おととい記事にした、
「聖進様のお母様は、もし先生が傷を受けたなら、
自分のももの肉を切り、張りつけてあげたとしても
惜しくないほど先生を愛したんだよ。その女性と別れたんだよ。」
このみ言がとても強烈に焼きついています。
知人の姉妹は、私の記事を読んだあと、
お父様のお写真を見て、「涙が止まらない」
そうメールをくださいました。
もう少し当時の様子を知りたいと思い、
金元弼先生の証しを見つけたので、
紹介します。
☆
お父様を訪ねて、釜山に向かう聖進様のお母様の心中はどうだったでしょうか?
幸福な家庭を築くことを夢見て、訪ねてきたのです。
韓国動乱を前後した七年間は、どれほど長く感じられたことでしょう。
ところが、お父様がおられた所は、立派な家でないだけでなく、
惨めな小屋で生活しておられたのでした。
それだけでも失望する内容です。
そのとき、お父様は人々にみ言を語り続けておられました。
そのときお父様は、「入ってきなさい」と言われました。
しかし、聖進様のお母様は入ってこられませんでした。
お母様は、お父様が本気になって入ることを勧めると思ったのでしょう。
ところが、お父様はその後、入るように言われなかったのです。
お父様は、食口を生かすために完全投入され、
み言を語られておられた時ですから、
途中でやめることはできなかったのです。
み言を聞いていた食口も、
「本当にご苦労様でした。おふたりでゆっくりしてください」
と、その場を空ければよかったのですが、何も理解できなかったのです。
夜になっても、食口たちは帰らず、そこで泊まりました。
翌日になっても帰らず、食口たちはお父様の愛を独占していたのです。
このように、聖進様のお母様にとって食口たちが怨讐となったのです。
ところで、お父様は妻子と弟子のどちらかをとらなければならないとしたら、
弟子をとらざるを得ません。
聖進様のお母様がどのような行動をとられたかは、ご存じでしょう。
そのため、食口たちはお父様から離れていったのです。
すると、お父様は食口たちの所に訪ねて行かれたのです。
そして、家にもお父様は帰らなくなったのです。
そうして、お母様は聖進様を連れて釜山を離れたのでした。
お父様は釜山での親子の対面の時のことを、次のように語られたことがあります。
「子供(聖進様)が七歳になったとき、初めて会ったのです。
その時は、食口たちと一緒に過ごしていた時でした。
おばあさんたちを生かそうとしていた時でした。
わたしの息子が来たといって、
わたしが喜んで迎えると条件に引っかかってしまいます」
その時は、食口たちと一緒に過ごしていた時でした。
おばあさんたちを生かそうとしていた時でした。
わたしの息子が来たといって、
わたしが喜んで迎えると条件に引っかかってしまいます」
お父様は、私には洋服や靴など、いろいろと買ってくださいましたが、
聖進様には鉛筆一本も買われなかったのです。
お父様は、ご自分の家庭を犠牲にされて、私たちを救おうとされたのです。
「統一教会創立43周年記念インタビュー
『お父様の心情を求めて』より抜粋」
『お父様の心情を求めて』より抜粋」
☆
聖進様のお母様は、素晴らしい女性だったといいます。
メシヤの妻になったがゆえに、
言うにいわれない苦労の7年路程を経ておられたんだな、と思います。
しかし、最終的にみ旨をいくお父様を受け入れることができず、
悲しい結果となりました。
その聖進様のお母様を愛するということも含めて
勝利してくださった真のお母様の路程が
更に厳しかったことを推察する時に、
お父様、お母様の心情がいかばかりだったか、胸が痛みます。
み旨の道の「み旨」というところに
こういうみ言があるのを思い出しました。
モーセはみ言の十字架、
イエス様は肉体の十字架、
再臨主は心情(愛)の十字架。
イエス様は肉体の十字架、
再臨主は心情(愛)の十字架。
自分の最も愛すべき妻以上に
私たちを愛してくださった真のお父様。
もし、私がそのボンネッコルに
金元弼先生の代わりにそこにいたとしても、
お父様はきっと愛してくださったに違いない、
そんなお父様の愛を受けている私であるのだ、
そのことを思いつつ、
ご父母様に感謝の思いを捧げたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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