イエス様と働かれた神様と同じ神様が
お父様と共におられたということを
知ることが私たちにとって大変重要です。
別の神様ではありません。
別の創造主でもありません。
☆
お父様と共におられたということを
知ることが私たちにとって大変重要です。
別の神様ではありません。
別の創造主でもありません。
☆
ファミリーフォーラムに
文亨進様が説教をしている映像がアップされていました。
全文、紹介したいと思います。
☆
クリスマスについて説明して下さり、ありがとうございます。
若いころはクリスマスについて
学ぶことなど思いもしませんでした。
霊的な絆がつながっています。
お父様とイエス様はひとつですから
イエス様について学ばなければなりません。
この聖句(イザヤ9章*下記↓)を見て下さい。
キリストがどういうお方かということを
ビデオゲームで例えてみましょう。
私の息子たちはビデオゲームをよくします。
皆さんの中でされる方はいますか?
例えばあなたがビデオゲーム(ソフト)を作ったとします。
息子たちはDNDというゲームをよくしていますが
そこでは騎士が登場して怪物を倒したりするのです。
では彼らがそのゲームを作ったとしましょう。
彼らはそのゲームの中の世界を自分の分身となる
キャラクター(アバター)を通して体験します。
ゲームを作り、自分の分身となるキャラクターで
ゲームの世界を体験するのです。
そのキャラクターをイエスと呼んでも
Rev.ムーンと呼んでも良いわけですが…。
そしてゲームの世界の中でそのキャラクターに出会った者は
誰でも、ゲームの製作者に出会ったといえますね。
そのゲームの世界で、ゲーム製作者の分身キャラクターに
出会った人はすべて、製作者に出会ったも同然です。
わかりますね。
お父様とイエス様が何者かを子供達に教えるのに
これが最も簡単な方法です。
このことからも、その価値の大きさがわかります。
明らかにゲームの他のすべてのキャラクターとは異なっています。
もちろん他のキャラクターも同じ製作者によってつくられたものですが
製作者に出会うためには、唯一そのキャラクターに出会わなければなりません。
そこに特殊性があります。
彼以外誰一人、それが祝福子女であれ一世であれ、
将来生まれる、誰もそのキャラクターになる事は出来ないのです。
その方の価値を理解することは非常に重要です。
それは宗教というよりもそのお方との関係性が問題になるからです。
ここが「義」に基づく旧約時代の宗教、
古代宗教との大きな違いです。
私は山岳仏教を学びました。
古代仏教にはとても多くの戒律があるのです。
「義」についての80項を考えてみる時
私が出会った聖人と呼ばれる世界的な
高僧の人々も実は普通の人でした。
彼らも皆が持っている同じ罪を持っています。
自分が罪をもち、内に義を備えていないことを知った時、
キリストとのかかわりによって義の衣で覆われます。
クリスマスにこのことを理解することは特別に重要です。
特に真のお父様との関わりにおいて
イエス様との関わりにおいて重要です。
イエス様と働かれた神様と同じ神様が
お父様と共におられたということを
知ることが私たちにとって大変重要です。
別の神様ではありません。
別の創造主でもありません。
神様はイエス様を通して働かれましたが
不幸にも不信の民によって殺害されてしまいました。
再び来られることを約束され
外的に現われると約束されました。
その時、肌の色が問題になるでしょうか?
ゲームをしている時、あなたのキャラクターの
肌の色は気にしないでしょう?
ゲームの中であなたのキャラクターに出会った人は
あなたに出会ったのですから。
イエス様が中近東のユダヤ人であっても、
お父様が韓国人であっても関係ないのです。
人は往々にしてそこに引っ掛かります。
そしてそこで終わります。
何だユダヤ人だ!韓国人じゃないか!
それが問題ではないのです。
肝心なことはわれわれがそのお方
神様の代身者に出会ったことなのです。
ですからお父様の前に座っていたこと、
一緒にいたことは
すなわち神様と共にいたことになるのです。
かくも深刻なことだというのです。
ただ神様に会うというのではなく
穏やかで平安な気持ちになります。
神様は生きた、個性をもった方なのです。
私たちが感じるように神様も全てを感じられます。
生きたお方です。
そして正しいお方であり
罪をご覧になれば怒ることもあるのです。
今日、私は重要だと思ったので
イエスについて話してもらうようにお願いしました。
「一つ知らなければなりません、それはイエスとの関係です」
と言った時の皆さんの反応にお気づきですか?
統一教会信徒として、イエス様とお父様を別に見てしまうのです。
同じ神様がイエス様そしてお父様に働かれたということです。
そこをクリアしなければなりません。
クリアして成約時代を生きるのです。
過去の旧約時代の『宗教』に立ち戻ってはなりません。
生きた神様との『関係性』を見るのです。
ですから、このように神様を追いかけ、
追い求め、神様との関係を体感することが大切です。
それによってお互いを強め合うのです。
☆
クリスマスについて説明して下さり、ありがとうございます。
若いころはクリスマスについて
学ぶことなど思いもしませんでした。
霊的な絆がつながっています。
お父様とイエス様はひとつですから
イエス様について学ばなければなりません。
この聖句(イザヤ9章*下記↓)を見て下さい。
キリストがどういうお方かということを
ビデオゲームで例えてみましょう。
私の息子たちはビデオゲームをよくします。
皆さんの中でされる方はいますか?
