基元節の前に
過去を振り返り、
罪を告白するにあたり、
全てを清算して
新しい出発をしていきたいと
心に決意するものがあります。
そして、お父様が語られるごとく、
『正午定着』の私に
ならなければならないと感じます。
以前もお話ししたと思いますが、
人のことをああだとか
こうだとか言う前に
私が神の前に
いかなる者でなければならないか、
魂の叫びというか、
本心に訴え掛けるものがあるのです。
ファミリーフォーラムに
金元弼先生の講話が載っていました。
題目は 『うそはうそなのです』 です。
☆
「メシヤのためであるなら、
あるいは大義があれば、
何をやっても許される」
という誤った考えを持っている
食口はいないでしょうか?
「国のためであれば、
個人を苦しめることもありうる」とか、
あるいは、
「み旨のためであれば、
サタンの物は奪って来ても許される」
と、考えている人はいないでしょうか?
という真のお父様のみ言を、
よく考えてみてください。
うそはうそであり、
どろぼうはどろぼうです。
ただそれが、
戦争などの状況下にあっては、
一時的に許される、同情されうる、
ということは、ありうるかもしれません。
でも、
「間違ったことは間違ったことである」と、
はっきり知らなければなりません。
聖書の中にも、
うそをついて奪って来た例があります。
「サタンがうそをついて奪って行ったので、
『蕩減復帰』の原則により、
神側もうそをついて奪って来ても、
罪にならない」と考えて、
行動を正当化する人が、
もし、いたとしましょう。
しかし、それは、うそはうそなのです。
ヤコブの時も、うそをつかなかったとするならば、
21年の苦役路程はなかったかもしれないのです。
戦時下で生命が懸かっている時に、
人のいない家からお米を持って来ることは、
状況的に考えて許されるとしても、
それがそのまま善であるとは言えません。
それ自体が善なる行為であると
言うことはできないのです。
それを私たちは、
真のお父様のこのみ言と行動を通して、
はっきりと理解しておく必要があります。
「あなたがやったことは赦され、
同情されるかもしれない。
しかし、善ではない」
ということです。
ですから、後でこれを3倍以上、
返すことによって償うこととなるのです。
このような出来事を通して、
私たちは本当に
真のお父様の伝統を学んでいかなければならない
ということを感ずるのです。
あるいは大義があれば、
何をやっても許される」
という誤った考えを持っている
食口はいないでしょうか?
「国のためであれば、
個人を苦しめることもありうる」とか、
あるいは、
「み旨のためであれば、
サタンの物は奪って来ても許される」
と、考えている人はいないでしょうか?
「3倍以上、返してあげなければいけない」
という真のお父様のみ言を、
よく考えてみてください。
うそはうそであり、
どろぼうはどろぼうです。
ただそれが、
戦争などの状況下にあっては、
一時的に許される、同情されうる、
ということは、ありうるかもしれません。
でも、
「間違ったことは間違ったことである」と、
はっきり知らなければなりません。
聖書の中にも、
うそをついて奪って来た例があります。
「サタンがうそをついて奪って行ったので、
『蕩減復帰』の原則により、
神側もうそをついて奪って来ても、
罪にならない」と考えて、
行動を正当化する人が、
もし、いたとしましょう。
しかし、それは、うそはうそなのです。
ヤコブの時も、うそをつかなかったとするならば、
21年の苦役路程はなかったかもしれないのです。
戦時下で生命が懸かっている時に、
人のいない家からお米を持って来ることは、
状況的に考えて許されるとしても、
それがそのまま善であるとは言えません。
それ自体が善なる行為であると
言うことはできないのです。
それを私たちは、
真のお父様のこのみ言と行動を通して、
はっきりと理解しておく必要があります。
「あなたがやったことは赦され、
同情されるかもしれない。
しかし、善ではない」
ということです。
ですから、後でこれを3倍以上、
返すことによって償うこととなるのです。
このような出来事を通して、
私たちは本当に
真のお父様の伝統を学んでいかなければならない
ということを感ずるのです。
☆
清平40修に参加したとき、
自分の内面を見つめさせられ、
「何よりも自分が問題だ」
そのことを強く実感したことがありました。
相手の堕落性が見えるとき、
それは自分にも堕落性があることの証拠であり、
鏡のようなものである、
そう感じたこともあります。
またそれが、
お父様の伝統を相続するものである
そう思います。
基元節に向かい、
具体的な条件も必要ですが、
それとともに、
内的な備えもしっかりと
しなければならないと感じます。
なぜなら、基元節は
私の基元節だからなのです。
お父様のみ言葉
あなたの最も深い所にある御心情を
私たちに相続させて下さい。
Let us b able to inherit ur innermost heart
(1/3/65)
あなたの最も深い所にある御心情を
私たちに相続させて下さい。
Let us b able to inherit ur innermost heart
(1/3/65)
@lovintp
世界会長のツイッターより
世界会長のツイッターより
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらには、ブログの記事においては
全文の無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらには、ブログの記事においては
全文の無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
【基元節の最新記事】
- 基元節にお母様が持たれた「黄金の杖」が苦..
