基元節まで、あと2日です。
集会で教会長などから受けた
み言を整理しつつ、
感じた内容を書き記していきたいと思います。
真のお母様は、先週の日曜日(2/10)
天一国元年1月1日に行われた
第46回天の父母様の日記念敬礼式
において、次のようなみ言を語られています。
★
今日はお父様のみ言を訓読しながら
多くのことを感じたと思います。
お父様は神の日を決められながら
すでに神様の解放を置いて
基元節を考えられながら
神様を天の父母様と
呼ばれるようになった。
今、お父様の祈祷、
皆さん、聞いたでしょう?
そうなんです。
神様の願いは
父母になることであった
私たちはこのことのために
60余年をかけて
蕩減の道を行きながら
父母様に侍って歩んできた者です。
★
今日はお父様のみ言を訓読しながら
多くのことを感じたと思います。
お父様は神の日を決められながら
すでに神様の解放を置いて
基元節を考えられながら
神様を天の父母様と
呼ばれるようになった。
今、お父様の祈祷、
皆さん、聞いたでしょう?
そうなんです。
神様の願いは
父母になることであった
私たちはこのことのために
60余年をかけて
蕩減の道を行きながら
父母様に侍って歩んできた者です。
★
この時、1968年真の神の日の
真のお父様のみ言と祈祷を
金孝律補佐官が代読されました。
「今、お父様の祈祷、
皆さん、聞いたでしょう?」
と言われたのは、
特にこの最後の部分でしょう。
ともに天の真の父母と
地上の真の父母が
一体になるこの場を通して
懇切に宣布、宣布、宣布
いたします。アーメン(アージュ)
地上の真の父母が
一体になるこの場を通して
懇切に宣布、宣布、宣布
いたします。アーメン(アージュ)
お母様は、
「お父様は神の日を決められながら
すでに神様の解放を置いて
基元節を考えられながら
神様を天の父母様と
呼ばれるようになった」
と語られているように、
すでにこのとき(1968年)から、
真のお父様は、神様に対して
「天の真の父母」
という風に語られていたのです。
この日、基元節を前にして
神様に対して、「天の父母様」
そのように呼称するよう公文が発表され、
すでに「真の神の日」ではなく、
「天の父母様の日」に変更されました。
これは、真のお母様が指示されてはいますが、
実際的には50年近く前に、
真のお父様がそうしたいと
願っておられたのでありました。
ですから、
神様を天の父母様と呼びたい・・・
その真のお父様の悲願を
真のお母様が実現された、
そういうことになるのだと思います。
さらに付け加えると、
「父母」と呼ぶことが出来るというのは、
どういう状態なのかといえば、
子女、すなわち子供がいて
初めて成り立つ言葉です。
ですから、基元節の行事を通して、
私たちはあまりにも
足りない立場ではありますが、
天の前に、子女として
立つことのできる
資格を与えられた者たちなのです。
聖書には14万4千人の群れが
初穂として天に贖われたと
記録されています。
まさに、私たちが
天の初穂として、
神様に選ばれて、
基元節祝福式に供えられる
貴い立場なのだ、
そのことをもう一度
自覚していきたいと思います。
なお、わたしが見ていると、
見よ、小羊がシオンの山に立っていた。
また、十四万四千の人々が小羊と共におり、
その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。
またわたしは、大水のとどろきのような、
激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。
わたしの聞いたその声は、
琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。
彼らは、御座の前、四つの生き物と
長老たちとの前で、新しい歌を歌った。
この歌は、地からあがなわれた
十四万四千人のほかは、
だれも学ぶことができなかった。
彼らは、女にふれたことのない者である。
彼らは、純潔な者である。
そして、小羊の行く所へは、
どこへでもついて行く。
彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、
人間の中からあがなわれた者である。
(ヨハネの黙示録第14章1節から4節)
見よ、小羊がシオンの山に立っていた。
また、十四万四千の人々が小羊と共におり、
その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。
またわたしは、大水のとどろきのような、
激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。
わたしの聞いたその声は、
琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。
彼らは、御座の前、四つの生き物と
長老たちとの前で、新しい歌を歌った。
この歌は、地からあがなわれた
十四万四千人のほかは、
だれも学ぶことができなかった。
彼らは、女にふれたことのない者である。
彼らは、純潔な者である。
そして、小羊の行く所へは、
どこへでもついて行く。
彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、
人間の中からあがなわれた者である。
(ヨハネの黙示録第14章1節から4節)
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
【基元節の最新記事】
- 基元節にお母様が持たれた「黄金の杖」が苦..
