2013年01月22日

「飲み込むのは」自身の責任分担?! 父母が、噛み砕き、私たちの口の中に入れてくださったみ言


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次男が先週から
インフルエンザにかかっています。

結局、クラスも学級閉鎖になり、
家で、多くの宿題を先生にもらい
嫌々ながら勉強もしているようです。

最近はようやく
元気になってきましたが、
数日間は調子が悪く、
妻もうつったような雰囲気です。

次男のインフルエンザが
よくならない原因が一つあります。

それは、薬を飲まないことです。
インフルエンザ用の粉薬は飲んだので、
一気に症状はよくなったのですが、
毎食後用に出された錠剤を
飲もうとしません。

ですから、喉の炎症、せき、たん、鼻水などの
症状は薬なしで、自然治癒に任せている
状況です。

小さい頃は粉薬を上手に飲んでいたのですが、
久し振りに医者に掛かり、
初めて錠剤が出たのですが、
腫れている喉で飲み込むのが
コツもわからず、勇気も出なかったようです。

30分、いや1時間
テーブルの薬とコップに入った水を見つめ、
じっとしているのです(笑)。

家内がさんざん促しても、
無駄骨に終わっていました。
こればかりは、本人が飲みこまなければ
どうしようもありません。

教えようとしても、教えられるものではありません。
「飲み込む」という言葉がありますが、
それはつまり、その本人が
自分でやってみるしかないことで、
教えられてできることではありません。

飲み込もうとする、意志と、
ちょっとした勇気とタイミングがあれば
飲み込めるものなのですが…。


次男の姿を見ていたら、
以前教会長が語られていた
み言を思い出しました。

真の父母様は
私たちの救いのために、
完全な条件を立てて来られました。

あまりにも大きな恩恵を与えてくださいました。

今回の聖酒式など一連の行事は、
そのうちの最たるものでしょう。

しかし、父母様が恩恵を与えようとしても
受ける私たちの方にこそ問題があります。

すなわち、病人にご飯を食べさせようとして、
やわらかいものなどを与えようとしても、
それを飲み込むのはその人の責任だということです。

御父母様が
噛み砕いて、噛み砕いて
意義と価値を悟らせようとして、
時を教えて、
口の中にまで入れてくれたとしても・・・

飲み込むか飲み込まないか、
それは私たち次第ということになります。


そうして、責任分担のことを強調されていました。

一方的な救いを父母様が与えようとしても
私たちにも受け入れるべき条件がある、
それが人間の責任分担だというのです。

父母様の祝福を一方的に受ける
私たちとなるべく、
与えたい恩恵に対して、
無条件に受け入れることのできる
私たちになっていきたいと思います。

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お父様のみ言葉 
 
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All the authority of life begins
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(11/23/69)
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posted by ten1ko2 at 09:52 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「いつも私のとなりに神さま」のブログオーナーさま

基元節が近くなってまいりました。
天一国入籍へ何の条件もない私たちであることを感じておりますし、心からの悔い改めが必要であることもわかっております。

真のお父様(アボニム)は、6500組の祝福家庭をよく集められて、み言葉をくださいました。1988年から1990年代前半の時期でした。私は、当時、韓国におりましたので、集会に参加する恵みを受けました。夏の頃などは、アボニムはアロハシャツを着られて汗をかかれながら、何時間も何時間も立たれたままで、み言葉をくださいました。

その頃は、アボニムにお会いできることだけが嬉しいだけの20代後半から30代前半の自分だったと思います。本当にやさしいアボニムであられました。歌も歌ってくださいました。笑顔で私たちに語りかけてくださいました。
特に日本の女性を思ってくださり、愛の言葉と心情を注いでくださいました。
韓日の交差祝福家庭がたくさんいたからです。

さて、基元節が近くなり、なぜだか私もたくさん夢をみます。

おとといは、もう20年も前に亡くなった父親の夢をみました。言葉を発することができないくらい老衰した父の姿でした。私が勝利できないばかりに、父を解放してあげられない自分を悔いました。

実は、1988年の祝福結婚後、妻を連れて実家に戻った時、父は二人を祝福してくださいました。
そして、私の父は長男が生まれる40日前に亡くなったのですが、私たち夫婦が韓国に住んでいるときに突然の訃報が届いたのです。私は大いに泣きました。兄妹から聞いた話によると、最後に父は「韓国にいるお母さんを呼んでくれ」と言っていたとのことです。
私が統一教会に来たいちばんの動機が、40代から肝臓病で苦しむ父がたとえ亡くなったとしても、霊界で永遠に生きることができると信じて
自分を犠牲にしてアボニムのもとに来ました。

動機がアボニムに好かれたいとか、自分が天国に行きたいとか、教会で偉くなりたいといったものでもありませんでした。父の永遠の命を救いたいと思っただけです。

そして、今日は、アボニムの夢をみました。昨年9月のアボニムの聖和以降、はじめてアボニムの夢をみたのです。私個人の夢の話をコメントしていいのかわかりませんが、記載しますね。
夢の内容であります。
何かの集会だったと思いますが、アボニムがいらっしゃって私が是非とも写真を撮っていただきたいと恐る恐るお近くに行ってお伝えしたところ、アボニムは快諾してくださいました。大きな一眼レフのカメラを席にいた方にお願いして渡しました。私はアボニムの横に並びアボニムの大きな背中に手を回したところ、私の手をアボニムもどうやってか後ろに手を回して、ぎゅっと握ってくださったのです。大きな肉感のある手の感覚は、まさしく現実のものでした。
夢がこんなにも実体の感覚があるのははじめてでしたし、ましてやアボニムの手の感覚でしたので本当に感謝するばかりです。。こんな罪深い私みたいな者にも、夢ではありますが現れてくださり言葉はありませんでしたが、手を握ってくださいました。

アボニムが基元節の前に聖和されたのは、罪のある私たちを生かすための交換条件だと聞いております。ちょうど2000年前にイエス様が一人十字架にかかり、全人類を救う交換条件になられたのと同じです。アダムが神さまを裏切って堕落したので、神さまはその蕩減条件として、イエス様を見捨てざるをえなかったのです。
同じく、アボニムが復帰摂理を勝利されたのですが、私たち統一教会の子女たちが罪が多く基元節を迎える基準がなくこのままだと惨めに霊的死の状態であることを知り、アボニムは聖和されたにちがいありません。

今や統一教会は世界平和家庭連合に名前を変えました。真のお母様(オモニム)を中心に基元節勝利へ向けて力強く進軍しましょう。

文亨進世界会長が、夢でアボニムが「絶対性」とおっしゃったと語られておりました。アダムとエバが失った性的堕落を、私たち世界平和家庭連合のシック一人一人が、アボニムが語られたように「絶対性」の基準を立てて基元節を迎えていかなくてはなりません。

私はそう思います。




Posted by ちあき6500 at 2013年01月22日 22:51
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