- 一面の銀世界! 「清平まで渋滞で列をつく..
- 世界一斉に基元節式典! 壁のないジャルジ..
- 基元節の式典、盛大に行われる! 式の内容..
- 基元節当日です! 《当ブログ1000日記..
- 明日は基元節を迎えます! 〜6千年待ち続..
- 神様を「天の父母様」と呼ぶようになった理..
- 一般の結婚をした祝福二世が…! 基元節祝..
- そうだ、教会に行こう?! 基元節祝福に向..
- 基元節にあの人を招待しよう?! (証し)..
- もういくつ寝ると基元節?!
- 今最も重要なこと、それは、「聖酒で心と体..
- 基元節までに悔い改めるべきこと?! 『坊..
- 基元節に教会に行こう! 再主の最後の晩餐..
- 「(基元節の準備を)どうやって…」真のお..
- 今、韓国が熱い?! 霊肉の堕落を元返す基..
- 基元節の行事予定、公式発表待たれる! メ..
- 基元節まで40日! 聖酒式の恩恵を受ける..
人に干渉、攻撃、非難する必要はないと思います。
・・・ただ、統一教会は組織であり、公益法人です。
ミムネの為とは言え、教会員から伝道対象者からスッカラカンになるまで個人先祖民族国家の救い、神様の地上天国実現の節理という名でお金を献金させ、韓国に送金した事は事実です。
そして、その霊感商法や偽りカンパや他モロモロのせいで、社会問題化し、日本統一教会はマスコミから叩かれ、教会員は家族親族から非難され、勘当され、氏族復帰も伝道も進まない主な原因になっていると思います。・・・経済の責任者は社会に教会員にチャント釈明されたのでしょうか?・・・・釈明されていたのなら申し訳ありません。
・・・個人の犯罪を犯せば牢屋に入らなければなりません
・・・公益法人の宗教組織は脳細胞や心臓にあたる責任者の権限は強力であり、統一教会の責任者は独裁者の様な影響力を持っていました。
・・・真の父母様を表に出したくなければ、韓国経済責任者と日本経済責任者が公式に釈明すべきだったと思います。
・・・日本人は過去を水に流すという諺があります。
・・・韓国人は自分にとって都合が悪い事は水に流すというより、存在しなくなる!そして過去の恨みは絶対忘れない民族性がある様に感じます。
特に韓国統一シックは日本民族は主の国、神の選民に対して償う事の出来ない犯罪を犯したので、日本統一シックがその責任(蕩減)を果たさなければナラナイ!
・・・何故、出て来ないんだ!
・・・個人を責める非難するつもりはありません!
・・・霊感商法において一般教会員は責任は無いはずだが、家族氏族から社会から責任を負わされているのが現実です。
・・・隣に神様は日本においてのもっともな社会的常識をおっしゃっているのです。
・・・本来であるなら、真の父母様か韓国日本の最高責任者が公式にマスコミを通じて、日本社会に、そして日本統一教会員に釈明すべきなのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・=これが当たり前の常識です。
・・・・→お上だけは特例という事はこの世では通用しません!
・・・・→糠に釘かもしれませんが、私も、mこれを最後にします。
・・・・統一教会シック、統一教会元シック皆様のお幸せをお祈り致します。
あるいは大義があれば、
何をやっても許される」
という誤った考えを持っている
食口はいないでしょうか?
