1+2して3だったら、
君たちも1+2して3にせよというんだね。
☆
君たちも1+2して3にせよというんだね。
☆
昨日まで示したように
お父様は完全蕩減の道を歩まれました。
そして私たちはどのような道なのかといえば、
条件蕩減の道であるといいます。
もちろん、お父様の道から比べれば
わずかな苦労、小さな条件を立てることで
蕩減を清算することができます。
しかし、その道にも必要な条件があるといいます。
すなわち一番重要なのが
『神様のみ言を素直に受け入れる』ということです。
お父様のみ言を紹介します。
☆
君たちが相談して、
あるいは地方全体の代表者が集まって、
このうちで適当に決めてやったらいいじゃないか、
蕩減条件になるじゃないか。
・・・そうはいかない。
それは君たちの意見であって、
意見が蕩減の事実にはなれないんだね。
蕩減の事実は、いわゆる歴史を通しての事実であるから、
その事実はどこを中心として始まったかというと、
それは聖書を中心としてである。
だから聖書を中心として、
蕩減条件と自分との関係をはっきりもっておらないというと、
自分が今まで生活してきた、
その生活基準が蕩減条件と何の関係もないということだね。
だからその観点において、
はっきりした基準を立てなければならない。
(1967年6月18日)
☆
君たちが相談して、
あるいは地方全体の代表者が集まって、
このうちで適当に決めてやったらいいじゃないか、
蕩減条件になるじゃないか。
・・・そうはいかない。
それは君たちの意見であって、
意見が蕩減の事実にはなれないんだね。
蕩減の事実は、いわゆる歴史を通しての事実であるから、
その事実はどこを中心として始まったかというと、
それは聖書を中心としてである。
だから聖書を中心として、
蕩減条件と自分との関係をはっきりもっておらないというと、
自分が今まで生活してきた、
その生活基準が蕩減条件と何の関係もないということだね。
だからその観点において、
はっきりした基準を立てなければならない。
(1967年6月18日)
☆
また、お父様は、箱舟を造ったノアの信仰を
受け継ぐということに対して
次のように表現しておられます。
☆
おじいさん(ノア)は
1+2して3という答えを出したのに、
同じ答えをでもね、
自分はおじいさんと
気持ちが合わないから嫌いだと、
2+1=3と答えを出す。
答えは同じだよ。
しかし内容が違う。
神はそうは思わないんだね。
1+2して3だったら、
君たちも1+2して3にせよというんだね。
そういう精神がなっていないというと、
伝統を後世に残すことが出来ない。
蕩減するには内的心情を継がなければいけない。
(1967年6月18日)
☆
おじいさん(ノア)は
1+2して3という答えを出したのに、
同じ答えをでもね、
自分はおじいさんと
気持ちが合わないから嫌いだと、
2+1=3と答えを出す。
答えは同じだよ。
しかし内容が違う。
神はそうは思わないんだね。
1+2して3だったら、
君たちも1+2して3にせよというんだね。
そういう精神がなっていないというと、
伝統を後世に残すことが出来ない。
蕩減するには内的心情を継がなければいけない。
(1967年6月18日)
☆
やはり、重要なのは『無条件に信じる』ということです。
聖書でも
「よく聞きなさい。
心をいれかえて幼な子のようにならなければ、
天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、
天国でいちばん偉いのである。
また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、
わたしの名のゆえに受けいれる者は、
わたしを受けいれるのである」
(マタイによる福音書18章3節から5節)
「わたしがあなたがたをつかわすのは、
羊をおおかみの中に送るようなものである。
だから、へびのように賢く、
はとのように素直であれ」
(マタイによる福音書10章16節)
心をいれかえて幼な子のようにならなければ、
天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、
天国でいちばん偉いのである。
また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、
わたしの名のゆえに受けいれる者は、
わたしを受けいれるのである」
(マタイによる福音書18章3節から5節)
「わたしがあなたがたをつかわすのは、
羊をおおかみの中に送るようなものである。
だから、へびのように賢く、
はとのように素直であれ」
(マタイによる福音書10章16節)
とありますように、
蕩減を超えていくためには、
従順さ、素直さが必要であるといえます。
(つづきます)
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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