2014年06月16日

(草創期の証し)はじめての「路傍演説!」 〜周藤先生の場合?!


開拓伝道.jpg


初めて、新宿の繁華街に立ち叫びました。

「親愛なる新宿の兄弟姉妹の皆様!」

すると驚いたことには、考えてもいなかった言葉が
口からすらすらと流れ出てきました。
その日以来、とても幸せを感じ、
ほとんど毎日、街頭演説をするようになったのです。




草創期の雰囲気・・・
そんなことを思いながら、古い先輩方の歩みを
綴らせていただいています。
また、少しでも相続させていただきたいという思いもあります。

今回は、周藤先生が導かれたとき、
また、最初に路傍演説をされたときの証しです。


ある日、大阪駅の近くの歩道を歩いていると、
路傍で演説する声が聞こえてきました。
見ると、小柄な女性が世の終末について話していました。
忘れもしない一九六二年の晩春のことです。

その女性の話は、「世の終わり」というものを信じているような口調でした。
私はそのパンフレットを一目見て感動したのですが、
そのころ耳の不自由な子供たちに責任を持つ仕事をしていたので、
なかなか教会を訪ねる機会がありませんでした。

ようやく路傍で会った長谷川みつゑ(旧姓・竹内)さんを訪ねたのは、
既に若葉のまぶしい初夏でした。
私の突然の訪問に彼女はとても驚きましたが、
喜んで迎えてくれました。
そして「講義をしてくれる先生が戻るまで
待っていてください」と言われたのです。

間もなく五十代の韓国人女性が入ってきて、
大統領夫人よりも素晴らしく見える笑みを私に投げかけるのです。
その女性は松本道子さん(松本ママ)でした。
松本ママは座るやいなや、私に講義を聴くかどうかを尋ね、
その返答も待たずに「創造原理」を語り始めました。
松本ママは「プラス、マイナス、プラス、マイナス」
と何度も何度も繰り返すのです。

三十分ほどして、話す内容に事欠いてしまったのか、講義は終わりました。
彼女は自信たっぷりにほほえみながら、私にこう尋ねました。
「どのように思われますか?」。
私は大学で科学を専攻していたため、その話のあまりのお粗末さに、
おかしすぎて何も言えませんでした。

にもかかわらず、その後もその教会に通い続けたのです。
その理由は、教会の人たちが食事を出してくれるので、
自分でお皿を洗う必要がなかったからです。
もう一つ付け加えれば、彼らはとても私によくしてくれ、
ただ「一時間かそこらの間、座っていなさい」と言うだけだったからです。


西川先生から原理講義を聴いた次の日の午後、
小宮山さんが私の所へ来ました。
そして、「一緒に出掛けよう」と私を誘うのです。

私は、どこに連れて行かれるのかも、
何が起こるのかも知らないままについて行くと、
三、四十分ほどバスに乗り、人通りが多くて有名な新宿駅に着きました。
“食事に行くのかな? それとも映画かな?”と考えを巡らせていましたが、
そのどちらでもありませんでした。

小宮山さんは、最も人通りの多い交差点へ行って、
街頭演説用の看板を取り出し、そこに取り付けたのです。
そして、彼は身震いするほど大きな声を出して、
腕を振り上げながら演説を始めました。

しばらくして、一人の人が私たちの所に近づいてきました。
その人は、「(小宮山さんが)何を言っているのか
さっぱり聞き取れないのだが、
何か命懸けで話しているように見えるのだけれど、
いったい何について話をしていたのか知りたい」と言ってきたのです。

そのとき私は、“小宮山さんは私に、
どのように街頭演説をするのか
見せようとしているのだ”と気楽に考えていました。
しかし間もなく、演説をやめ、汗びっしょりになりながら、
「さあ、今度は君がやりなさい」と言うのです。

私は驚きのあまり、“このまま走って逃げてしまいたい”
と思いました。
“こんなことをやるくらいなら教会を辞めたい”
とも思いました。しかし、そうすることもできないので、
完全に窮地に立たされたのです。
もう私は、死んだも同然でした。
恐る恐るその場所に立ち、
小宮山さんが演説したのと同じように叫びました。

「親愛なる新宿の兄弟姉妹の皆様!」

驚いたことには、考えてもいなかった言葉が
口からすらすらと流れ出てきました。
自分自身、何を言っているのかは分かりませんでしたが、
分かったのは、自分が“これはすごいことだ”
と感じているということでした。
その日以来、とても幸せを感じ、
ほとんど毎日、街頭演説をするようになったのです。



松本ママの『プラス・マイナス』には、
思わず微笑んでしまいますね。
しかし、知的な面が云々よりも、
食事でもてなされたこと、また
その場の暖かい雰囲気などを通して、
周藤先生の心に響いたものがあったのではないかと思います。

今は、一対一訓読など、講義慣れしなくても、
できるツールはそろっていますが、
たとえ、少しつたない講義だったとしても、
心情が大切だし、伝道はやはり
私たちがする、というのではなく、
神様がしてくださるものなのだ、と感じます。

それにしても、昔の先輩方の伝道の基準は
並大抵なものではありませんでした。

その後、周藤先生は、40日修練会を
主管されるようになりました。
そこでも街頭演説をしましたが、
その時の証しです。


この修練会の締めくくりとして、千葉県勝浦市で街頭演説をしました。
チームごとに順番に街頭演説をしようとしていたとき、
雨が強く降りだしたのですが、大雨も青年たちの
燃え上がる心情を止めることはできませんでした。
それどころか、若い回心者たちの信仰の火は、
より一層、燃え上がったのです。

彼らは、嵐の中に飛び出していって演説を始め、
手を上に掲げながら民衆に向かって大声で叫びました。

「天国は近づいた!」

涙ながらに叫ぶのです。
すると、雨の中からだれかがやってきて質問しました。
「それはキリストが再臨されたということですか?」。
「そうです!」と、私たちは答えました。

街頭演説から帰る電車の中でも、
その一時間ほどの間に乗客たちを伝道するのです。
車内が狂信的な雰囲気になり、
乗客たちは“この人たちは狂っている”と感じているようでした。
私は後ろで、静かに立っていました。
電車の中が混乱してきましたが、
駆けつけた車掌もどうすることもできませんでした。


本当に霊的に復興していたのが分かります。
聖霊の火、み言の炎といいますが、
そんな熱い魂に導かれ、伝道したくてたまらないという
日本の草創期の歩みだったのだと思います。

こんな基準で歩むことは出来ないかも知れませんが、
しかし実践することを通して、
私たちに対しても、霊界の協助があることを感じます。
夢中で歩むと、心地よさも感じます。

私の教会も、私自身を含め、歩むメンバーも幼く、
足りない者たちであるかもしれませんが、
実践している姿を、神様とお父様のが喜んでくださり、
勇気と励ましを与えたい、
そんな風に思っておられるのに違いありません。

統一教会は、すばらしい真理をもっています。
しかし、頭でっかちで、実践が足りない、
だから復興しないのだと、ちょっと痛いですが、
最近ある人からの、そんな言葉も伝え聞きました。
実践する者を、神は喜んでくださり
必ず祝福を与えてくださる・・・
この思いを胸に、これからも頑張っていきます。


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