かつての私も含めて多くの教会員や教会幹部にあてはまる考え方だと思います
。
公職者のブログ主さんが、このような教会を諭すかのような内容をUPすることは画期的なことだと感心しています。
陽暦で言えば、2013年2月22日です。
「いつも私のとなりに神さま」のブログオーナーさま
あと30日を切った「基元節」です。
私なりに、この基元節についていろいろと考えております。「原理本体論」を勉強して、神さま自体の中に男性と女性の陽陰があることはわかります。堕落した人類が、「基元節」を期して神さまの願いである本然の男女の結婚の日を迎えるのです。人類始祖アダムとエバに性的堕落があったからです。
一体、聖書の創世記には、どんな秘密が隠されているのでしょうか。それを知ることによって「基元節」の意味と価値がわかると思います。
天地創造から始まり、失楽園の物語、アダムとエバは下部をいちぢくの葉で覆い、エデンの東に追いやられます。そして、その長男であるカインが、次男であるアベルを殺害します。
姦淫と殺人という罪が、人類歴史のスタートでした。これらが、人類を、そして私たち一人一人を苦しめてきた「原罪」の根源ではないでしょうか。
メシヤ(救世主)は、確かに圧政で苦しむ国民を解放する救い主かもしれないし、病気を治し心の病を救ってくださる方かもしれません。しかしいちばん大きな役割は「血統」問題を解決するために来られるということではないでしょうか。「血統転換」です。サタンの血統から神さまの血統へメシヤによって転換してもらうのです。世界家庭平和連合のシックは、全員がこれを望んでいるのです。これが原罪を清算する完全なる真理です。
イエス様は、何のために来られたのでしょうか。
「ヘビよ、マムシの子らよ、悔い改めよ。天国は近づいた。」
「求めよ、そうすれば与えられるだろう。門を叩け、そうすれば開けてもらえるだろう。」
このように、イエス様は、天国を地上に建設するために来られたことは間違いありません。
しかし、天国建設は簡単ではありません。天が準備した洗礼ヨハネはイエス様をメシヤであると証しできずにイエス様の元を離れ、捕らえられて首を切断されてしまうのです。
ゲッセマネの祈りでは、三弟子が「起きていなさい」とイエス様に言われていながら、眠りに落ちてサタンに条件を奪われてしまいました。
「最後の晩餐」では、イエス様は12弟子の足を洗ってあげました。「この中に私を裏切る者がいる」とイエス様が言ったとき、弟子たちは大騒ぎでした。「私は違いますよね」「私も違いますよね」と弟子たちは、イエス様に尋ねます。そして、イスカリオテのユダが、「私は違いますよね」と聞いたとき、イエス様は「いや、あなただ」と答えます。
ここで、イスカリオテのユダは、悔い改めることができて、「私の中にいるサタンの思いのために、イエス様、主なるあなた様を裏切ろうとしていました。お許しください。」と一言、言えたならば、イエス様の十字架への道はなかったでしょうし、イスカリオテのユダはカインが犯した罪も蕩減復帰できたと思います。イスカリオテのユダは歴史的な勝利者になったことでしょう。それは、心に侵入したサタンを分立しなければならない非常に困難な闘いだからです。
もちろん、カインやイスカリオテのユダのように、サタンが私たちの体に入ったら打ち勝つことはできないといってもいいかもしれません。それほどサタンは恐ろしい存在です。しかし、み言葉を受けて1%でも良心の呵責に私たちが苦しむならば、勇気を出して「告白」すべきです。勇気を出して「告白」してください。私のような者が偉そうに言える立場ではありませんが、罪を許していただこうではありませんか。私たちは神さまを信じる者ですから、カインやイスカリオテのユダの越えられなかった闘いを勝利し、彼らと私たち自分自身を救っていこうではありませんか。黙っていてはサタンを分立できません。告白するしかありません。
「基元節」は、イエス様の「最後の晩餐」に該当するものだと聞いております。
霊的サタンがいたのだから、罪を犯し罪深い私たちです。神さまはご存知です。
私たちの神さまへの信仰を示しましょう。罪を告白し悔い改めて、「聖酒」をいただき、「基元節」の日に祝福をいただこうではありませんか。
アボニムを愛する私たちです。
アボニムは、私たちを天一国に入籍させてくださるために、昨年の9月に聖和されたのではありませんか。
アボニムが私たち一人一人を訪ねてくださっているにちがいありません。
イエス様が霊界に行かれて現れたのは、逃げた弟子たちの前でした。イエス様のことを全く知らない人の前に現れた訳ではありません。
アボニムが訪ねてくださるのは、私たちシックです。アボニムに祈れば、アボニムは現れてくださいます。
「基元節」を迎える私たちです。
「基元節」を迎える私たちです。
天の御父母様が、私たち子女を救いへと導いてくださいます。
私はそう思います。
正午定着、天の前に正々堂々と立つことはなかなか難しいですね。
気持ちの上ではそうありたいと精進している日々の私です。
竹島独歩さんの幸福をお祈りしています。
今回の記事の内容が、
感心されるようなものだとは考えてもいませんでした。
金元弼先生だけでなく、
食口や教会の内部を正すようなみ言は
御父母様に始まり、
私たちの末端の教会においても
よく語られていることですので、
いろいろ探してみられたら、
もっと発見できることでしょう。
私自身も、
そういう心が正されるようなみ言や証しがあれば、
また今後も紹介していくつもりです。
〜何はともあれ、洗濯、洗濯、洗濯!
