受難の源流 第2回目です。
今日は劉孝元(ユ・ヒョウウォン)先生の証しです。
いつか、導かれた証しを正式に知りたいと思っていましたが、
まさかこんな形で出会えるとは思っていませんでした。
劉孝元先生は、御存知のように統一教会の初代協会長であり、
原理講論を執筆された先生です。
病気で足が不自由だったのにもかかわらず、
3年6ヵ月間、毎日16時間の原理講義を情熱的にされたといいます。
亡くなって44年が経ちました。
☆
劉孝元氏は1914年、文師と同じ平安北道の定州郡に生まれ、
幼い時から村や学校で神童といわれた。
同氏は、定州の五山高等普通学校に通いながら、
内村鑑三の無教会派の集会に参加した。
その後、劉孝元氏は京城帝国大学(現、ソウル大学校)医学部に入学する。
そのとき、受験科目の数学は満点だったという。
合格の知らせを聞いた故郷では大騒ぎとなり、
多くの家から求婚が殺到した。
だが劉孝元氏は在学中、股関節カリエスにかかり大学を中退し、
治療のため故郷(定州)に帰った。
病魔との闘いはこの時から始まる。
劉孝元氏は、病気ゆえに何度も自殺を試みた。
母親はいつもそんな息子のそばで祈った。
家族の祈りは、祖国の独立と劉孝元氏の体の快復のためにささげられたのである。
劉孝元氏の祖父も、熱心なキリスト教徒だった。
祖父が近くに教会を建てるまでの六年間は、
毎週日曜日、約20キロメートルも離れた教会に徒歩で通い続けた。
このような祖父や父母の篤い信仰の家庭で育った劉孝元氏は、
幼い時からキリスト教の思想に感銘を受けていた。
劉孝元氏は、闘病生活中、聖書を原語で学び研究し始めたが、
聖書を読めば読むほど解釈において多くの疑問と矛盾にぶち当たった。
例えば、聖書には次のような聖句がある。
「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、
ほかの頬をも向けてやりなさい。
あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、
上着をも与えなさい」
(マタイによる福音書第五章39、40節)
“この聖句をそのとおりに実践すれば死んでしまう。
生きているとすれば偽善者だ”
このような嘆きと苦しみの中で、闘病生活を続けた。
そのようにせっぱ詰まったとき、劉孝元氏は文師と出会ったのである。
ふたりの出会いは、次のような経緯で訪れた。
梨花女子大学校の梁允永女史と劉孝元氏は親戚であったことと、
その妹が、劉孝元氏が釜山で文師と出会うきっかけをつくったのである。
「親族に聖書を熱心に研究している人(劉孝元氏)がいるので、一度訪ねてほしい」
と、彼女(梁允信女史)は教会の人に依頼した。
彼女は統一教会の人を案内して、劉孝元氏の家を訪問した。
劉孝元氏は、教会の人の話を聞いて興味を覚え、
その後、釜山の教会を訪ねた。
そのとき、文師は上京していたため不在であったが、
信徒の李鳳雲氏が彼を迎えた。
それは、統一教会が創立される半年前(1953年11月)のことである。
劉孝元氏は李鳳雲氏に、
「文鮮明先生が語られた内容の本があれば、見せていただきたい」と語った。
李鳳雲氏は、文師が直接、紙に鉛筆で書かれた『原理原本』
(教理の骨子に当たるもので、五冊のノートにまとめられていた)を劉孝元氏に貸し与えた。
『原理原本』は、一年の期間をかけて文師が1952年5月10日に書き上げたものである。
劉孝元氏は『原理原本』を読みながら、
感動で胸が震え、感嘆の声を連発した。
喜びと希望が満ち溢れてきたのである。
劉孝元氏は、何度も何度も読み続けた。
聖書を原語で読んでも理解できなかったことが、
見事に『原理原本』の中で解かれていたのである。
劉孝元氏は自分が今後やるべきことを悟り、喜びと責任と使命感に燃えたのだった。
劉孝元氏は文師と会う前に、『原理原本』を読んで
自分の生涯の行くべき道を決めた人物である。
『原理原本』の内容が、いかに劉孝元氏を感動させたかは量り知れない。
劉孝元氏が、後に文師と初めて出会ったとき、
ふたり21時間余り、互いにその場を離れなかったということからも、
そのことをうかがい知ることができる。
生死をかけて真理を求めてきた劉孝元氏と、
そのような人物を探し求めてきた文師が巡り会ったのである。
1953年12月24日から21日間
(12月24日から翌年1月18日までという記録もある)、
文師は劉孝元氏をはじめとする数人に直接、講義をした。
このとき、文師は寝る時間も惜しんで語り続けた。
講義は、一人でもいれば続けられた。
そのため、文師の講義を聞いていた人たちは、
トイレに行くときは合図を出して、一斉にトイレに行ったほどである。
この講義が終わった後、劉孝元氏が新しく教会に来る人に講義をするようになった。
☆
劉孝元先生は、もし股関節カリエスになっていなければ、
優秀な成績でソウル大の医学部を卒業し、名医になっていたかも知れません。
終末を感じ、聖書にも限界を感じる中で、
原理原本を通して、統一教会に入信されました。
原理原本に出会った劉孝元先生の感動はいかばかりだったでしょう。
お父様と最初に会った時に
21時間話されたといいます。
どんな会話をされたのでしょうか。。。
お父様もどれほど感激したことでしょうか。
話はつきなかったのでしょう。
本当に劇的な出会いだったのだと思います。
原理講論の『授受作用』のところで、
『相対基準を造成して、よく授けよく受ければ』
とありますが、お父様の全てを受け止められたので、
本当に深い関係を結ぶことができたのではないかと思います。
まさに神様が準備された方です。
そういう出会いを求めていきたいと思わされます。。。
韓国家庭連合のホームページにある劉孝元先生の紹介:
1960年 4月16日、史吉子女史と3家庭の祝福を受けて、
真の父母様に侍り、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の人生を初志一貫した劉先生は
統一家の初期協会長として、真なる原理人として
「百折不屈(※いくど挫折しそうになっても決して屈しない精神の意味)」の生涯を生き、
1970年旧暦6月21日、57歳で地上の生活を終えて霊界に入籍した。
1960年 4月16日、史吉子女史と3家庭の祝福を受けて、
真の父母様に侍り、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の人生を初志一貫した劉先生は
統一家の初期協会長として、真なる原理人として
「百折不屈(※いくど挫折しそうになっても決して屈しない精神の意味)」の生涯を生き、
1970年旧暦6月21日、57歳で地上の生活を終えて霊界に入籍した。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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