今日は書写奉納式をし、
浅川先生の講演会を参考に
話させていただきました。
少しまとめて紹介します。
☆
私達は幸せになるために
どうしたらいいのでしょうか。
幸せを実現するため、
みんな努力します。
またある人は寺や神社に行き祈願します。
家庭円満、商売繁盛を毎年願うのではないでしょうか。
どうしたら幸せになることが出来るでしょうか。
私達は、幸せになりたいと思いながら、
現実はそうなっていません。
夫婦の関係・親子の関係・嫁姑の関係に
恨みが生じています。
しかし、お父様は
「幸福は待っている」
「幸せな道を歩みさえすれば幸福は準備している」
そのように語ってくださいます。
幸福は逃げていないのです。
幸福は待っています。
ただ、道を間違えただけなのです。
幸福駅はあるのに、
乗る電車を間違えて着くことが出来ないのです。
お父様は幸福駅に着くために、すなわち
本当の幸せを得るためにどうしたらいいのか、
その生涯を通して教えてくださいました。
浅川先生はお父様の歩まれた心情世界を参考に
大きく二つに分けて話してくださいました。
一つ目は、『幸せはどういうものか』というものです。
お父様が悟られたのは、
人を幸せにしてあげるときに感じる喜びのことを幸福というのです。
ですから、自分だけが幸せになろうとしても
幸せになることが出来ないのです。
自分さえよければ、という思い、
自分が幸せになりたい
という思いを持っていたらどうでしょうか。
私が幸せになるために夫がいる。
夫は私の為にいると思ってしまうとするなら、
夫の愛の不足で私が不幸になっていると思い、
苛立ち、要求の思いになってしまうのです。
逆に夫もこう思う人がいます。
『俺が汗し涙し、
嫌いな上司に頭を下げているのに、
苦労して帰ってきたのに
妻は、現場監督のように今日も元気で行って来いと送り出す。
笑って送り出すのは毎月一回、給料日だけじゃないか、
あの妻が毎日笑って優しい声をかけてくれれば
俺の人生はもっと違うのに・・・』
そういって、妻に要求したい思いが出てきます。
我欲によって、本当の幸せが見えなくなってしまうのです。
お父様は自分のため、自分の幸せのために祈ったことがない方です。
お父様は小学生の頃、お腹がすいている人を見たとき
心がいたたまれなかったといいます。
お父様は実家で農家をされていたので、
ご飯は白米を食べることができました。
しかし、となりの友達の弁当は粟のご飯でした。
お父様は死ぬほどに悲しくなりました。
白米を友達にあげて、自分は粟飯を食べました。
友達が白米を食べて喜ぶ姿を見て本当に嬉しくなったのです。
高校生の時、時間の合間を縫って、橋の下に行きました。
そこには、こじきの部落がありました。
その人たちを見ると、お父様は心が痛みました。
彼らは、髪を洗ったことがなく、伸ばし放題です。
はさみで髪の毛を切ってあげました。
彼らは、こんなことをする人がいると、
言葉を失って、涙を流しました。
お礼といっても渡すものがありません。
垢だらけの手で町で拾ったおにぎりをくれました。
お父様はこれが本当に美味しいといいます。
大学時代には、学費として仕送りが来ましたが、
苦学生たちのために、すべてのお金を
食券にかえて全部に与えてしまいました。
自分はお腹がすいても、
友達に与えたら満足だ。
これがお父様の精神です。
この情感が私たちと違うのです。
子供は親が何もしてくれないといい
親は子供が言うことを聞かないといいます。
お父様は、化粧は誰のためにするのか、
ちゃんと定義づけています。
そうです。夫のためです。
夫の為に化粧をしなければ、
化粧の根本的意義を失うというのです。
夫が起きる前に奥さんは早く起きなければなりません。
そして化粧をするのです。
綺麗な顔を夫に見せて、それで玄関で見送ります。
しかし皆さん、だいたい夫が出てから
化粧するのではないでしょうか。
しかも、また夫が仕事で疲れて
帰ってきたら、またスッピンになっている(笑)。
人の幸せの為に生きるようになっているというのが、
お父様の言われる人間の定義です。
☆
少し長くなりました。
後半は明日に。
幸福は人のために生きる人生の中にあります。
いくら小さくて、取るに足りないことでも、
相手のために、人のためにするとき、幸福と感じるのです。
いくら小さくて、取るに足りないことでも、
相手のために、人のためにするとき、幸福と感じるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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