〜ありがとうございました!
いつ、統一教会に入られ、どういう責任分担を歩まれて来られたかは分かりませんが、統一教会の中でも表の顔と裏の顔の責任分担があるのだと思います。
裏の顔(影の責任分担)についた事のない方は実際分からないのではないかと思います。
〜何はともあれ統一教会の中でやって行くには、統一教会の過去のマイナスの事実を知らない方が良いと思います。
〜私からのアドバイスです!健康の為にもネガティブコメントは無視して、コメント欄に載せない事です。
〜ブログ主様のご健康と御多幸をお祈り致します。
再三のコメント、どうもありがとうございます。
ちあきさんのコメントは、いつも私も心が洗われます。
>健康の為にもネガティブコメントは無視して、コメント欄に載せない事です。
以前は、ネガティブなコメントには答えることもなく削除していました。
ある時から、方針を変えました。批判的なコメントをする方は、そういうコメントはやめてください、とお願いしても、また同じようなコメントをくださいます。
きっと、コメントしたい内容があるから、コメントするのですし、それを一方的に削除してしまうのは、どうかな、と考えるようになったのです。
ネガティブはネガティブなまま、コメント蘭はオープンにして、読まれる方たちの判断に委ねようと。
コメントはすべて、私の判断で掲載も削除もできるわけで、ネガティブな記事が精神衛生上よくないと感じたら、私好みのコメントだけにまとめることも可能ですが、そこまでする必要はないでしょう。
個性的なコメント揃いですが、私の血圧をあげるような不愉快なものはあまりないですし。
コメント欄も授受作用の場と考えて、できる限り、コメントを下さる方が、気持ちよくなって頂きたいです。
竹島独歩さんと、互いに幸福を祈り合えるのも、乙なことですし。
ありがとうございます。
ブログへの訪問、コメントどうもありがとうございます。
統一教会の間違っている部分は、もちろん清算しなければならないでしょう。
私も過ちを犯し続けているといってもいいような、人間ですが、神様の願いに応え、少しでも世のため人のために、時に適ったことを積み重ねてゆきたいと思っています。
私たちのそんな過ちも、私たちが忘れてしまったような小さな功労も共に、天に刻まれているのかもしれません。
いずれにしても、最終的に裁くのは、私たちではありません。
情状酌量してほしいですが、そんなに簡単ではないようです。原理原則がありますから。
生きている今のうちに、多少なりとも犯した罪を清算し、一生懸命良いことを積み重ねるしかないと、私は考えています。
嘘は嘘なんですよね。
正直者だけが馬鹿を見るような世の中な気がしていましたが。。
きっと、神様は全てを知っておられて。
正しいものが生きて行きやすい世界が基元節から始まるのかもしれませんね。
すごく希望です!!
先日、原理本体論の2日修を、東京で受けました。素晴らしい内容でした。
全食口が、参加するべきだと思いました。
お父様が、いかなる思いで7年も前から今回の基元節に向けて準備しなさいと口を酸っぱくして語っておられていたのを。私は知りませんでした。。
お父様のこころがどこに向いていたのか?私たち食口に何を求めていたのか?私たちは感じ無さ過ぎだったと思います。
私はとてもとても悔しいです。
今からでも。遅くないはずです!講師がおっしゃるように1ミリでもいいから、基元節に向かって出発することが必要だと感じました。
全食口が、あの2日修を受け。心を入れ替えて。新しい服を着れたら、ご父母様も喜ばれると思います。
天国の門は開かれるのですよ!
あと。19日!
神様と共に生活する時代が始まります。
いかに。この期間でサタンの讒訴条件を蕩減し終わるか?ですね。
なかなか返事できずに申し訳ありませんでした。
基元節に向かい、またそのあとも頑張ってまいりましょう!