例えばあなたがビデオゲーム(ソフト)を作ったとします。
息子たちはDNDというゲームをよくしていますが
そこでは騎士が登場して怪物を倒したりするのです。
では彼らがそのゲームを作ったとしましょう。
彼らはそのゲームの中の世界を自分の分身となる
キャラクター(アバター)を通して体験します。
ゲームを作り、自分の分身となるキャラクターで
ゲームの世界を体験するのです。
そのキャラクターをイエスと呼んでも
Rev.ムーンと呼んでも良いわけですが…。
そしてゲームの世界の中でそのキャラクターに出会った者は
誰でも、ゲームの製作者に出会ったといえますね。
そのゲームの世界で、ゲーム製作者の分身キャラクターに
出会った人はすべて、製作者に出会ったも同然です。
わかりますね。
お父様とイエス様が何者かを子供達に教えるのに
これが最も簡単な方法です。
このことからも、その価値の大きさがわかります。
明らかにゲームの他のすべてのキャラクターとは異なっています。
もちろん他のキャラクターも同じ製作者によってつくられたものですが
製作者に出会うためには、唯一そのキャラクターに出会わなければなりません。
そこに特殊性があります。
彼以外誰一人、それが祝福子女であれ一世であれ、
将来生まれる、誰もそのキャラクターになる事は出来ないのです。
その方の価値を理解することは非常に重要です。
それは宗教というよりもそのお方との関係性が問題になるからです。
ここが「義」に基づく旧約時代の宗教、
古代宗教との大きな違いです。
私は山岳仏教を学びました。
古代仏教にはとても多くの戒律があるのです。
「義」についての80項を考えてみる時
私が出会った聖人と呼ばれる世界的な
高僧の人々も実は普通の人でした。
彼らも皆が持っている同じ罪を持っています。
自分が罪をもち、内に義を備えていないことを知った時、
キリストとのかかわりによって義の衣で覆われます。
クリスマスにこのことを理解することは特別に重要です。
特に真のお父様との関わりにおいて
イエス様との関わりにおいて重要です。
イエス様と働かれた神様と同じ神様が
お父様と共におられたということを
知ることが私たちにとって大変重要です。
別の神様ではありません。
別の創造主でもありません。
神様はイエス様を通して働かれましたが
不幸にも不信の民によって殺害されてしまいました。
再び来られることを約束され
外的に現われると約束されました。
その時、肌の色が問題になるでしょうか?
ゲームをしている時、あなたのキャラクターの
肌の色は気にしないでしょう?
ゲームの中であなたのキャラクターに出会った人は
あなたに出会ったのですから。
イエス様が中近東のユダヤ人であっても、
お父様が韓国人であっても関係ないのです。
人は往々にしてそこに引っ掛かります。
そしてそこで終わります。
何だユダヤ人だ!韓国人じゃないか!
それが問題ではないのです。
肝心なことはわれわれがそのお方
神様の代身者に出会ったことなのです。
ですからお父様の前に座っていたこと、
一緒にいたことは
すなわち神様と共にいたことになるのです。
かくも深刻なことだというのです。
ただ神様に会うというのではなく
穏やかで平安な気持ちになります。
神様は生きた、個性をもった方なのです。
私たちが感じるように神様も全てを感じられます。
生きたお方です。
そして正しいお方であり
罪をご覧になれば怒ることもあるのです。
今日、私は重要だと思ったので
イエスについて話してもらうようにお願いしました。
「一つ知らなければなりません、それはイエスとの関係です」
と言った時の皆さんの反応にお気づきですか?
統一教会信徒として、イエス様とお父様を別に見てしまうのです。
同じ神様がイエス様そしてお父様に働かれたということです。
そこをクリアしなければなりません。
クリアして成約時代を生きるのです。
過去の旧約時代の『宗教』に立ち戻ってはなりません。
生きた神様との『関係性』を見るのです。
ですから、このように神様を追いかけ、
追い求め、神様との関係を体感することが大切です。
それによってお互いを強め合うのです。
☆
クリスマスの説教を亨進様がされていたとは・・・
とても元気な亨進様に出会えて、とても嬉しいです。
そのように思ったのは、私だけではないと思います。
ゲームを通して、イエス様、お父様を通して働かれる
生きた神様の話をしておられましたが、
なんとも亨進様らしいような気もします。
お父様の身近で侍られ、
「お父様以外誰一人、
それが祝福子女であれ一世であれ、
将来生まれる、誰も
そのキャラクターになる事は出来ない」
という真の父母、メシアの価値を
誰よりも知っておられる亨進様。
私たちに、真の父母は
歴史上ただ一人であると
初めて教えてくださったのも亨進様でした。
今は表に出てこられませんが、
必ず表舞台に出てこられるときが来ることを信じながら、
亨進様ご家庭の安寧を祈っていきたいと思います。
*イザヤ9章
説教のパワーポイントに見られるのはイザヤ書9章6節です
ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、
ひとりの男の子がわれわれに与えられた。
まつりごとはその肩にあり、
その名は、「霊妙なる議士、大能の神、
とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、
ダビデの位に座して、その国を治め、
今より後、とこしえに公平と正義とをもって
これを立て、これを保たれる。
万軍の主の熱心がこれをなされるのである。
イザヤ書9章6~7節
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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