2014年04月08日

メシヤは「泥沼に咲く蓮の花」のような方でした〜信仰の大先輩の証しより〜


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本部のホームページにニュースレターが紹介されています。

ニュースレター「VISION 2020」の27号(4月10日号)を発行
http://www.ucjp.org/?p=17098

横井夫人の証しが素晴らしかったので、転載します。



私は毎週水曜日の朝、松濤本部で
20 名ほどの婦人と共に祈祷会に参加しております。
そこでは真のご父母様のため、世界平和のため、
全国の食口たちのために祈るのですが、
涙の流れないことはありません。

実は私が初めてお父様とお会いしたのは、
お父様のお祈りの場面でした。
1965 年の1 月、お父様が21 年ぶりに
日本を訪問してくださった時のことです。
お父様は南平台の教会に到着されると、
待っていた兄弟姉妹を前にして、
テーブルに両手をおき、
頭を深く垂れながらお祈りされました。
「先生と全然会ったこともないのに、
こんなにも日本で頑張ってくれていました。
神様ありがとうございます」
テーブルの上は流された涙で
びしょびしょになっていました。

その当時私にとってのお父様は、
先生の中の先生であり、
人類のメシヤであり、
空の高い所で24 時間神様と一つになっておられ、
私たち堕落人間のように祈りの時間をもつことはないお方
というイメージでした。

ところがお父様のお祈りは全く違っていました。
お父様は私たち堕落人間が罪悪の泥沼につからないように、
ご自身があえて泥沼につかりながら、
私たちを神様に近づけてあげようともがいておられたのです。
子供を救いたいと必死になって
頭の上に押し上げてくださるお姿は、
まさしく「泥沼に咲く蓮の花」のように尊く思えました。

そんなお父様に対して、
私は普通の日本人がそうであるように、
「自分のような者はまだまだ足りないし、
おそれ多い」と思っていました。
ところが大山きみこさんという方は
「私はお父様の子供なんだから
いつでもどこでも一緒でなければおかしいし、
祝福も当然いただかないと」と考えている方でした。
大山さんは僑胞の方なので
そのように考えることが出来るのかなと
うらやましく感じていました。

お父様はある時、開拓伝道に出発する兄弟に対して、
神様がいかに日本を愛されているか話してくださいました。
「日本の花嫁は白無垢を着るが、
これは嫁ぐ夫のために、どんな色にも染まります
という覚悟をあらわしている。
また日本の侍はどんな殿様にも
忠誠を尽くしてきた歴史を持っているんだね」
このようにお父様は
日本人も知らないようなことをよく御存じで、
日本人以上に日本を誇ってくださっていることが
本当にありがたく感じました。

たとえ怨讐であっても真の親であるがゆえに
受け入れて下さり、
不足なまま愛してくださるお方の胸に、
幼い私は娘として飛び込んでいけるようになりました。

今では毎朝訓読しながら、
お父様の声が聞こえてくるようで、
涙があふれて参ります。



「メシヤは『泥沼に咲く蓮の花』のような方でした」
本当に名文だと思います。
これは、お父様を証しするぴったりの表現です。

罪深い私たちをとりなしてくださり、
地獄から救いあげてくださった真のお父様。
感謝以外の何物でもありません。

そして、私たちも
お父様そのものには、なれませんが、
氏族メシヤの立場を与えられています。
ですから、小さな蓮の花を目指して、
霊的生命の復帰に対して取り組むべき時だと思います。

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posted by ten1ko2 at 12:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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