- 一面の銀世界! 「清平まで渋滞で列をつく..
- 世界一斉に基元節式典! 壁のないジャルジ..
- 基元節の式典、盛大に行われる! 式の内容..
- 基元節当日です! 《当ブログ1000日記..
- 明日は基元節を迎えます! 〜6千年待ち続..
- 一般の結婚をした祝福二世が…! 基元節祝..
- そうだ、教会に行こう?! 基元節祝福に向..
- 基元節にあの人を招待しよう?! (証し)..
- もういくつ寝ると基元節?!
- 今最も重要なこと、それは、「聖酒で心と体..
- 基元節までに悔い改めるべきこと?! 『坊..
- 基元節は誰の基元節なのか?! 《金元弼先..
- 基元節に教会に行こう! 再主の最後の晩餐..
- 「(基元節の準備を)どうやって…」真のお..
- 今、韓国が熱い?! 霊肉の堕落を元返す基..
- 基元節の行事予定、公式発表待たれる! メ..
- 基元節まで40日! 聖酒式の恩恵を受ける..
それとどちらも父母様なのでどっちを指してるのか混乱します。
世界共通語の神様(ハナニム)を廃止して大丈夫なのでしょうか?
うち(統一教会?家庭連合?)だけでやってくならいいけど。
伝道に支障をきたす可能性が出てきますね。
それに「天の父母様」と「天地人父母様」だと「天地人父母様」の方が偉いみたい。
呼び方を強制する必要があるのでしょうか?
まずは最初のコメントについて。
「父母」というと二人をイメージしてしまうというのは、ありがちなことかもしれません。
日本語では「親」という言い方のほうが、一つになった表現として近いでしょうか。
実際、真の御父母様が、一体となっておられるように、天の父母様は一つの存在です。既存の言葉の枠組みにとらわれる必要はないと思います。
私はよく亡くなった両親に、個性ある別々の存在ではあるのですが、一緒に呼びかけています。そういう概念に近いかと感じています。
私たちは、今までの慣習や堕落性に邪魔されて、すんなり理解できないこともあるかと思いますが、「天の父母様」というのが、本来、ふさわしい呼び方であるのだと思います。神様を「父母」と呼べることを感謝しながら、まだ慣れないですが、折につけ、そう呼んでいきたいと考えています。
しかしながら、神様のことを必ず「天の父母様」に置き換えて、呼び直しなさい、ということではないと思います。(今のところそんな指示はきていません。)
実際、膨大なお父様のみ言の中の、「神様」の文字をすべて変えるとしたら、大変なことになってしまいます。
要するに、今まで、神様は偉大な「神様」であったのですが、天におられる私たちの慕わしい父母なので、これからはより親しみの込められた「天の父母様」と呼んでいく、ということなのではないでしょうか。
アダムが生まれた時は神様の息子でしたが、結婚して夫となり、子の親となって「父」と呼ばれるようになった、それと同じようなことです。父と呼ばれるようになっても、アダムであることに変わりはありません。
神様は人類の創造の始めから、人類の父母ではあったのですが、旧約までは、「主人」として、「主よ」というようにしか呼びませんでした。キリスト教でも「天の父」という概念はありましたが、「父母」と言ったのは、統一教会が初めてです。
当然、新しいことですから、違和感があるかと思います。
主よ、主よ、と崇めてきた長い歴史がありますし、その土台がありますから。
例えば、自分の主人の夫婦に仕えていたとします。しかし、その人たちが実は自分の実の親だった、という事実を知ったとしたら、どうでしょうか。すぐになじめず、両親に向かって「お父さん、お母さん」とはなかなか呼べないでしょう。呼んだとしても、実感が伴わないこともあるでしょう。
心情が近づけば呼べるでしょうし、逆に呼びかけていたら、心情が近くなっていくということもあると思います。
一つの記事にできるほどの、深いテーマについてコメントしてくださり、ありがとうございました。
次のコメント、>ten1ko2さんはブログ名を「いつも私のとなりに天の父母様」に変えないのですか?
そうですね、よいかもしれません。ちょっと語呂が悪いですが…。
さきほどのコメントでお話したように、必ずしも、「神様」と呼んではいけない、ということではないと思うので、いずれ、その方がいいと思った時に、ブログ名は変更するかもしれません。
中立派さんも、そのお名前を「天の父母様派」とか、されるのはどうですか?その方が運勢があると思います。(あくまで個人的な意見ですが。)