2013年04月06日

(証し)『意思さえあれば出来ないことはない』! ご焼香で久し振りに教会に来たお母さんが…!!


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その頃、草梁(チョリャン)
労務者用の宿舎に入ることができました。
部屋が呆れるほど小さくて、
対角線で横になっても壁に足が当たります。
その後、知り合いの家に泊めてもらい、
その部屋で鉛筆を削り、心を尽くして
『原理原本』の草稿を書きました。
極貧の生活だろうと何の問題もありませんでした。
たとえゴミの山の中で暮らしたとしても、
意志さえあればできないことはないのです。

(自叙伝124〜125ページ)


今日も自叙伝書写の証しを紹介します。
他教会ですが、あるお母さんの証しです。


うちの母は、み言を学んでいましたが、
病気になり、また家庭の事情があって
教会を離れてしまいました。

父は他界していますが、
生前、剣道指導室を開き
道場で青少年を指導していました。

お父様が聖和されたとき
一緒に弔問をすることになりました。

長く離れていたが教会に来ることになり、
せっかくだと思って自叙伝書写を薦めました。

全国の証しも含めて誘ったのですが、
ひとこと『やらない』
と言われてしまいました。

母と共に教会で焼香をしました。
帰るとき、雰囲気が変わり
書写も受け取ってくれました。

その後、毎日毎日書写をしてくれました。
父の仏壇の手前に書写のまま置いていました。

そこには同居している妹も来るし、
父に焼香をあげる知人も見るので
私はとても戸惑いました。

そんな中、母が嬉しそうに
報告をしてくれたのです。
あるお客さんが父の焼香にきました。

その方は、
剣道の同僚であり、
やはり青少年に指導していました。

しかし、数年前に体を壊して
道場を辞めると挨拶に来たのです。

そのとき、母が書いていたのが
『意思さえあれば出来ないことはない』でした。

その方は母の書写を見て
おいおい泣かれたのです。

そして、
「力を頂きました。
頑張って道場を続けようと思います」

そう言って帰っていかれました。



この証しは
浅川先生の研修会の時
紹介されたものですが、
以下のように
解説してくださいました。
浅川節でどうぞ。


お母さんの素晴らしいところは
書写を仏壇に置くところです。

しかも書いたままおきますから
お父さんの仏壇で焼香する人は
誰もが見ます。

ある日、剣道の同僚が来ます。

この人は体力に限界を感じて
「道場を辞めようかな」
そう思って、亡くなったお父さんと
お母さんに報告をしにきたわけです。

そして、辞める意思を持って
焼香したときに
み言葉を見た瞬間
涙が止まりませんでした。

剣道をしていて体格のいいその方は、
体を丸めておいおい泣かれたといいます。

この「意思さえあれば・・・」
これは(亡くなった)お父さんから
言われたと思ったのです。

生前のお父さんの願いだと思いました。

まさに霊界が役事したのです。



感動的な証しです。

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『意思さえあれば出来ないことはない』

 歴史上、偉大な指導者は、
皆幼い頃から人生の目的が明確でした。彼らは、
幼い頃に胸に抱いた目的を生涯大切にも持ち続け、
それを成し遂げようと熾烈な人生を生きました。

 寝て、起きて、活動するすべての人生の営みが、
未来の舞台を準備するためのものだったのです。
今、果たしてどれだけの人が
そのような人生を生きているでしょうか。

 私たちは全員、偉大な人間として創造されました。
何の意味もなく皆さんがこの世界に出てきたのではありません。
神様は、自分のすべての愛を注いで
私たちをつくりあげられたのです。
ですから、私たちはどれほど偉大な存在でしょうか。
神様がいらっしゃるので、
私たちは何でもすることができるのです。


自叙伝337ページ


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この記事へのコメント
時々読ませてもらっています。
ところで、書写という言葉が良く出てくるのですが、私はこのブログで初めてその存在を知りました。
訓読で良いのではないかと思うのですが、書写が行われるようになった経緯を教えて頂けませんか?
Posted by fatherfujioka at 2013年04月06日 23:14
fatherfujiokaさん。
自叙伝心の書写は真のお父様が自叙伝を書かれてから、そのみ言を浅川先生がピックアップして書写をする精神を合わせて紹介したものです。
もう3年くらい前から始められたのではないでしょうか。
教会や教区、地区に温度差があり、熱心に実践をしているところ、関心があって、始めようとしているところ、またほとんど知らないでやっていないところ、三つに分かれると思います。
訓読でもちろん構いませんし、書写をしなければならない、ということでは全くありません。
ただ訓読と違って、書写は手で書く、というところが違います。浅川先生はお父様の精神を移植するのだ、そう言われています。
意味を持って、また強い意志を持ってやるところに証しが出ると思いますので、訓読も同じように強い意思を持って取り組めば証しが出るのだと思います。
以前紹介した100回訓読もそのうちに入るでしょう。
Posted by ten1ko2 at 2013年04月09日 12:40
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