初めて、新宿の繁華街に立ち叫びました。
「親愛なる新宿の兄弟姉妹の皆様!」
すると驚いたことには、考えてもいなかった言葉が
口からすらすらと流れ出てきました。
その日以来、とても幸せを感じ、
ほとんど毎日、街頭演説をするようになったのです。
「親愛なる新宿の兄弟姉妹の皆様!」
すると驚いたことには、考えてもいなかった言葉が
口からすらすらと流れ出てきました。
その日以来、とても幸せを感じ、
ほとんど毎日、街頭演説をするようになったのです。
☆
草創期の雰囲気・・・
そんなことを思いながら、古い先輩方の歩みを
綴らせていただいています。
また、少しでも相続させていただきたいという思いもあります。
今回は、周藤先生が導かれたとき、
また、最初に路傍演説をされたときの証しです。
☆
ある日、大阪駅の近くの歩道を歩いていると、
路傍で演説する声が聞こえてきました。
見ると、小柄な女性が世の終末について話していました。
忘れもしない一九六二年の晩春のことです。
その女性の話は、「世の終わり」というものを信じているような口調でした。
私はそのパンフレットを一目見て感動したのですが、
そのころ耳の不自由な子供たちに責任を持つ仕事をしていたので、
なかなか教会を訪ねる機会がありませんでした。
ようやく路傍で会った長谷川みつゑ(旧姓・竹内)さんを訪ねたのは、
既に若葉のまぶしい初夏でした。
私の突然の訪問に彼女はとても驚きましたが、
喜んで迎えてくれました。
そして「講義をしてくれる先生が戻るまで
待っていてください」と言われたのです。
間もなく五十代の韓国人女性が入ってきて、
大統領夫人よりも素晴らしく見える笑みを私に投げかけるのです。
その女性は松本道子さん(松本ママ)でした。
松本ママは座るやいなや、私に講義を聴くかどうかを尋ね、
その返答も待たずに「創造原理」を語り始めました。
松本ママは「プラス、マイナス、プラス、マイナス」
と何度も何度も繰り返すのです。
三十分ほどして、話す内容に事欠いてしまったのか、講義は終わりました。
彼女は自信たっぷりにほほえみながら、私にこう尋ねました。
「どのように思われますか?」。
私は大学で科学を専攻していたため、その話のあまりのお粗末さに、
おかしすぎて何も言えませんでした。
にもかかわらず、その後もその教会に通い続けたのです。
その理由は、教会の人たちが食事を出してくれるので、
自分でお皿を洗う必要がなかったからです。
もう一つ付け加えれば、彼らはとても私によくしてくれ、
ただ「一時間かそこらの間、座っていなさい」と言うだけだったからです。
☆
西川先生から原理講義を聴いた次の日の午後、
小宮山さんが私の所へ来ました。
そして、「一緒に出掛けよう」と私を誘うのです。
私は、どこに連れて行かれるのかも、
何が起こるのかも知らないままについて行くと、
三、四十分ほどバスに乗り、人通りが多くて有名な新宿駅に着きました。
“食事に行くのかな? それとも映画かな?”と考えを巡らせていましたが、
そのどちらでもありませんでした。
小宮山さんは、最も人通りの多い交差点へ行って、
街頭演説用の看板を取り出し、そこに取り付けたのです。
そして、彼は身震いするほど大きな声を出して、
腕を振り上げながら演説を始めました。
しばらくして、一人の人が私たちの所に近づいてきました。
その人は、「(小宮山さんが)何を言っているのか
さっぱり聞き取れないのだが、
何か命懸けで話しているように見えるのだけれど、
いったい何について話をしていたのか知りたい」と言ってきたのです。
そのとき私は、“小宮山さんは私に、
どのように街頭演説をするのか
見せようとしているのだ”と気楽に考えていました。
しかし間もなく、演説をやめ、汗びっしょりになりながら、
「さあ、今度は君がやりなさい」と言うのです。
私は驚きのあまり、“このまま走って逃げてしまいたい”
と思いました。
“こんなことをやるくらいなら教会を辞めたい”
とも思いました。しかし、そうすることもできないので、
完全に窮地に立たされたのです。
もう私は、死んだも同然でした。
恐る恐るその場所に立ち、
小宮山さんが演説したのと同じように叫びました。
「親愛なる新宿の兄弟姉妹の皆様!」
驚いたことには、考えてもいなかった言葉が
口からすらすらと流れ出てきました。
自分自身、何を言っているのかは分かりませんでしたが、
分かったのは、自分が“これはすごいことだ”
と感じているということでした。
その日以来、とても幸せを感じ、
ほとんど毎日、街頭演説をするようになったのです。
☆
松本ママの『プラス・マイナス』には、
思わず微笑んでしまいますね。
しかし、知的な面が云々よりも、
食事でもてなされたこと、また
その場の暖かい雰囲気などを通して、
周藤先生の心に響いたものがあったのではないかと思います。
今は、一対一訓読など、講義慣れしなくても、
できるツールはそろっていますが、
たとえ、少しつたない講義だったとしても、
心情が大切だし、伝道はやはり
私たちがする、というのではなく、
神様がしてくださるものなのだ、と感じます。
それにしても、昔の先輩方の伝道の基準は
並大抵なものではありませんでした。
その後、周藤先生は、40日修練会を
主管されるようになりました。
そこでも街頭演説をしましたが、
その時の証しです。
☆
この修練会の締めくくりとして、千葉県勝浦市で街頭演説をしました。
チームごとに順番に街頭演説をしようとしていたとき、
雨が強く降りだしたのですが、大雨も青年たちの
燃え上がる心情を止めることはできませんでした。
それどころか、若い回心者たちの信仰の火は、
より一層、燃え上がったのです。
彼らは、嵐の中に飛び出していって演説を始め、
手を上に掲げながら民衆に向かって大声で叫びました。
「天国は近づいた!」
涙ながらに叫ぶのです。
すると、雨の中からだれかがやってきて質問しました。
「それはキリストが再臨されたということですか?」。
「そうです!」と、私たちは答えました。
街頭演説から帰る電車の中でも、
その一時間ほどの間に乗客たちを伝道するのです。
車内が狂信的な雰囲気になり、
乗客たちは“この人たちは狂っている”と感じているようでした。
私は後ろで、静かに立っていました。
電車の中が混乱してきましたが、
駆けつけた車掌もどうすることもできませんでした。
☆
本当に霊的に復興していたのが分かります。
聖霊の火、み言の炎といいますが、
そんな熱い魂に導かれ、伝道したくてたまらないという
日本の草創期の歩みだったのだと思います。
こんな基準で歩むことは出来ないかも知れませんが、
しかし実践することを通して、
私たちに対しても、霊界の協助があることを感じます。
夢中で歩むと、心地よさも感じます。
私の教会も、私自身を含め、歩むメンバーも幼く、
足りない者たちであるかもしれませんが、
実践している姿を、神様とお父様のが喜んでくださり、
勇気と励ましを与えたい、
そんな風に思っておられるのに違いありません。
統一教会は、すばらしい真理をもっています。
しかし、頭でっかちで、実践が足りない、
だから復興しないのだと、ちょっと痛いですが、
最近ある人からの、そんな言葉も伝え聞きました。
実践する者を、神は喜んでくださり
必ず祝福を与えてくださる・・・
この思いを胸に、これからも頑張っていきます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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差し控えてくださいますよう
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