞を見て、私はそう思いました。
3度にわたるコメントありがとうございました。
今日は、お父様が聖和されて、最初の名節ですね。第53回真の子女の日、第25回天宙統一国開天日、おめでとうございます。
そして、今後ともよろしくお願いいたします。