2013年04月16日

幸福は私たちを待っている! 鬼嫁に泣いたある姑の証し?! 《愛天愛人愛国の生活》幸せをつかむには2


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お父様の生き様の中から
見つけることのできる
幸せになるための二つの秘けつ。

一つ目は、自分のために生きるのではなく
為に生きること。

お腹がすいている人に
食べさせてあげることを喜びとした
お父様の姿…。
妻は夫、夫は妻のために
親は子の為に生きることが
幸福の道だということです。

昨日の続きです。
(浅川先生の講話を参考にしています。)


幸せをどうやってつかむことができるのか、
その二番目を紹介します。

それは、
『どんな目にあっても変わらない愛の心』です。

これ以外に幸せになることは出来ません。

お父様は、そうしない限り、常に私を待っている
幸福駅には着かないんだといわれるのです。

人は愛を受けたら、「ありがとうございます」
「本当に感謝します」そう答えるでしょうか。

実際は、そういって返すほど甘くはないのです。
感謝の一言もないことがありませんか。

やっているうちにもらうのが当たり前になってしまう。
尽くしてすぐに返るなら、
この世はすぐに平和になるでしょう。

尽くしても反応がないから腹がたつのです。

みなさん、それでも尽くし続けますか?

「人に尽くして馬鹿にされ、人に尽くして無視される。
それでも尽くす根性を定めましたか?」
そう、お父様はおっしゃるのです。

一つ証しを紹介します。
ある姑さんの証しです。

その姑さんには、息子がいました。
早く結婚しないかな、そう思っていましたら、
綺麗な嫁に出会いました。
容姿端麗だったのですが、
息子と年齢がずいぶん離れて若い嫁でした。

結婚したときは本当におとなしくて
羊のように従順でした。

そして、長男が生まれました。
そうしたら嫁が豹変したのです。
態度が急に変わりました。

姑にお母さんといわなくなりました。

それだけならいいのですが、
「馬鹿」というようになり、
しまいには、「馬鹿は死ななきゃ直らない」
そんなことまでいうようになりました。

姑は年がいっているので、
動きが鈍くて、若い嫁からすると、
見ているだけで腹が立つのです。

食事も作らなくなり、
しまいには人間扱いしなくなりました。

姑はがっくりきました。
「よくもこんな嫁をもらった。
毎日馬鹿と言われ、死ななきゃ治らないと言われる
別居したほうがいいかとも思うが、
事情があって、そういうわけにはいかない」
姑は思いました。

そんな中、姑と自叙伝心の書写との出会いがありました。

自叙伝書写は書写をするのは、文字のように見えても、
お父様が人生の中で修行を通して悟られた内容があり
背後には真の愛がこめられています。
霊的パワーがこめられているのです。

幸福駅に行くことができない私を変えていくことが必要です。
先回も話したとおり、自分の幸せは
人を本当に幸せにすることであり、
人に恨みを持たないことなのです。

書写をすることが、お父様の魂を心に書き写すことになります。
ただ文字を書き写すと思って、書写をしても
何にも変わりません。

しかしこの姑は、本気で書写をしました。

「嫁と愛情の関係を克服しなければ、
こうなったら自分が変わらなければならない」
毎日毎日、真剣に書写をしていきました。

お父様は一切を恨みませんでした。
信じていた人に裏切られ、
7度も牢獄に入れられました。
それにも関わらず、許して愛していかれました。

そのお父様の精神に通じるものがあったのか、
姑の心に変化が生じました。

嫁から馬鹿といわれても「私馬鹿です」
そういう気持ちになってしまったのです。

腹が立たなくなり、
感情に引っかからなくなってしまいました。

とうとう嫁が憎くなくなってしまった。
馬鹿と言う顔が可愛くなり、
いい顔に見えてきました。

すると、嫁の調子が狂い始めました。
悪口をいう人というのは
相手が反応しないと怒る気にならなくなってきます。

悪霊というのは反応しないとしぼんでいくのです。

耐えた人が変わったのだから
言った人が変わるしかないわけです。

とうとう嫁が変わりました。
ついにお母さんと言うようになりました。

そして、ありがとう、とまで言うようになり、
姑のために、食事を作るようになったのです。

奇跡が起こりました。



幸福は逃げも隠れもしません。
いつも待っているのです。
私たちがどんな道を行くのか、
そのことによって
幸福駅にたどり着くことが出来るというのです。

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幸福は常に私たちを待っています。
それでも私たちが幸福を探し出すことができない理由は、
欲望が行く道を阻むからです。
欲に眩んだ目は前を見ることができません。
たったいま地面に落ちた黄金のかけらを拾おうとして、
その先にある大きな黄金の山を見ることができず、
ポケットに入れることにあくせくし、
ポケットが破れたことも分かりません。
自分だけのために生きる利己的な人生ほど
愚かな人生はありません。
利己的な人生は、自分のために生きているように見えますが、
究極的には自分を破壊する人生です。
個人は家庭のために、家庭は民族のために、
民族は世界のために、
世界は神のために生きなければなりません。


自叙伝より


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posted by ten1ko2 at 09:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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