2014年05月05日

〈夢の証し〉お父様のいらっしゃるところ… 真の子女になりたい!


IMG_2705.JPG

(昨夕見た彩雲。ちょうどスカイツリーの上に出ていました!)


昨日、ひさしぶりにお父様の夢を見ました。
お父様を中心にみんなで「新エデンの歌」を
韓国語で何度も歌っている場面でした。

私もその場にいるのですが、
最初のところは、日本語だと
「父のいますは」となりますが、
韓国語の聖歌だと、
「아버님이 계신 곳은(アボニミケシンゴスン)」
つまり、「お父様のいらっしゃるところは」
になります。

夢の中で、
「日本語は簡略化されてしまうけど、
韓国語は深い意味があるな、
やっぱり『父のいますは』ではなく、
『お父様のいらっしゃるところは』
と歌うと、気持ちの入り具合が違うよな・・・」
そんなことを思いながら、涙ぐんで歌っていました。

そして、何度も何度も歌って
歌が終わったのですが、
最後、お父様は全体の場ではなく、
私に「疲れた・・・」と言ってくださいました。

お父様は公的な場では
絶対に疲れた様子を見せることがないし、
そんな言葉を発することもないのですが、
個人的に吐露してくださったので、
本当に感謝するとともに、
霊界でもそのように歩んでおられるのだろうと思いました。



史吉子先生の「原理に関するみ言の証」の中に
『先ず、神様の完全な対象になりなさい』
という題目のところがあります。

史吉子先生は頭脳明晰でとても優秀なのですが、
場を読めないところがあるそうで、
真のお母様から
「あなたは神様に『知恵をください』と、
このように祈祷してお願いしなさい」
と言われたことがありました。

それで、神様に祈ってばかりいたといいます。
ある時「知恵をください」と
純真に切実に祈っていくと、
神様が「全く同じなことをしきりに言う。
うんざりだ。煩わしい」
といわれている感じがしたといいます。

それでもさらに祈っていくと、
神様から啓示が与えられたといいます。

あなたが今まで
私に祈りながら
与えてくれと言った知恵は、
あなたによって生ずるのではなく、
あなたが完全な私の対象になれば、
主体である私から
あなたに全て行くようになっている。
私のものがあなたのものになり、
あなたのものが私のものになる。


なので、知恵を得ることが重要ではなく、
神様の完全な対象になることが
何より重要だと悟ったのです。



ちょうど、今日は5月5日、「こどもの日」です。
「新エデンの歌」にある、
「真の子女となりて」の歌詞のごとく、
神様と真の父母様の子女になることを
決意する新たな一日にしていきたいと思います。

もちろん、ハングルも学ばないとですね!

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posted by ten1ko2 at 14:15 | Comment(3) | TrackBack(0) | 夢の証し ご父母様の夢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>夢で・・・

お父様が「疲れた・・・」と本心を吐露。

 タイトルの「・・・真の子女になりたい!」とは裏腹に反応が人ごとのようで実に残念です。
Posted by fatherfujioka at 2014年05月08日 01:02
>「日本語は簡略化されてしまうけど、
韓国語は深い意味があるな、
やっぱり『父のいますは』ではなく、
『お父様のいらっしゃるところは』
と歌うと、気持ちの入り具合が違うよな・・・」
そんなことを思いながら、涙ぐんで歌っていました。

日本語には和歌や俳句があります。和歌は57577の35文字で物事を表し、俳句は575の17文字で表します。

文字の制限があるところで最適の言い方が日本にはあるのです。

「父のいますは」の7文字を「お父様のいらっしゃるところは」の13文字にしたら歌にならないでしょうが。

そんな事も解からないのですか?

ブログ主様は7文字のところを13文字で歌えますか?
作詞した 金徳振のハングルを日本語に翻訳したのは誰かわかりませんが、翻訳した方に「韓国語は深い意味があるな、
やっぱり『父のいますは』ではなく、
『お父様のいらっしゃるところは』
と歌うと、気持ちの入り具合が違うよな・・・」と言えますか?

もし言えないようならブログに書くべきでは無いのでは無いでしょうか?

そして日本人の情緒豊かな表現をきちんと汲み取るべきではないでしょうか?
Posted by 田黒吾寛 at 2014年05月11日 08:33
田黒さん、コメントありがとうございます。
まず、今回の件に関しては、夢の中で感じたことが前提であることをご理解ください。
また、「お父様のいらっしゃるところは」という13文字であるかも知れませんが、実際にはハングルの歌詞を通して、感じたことであり、日本語の歌詞を否定したつもりはありません。
ハングルの歌詞を歌いながら、意味をかみしめて、夢の中で日本語に訳すと、「お父様のいらっしゃるところは」という風になるな、そう思って感動したのです。
少し言葉足らずだったと思います。申し訳ありません。
また、日本の俳句や短歌は素晴らしい言語表現であることは否定しませんし、短い文章の中に豊かな情緒表現があることも認識しております。
Posted by ten1ko2 at 2014年05月12日 05:09
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