2013年01月25日

基元節までに悔い改めるべきこと?! 『坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い』の何が悪い!


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基元節を前にして、今一度天の前に
自らの罪を精算するときですが、
以前、大変お世話になった教会長の証し
を交えて、
私もまたひとつの
悔い改めをしたいと思います。


それまでは、総務の立場で歩んでいましたが、
その教会長の指示で、
複数の責任分担を与えられました。

「あなたなら出来る」
と言われながら、
高い基準を示されて、
実際、厳しい歩みでありました。

私の遅々たる歩みに対して、
教会長は納得がいかなかったようです。

そのことを率直に
私に告白してくださいました。

「あなたは私の願いに応えて、
歩むことが出来ない状態だ。
だから、あなたを裁きたい思いになる。
そのことは仕方がないにしても(…?)、
別の思いが出てきてしまった。
この前、あなたの子供が
教会にきているときに、
あなたの子供を見ているだけで、
なんとも言えない
裁きたい思いになった。
これはよくない。
あなたの子供には
何の罪もない、
一切かかわりがないのに、
裁きたくなるのは、
本当に申し訳ない、
そう思って悔い改めた」

その教会長は、とても
正直な方です。
ご自身の内面をそのように
話してくださいました。

そして、そののち、
私のために祈られ、
私の子供のためにも
祈ってくださったそうです。

そして、その葛藤の思いを
克服されたと聞きました。

『坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い』
ということわざがあります。
教会長が私の子どもまで
裁きたくなったのは、
まさにこれに該当するのでは、
ないでしょうか。


じつは、私自身もかつて
まったく同じような思いを体験しました。

あるアベルにもの凄く闘いました。
自分の全存在を否定されるような
そんなことがありました。

闘っているうちに、やはり
そのアベルの子供さんに対しても、
とても憎らしい思い、
愛せない思いになったのです。

その子とは何の接点もないのに、
アベルの子供である、
その一点だけで、
本当にどうしようもない
思いが沸いてくるのでした。

そのあと、清平40修に行きました。
正午定着、影のない私になるべく、
私の心にわきあがる罪の思い、
堕落性の思いを克服する闘いをしました。

さきほどの
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
のように、
坊主は憎くなるとしても、
袈裟まで憎くなるというのは、
本当におかしいことです。

結局は、自分の堕落性、
裁きの思いを克服していないがゆえに、
袈裟を憎く思ってしまう、
自分の心が問題だ、
そのように思わされました。

アベルに謝罪の思いを持ち、
お子さんにも謝罪しました。
直接ではなく、
清平の場で、ではありますが。。。

正午定着、
影のない私になる、
私の基元節に向かい、
もう一度心を質し、
整理すべき時間を持ちたいと思います。


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神様が好まれる人は、譲歩する人です。
譲歩とは、
何度も相手に従っていくことです。
(そうすれば)回るようになり、
回っていれば、最終的に
自分がその位置を占領するようになるのです。
結局は、その人の
すべてのものを得ることができるのです。


「天運を呼ぶ生活」より


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よろしくお願いします。

posted by ten1ko2 at 08:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | 基元節 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
余計なお世話と感じられるかもしれませんが、・・・・神様は壮大ですよ!神様はビッグ、広いですよ!
・・・日本の統一教会員は可哀想に思います。島国の中のせま〜い部屋に閉じ込められてる感じがして・・・
真の父母に繋がるだけが信仰ではないです。神様に繋がって喜びと感謝の生活をしないと・・・観念的な信仰では病気になります。
日本統一シック、感謝の生活がなかなかできないのでストレスやマイナス思考が原因となって癌や様々な病気になる方多い様です。
〜〜〜変われ変われ変われ!思考も生まれ変わるのだ!歓喜歓喜歓喜!兆兆兆マンセ〜イ!
Posted by 竹島独歩 at 2013年01月26日 00:18
すいません、ちょっと一方的なコメントになった様です。
昔、梶栗会長がおっしゃった事を思い出しました。
梶栗先生は氏族復帰が難しいか、出来ない場合、国家復帰などのより大きな復帰を目指せば、消化される。確かそんな事をおっしゃったと思います。
・・・私の様な面倒くさがり屋の場合、人を傷つけない様に気をつけなければなりませんが、罪意識が強過ぎると、罪の事が頭にいっぱいになり、人間関係あまりにもマイナス思考で、慎重になりすぎるきらいがあるのではないかと思っております。という事を言いたかったのです。
私自身が献身時代そうでした。
Posted by 竹島独歩 at 2013年01月26日 20:46
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