2013年12月18日

(証し)アボジに「放蕩息子」と言われた2世が?!・・・お父様への湧き出る慕わしさを実感するまで!


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人間の願いが何か?
真の息子娘を産んで、天国に直行させうる
真の父母の身代わりになるのが願いです。
皆さんも全部良い息子娘を産みたいでしょう?
それをどのようにするかが問題です。


真のお父様のみ言



ニュースレターの最新号に
祝福二世の方の証しが掲載されていました。
少し、私なりにまとめて紹介します。


その方は、16歳の頃、学校にも行かず
日雇いの仕事をしながら、独り暮らしをしていました。
不良グループにも入り、警察沙汰も日常茶飯事だったそうです。

この姿を見つめながら、ご両親はどれだけ心配されたでしょうか。
そして、お母さんに
「これが最後のお願い! あとは自由に生きて良いから」
と頼み込まれ、ブラジル・ジャルジンの40日家庭修練会に参加しました。

その時が大きな転機となりました。
真のお父様が来られて御言を語ってくださる機会があり、
会場を闊歩されるお父様がその方の前まで来られました。
そして顔を見つめながら、
「放蕩息子がいくら……。天に対する忠誠の姿勢を正さなければならない!」
と激しく語られたのです。
その時、ご両親は、「このドラ息子の親は誰だ!?」と
お父様から叱責される覚悟をしたそうです。

霊的に鋭いお父様は彼がどんなことをしているのか
全てご存知だったのでしょう。
ちなみに『放蕩息子がいくら・・・』
この後は何と話したのか、覚えていないそうです。

彼は、その後に家族と共に数か月間滞在していたウルグアイで
御父母様と近く接する機会がありました。
腕っぷしが買われたのか、御父母様が滞在されていたホテルで
護衛にあたることになったといいます。

御部屋を守り、ドアの鍵を開けて差し上げ、
エレベーターにも同乗しました。
お父様の散歩に、側近の方と2人きりで付き添ったこともありました。
またある時は、歌をお捧げしたところ、
お父様も一緒に唄い出され、
2人でデュエットをしているような恰好になりました。

その後、前線活動をしていたある日のこと。
お父様に外見が似ている老人と出会いました。
「あ、似ている!」そう思った瞬間、
お父様に対する怒涛のような激情と涙が溢れました。
心の一番深くから湧き出るお父様への慕わしさは、
自分の愛と生命と血統の主体に対する思慕でもあり、
神様がお父様に対して抱かれる心情でもありました。

彼が幼少の頃、入国が実現した真の御父母様を
空港までお出迎えした際に目にした、
御父母様の姿に泣き崩れる多くの一世の姿を今でも憶えているといいます。

御父母様を一目見ただけで湧き上がる慟哭が、
立っていることすらできなくさせる・・・。
幼いながらに目の当たりにしたその光景に、
何度でも胸を熱くさせられるそうです。

その、一世を通してかつて感じたお父様の世界を
前線を通して、初めて味わうことが出来たのです。


二世たちは、一世の神様・真の父母様に侍る姿を通して、
学ぶ時期がありますが、その後には、やはり、
『私の神様、私の真の父母様』
そのように実感しなければならない時が来るのだと感じます。

そのときには、試練を越えていかなければなりませんが、
越えさせるためには、やはり一世である
私たちの精誠が必要なのだと思います。

ちなみに、その方は現在は本部のスタッフとして活躍されています。

やはり二世はダイヤに輝く前の原石だと思います。
磨かれるか、磨かれないか、ただの石だと思ったらそれまでですが、
ダイヤになる原石なのだ、その確信が重要だと思います。
その思いをもって、子供たちにも対していかないといけないと感じます。

『チャンスには時があり、時をつかむには精誠が必要だ』
そのことを実感させられる証しでした。

証しを呼んで頂いたら分かるように、
正確には、この方がお父様から直接
「放蕩息子」と言われたわけではありません。
誤解を生みそうなタイトルですが、ご理解ください。


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お父様のみ言

人間の願いが何か? 堕落した人間の願いが何か?
息子娘を産んでも、
その息子娘がサタン世界から迫害されず、
天国に直行するよう育てることができる、
真なる父母になるべきだったのです。
そにようになれなかったのです。
真の息子娘を産んで、天国に直行させうる
真の父母の身代わりになるのが願いです。
皆さんも全部良い息子娘を産みたいでしょう?
世界でいちばん優れた子女をです。
それができませんでした。
それをどのようにするかが問題です。

皆さんがすべて真なる父母になるべきであり、
真なる師になるべきであり、真なる主人になるべきです。
これが三大主体思想です。分かりますか? 
この三大主体思想の根が何か? 真の愛です。
この真の愛は何かというと、
自分の百パーセント以上を投入し、また投入し、
また投入しようということです。
そのような思想を持った父母であり、
師であり、主人であるということを知るべきです。
根が一つです。

それゆえ、「真の父母」というときは、
必ずその右に師が来て、
左には主人が来なければなりません。
いつもついて回るのです。
誰でも息子娘を産むからといって、
真の父母になるのではありません。
息子娘を産んで育てなければなければなりません。
息子娘がお母さん、
お父さんに乗って回らなければなりません。
教えなければらないのです。


「三大主体思想は我々の願い」
(旧)天聖経、真の父母 より



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posted by ten1ko2 at 11:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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