2014年10月12日

善進様の聞かれた周藤先生の入教の証しとは?! 旧・新・成約、3段階の摂理で導かれる!



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善進様を真のお母様の代身として日本にお迎えしたとき、
誰もが感動したのが、善進様の謙虚さであったといいます。
一世から学ぼうとされる姿勢を本当に感じたそうです。

善進様をお迎えした「先輩家庭の集い」においても、
善進様は日本の大先輩に対して、どのように入教されたのか、
そのきっかけを尋ねられたといいます。

周藤先生もどのようにして導かれたのか、
その経緯を聞かれて、本当に幼子のように
嬉しそうに証しをされたといいます。

周藤先生の証しはご存知の方も多いと思いますが、
昨年のニュースレターに掲載されていたので、紹介します。


私が統一教会に導かれたのは1962年の春、
大阪駅近くで路傍演説している女性に出会ったのがきっかけです。
当時、私は耳の不自由な子供たちの施設の教師をしていたので時間が取れず、
初夏になってやっと教会を訪ねました。

50代の女性から聞いた「創造原理」の講義はかなりお粗末に思えましたが、
温かい雰囲気に引かれて通い続けました。
7、8 回目の講義の後、「今、メシアが来られている」と知らされて衝撃を受け、
その方なら私の疑問に全部答えてくださると思ったのです。

高校時代の私はとても恥ずかしがり屋でした。
大阪大学で薬学を専攻し、成績も良かったのですが、
3年生のころから人生の問題について、深く考えるようになりました。
当時、クリスチャンの親友がいたのですが、
教会に誘われても「神を見せてくれたら行くよ」と言って面白がっていたくらいです。
ところがその直後、腎臓病で1年以上も床に就き、
死の恐怖から絶望的な孤独感に襲われました。

ある日、偶然読んだ生長の家の本に、
末期がんが治ったなど奇跡の癒やしの話がありました。
そこではっと気づいたのは、奇跡の前に懺悔があることです。
同時に、私の中には不純しかなく、誰も愛してこなかったことを思い知らされました。

深い悔い改めで7日間泣き続け、8日目に読んだのが生長の家の創始者、
谷口雅春先生の『甘露の法雨』です。
「宇宙をコントロールしている聖なる何かが存在する」と確信し、
生まれて初めてお祈りをしました。
その瞬間、黄金の光が私の全身を照らし、続いて真っ赤な光が私の脳天を貫きました。
数分間は何もわからず、茫然としていましたが、
ふと背中に何かを感じて手を当ててみると、今まで病んでいた腎臓がビリビリ震え、
翌日には病気がすっかり治っていました。

健康を回復した私は下宿の隣にあったバプテスト教会に通うようになり、
まもなく牧師から洗礼を受けました。ところが、
聖書の勉強を始めると「サタンとは何か」「永遠の命はあるのか」
「聖霊とは何か」など多くの疑問が湧いてきたのです。

大学を卒業し、教会学校の生徒と遠足を約束していたイースターの朝、
私はイエス様の「目覚めよ。われ復活せり」という声を聞きました。
交信がしばらく続いた後、
「十字架は私の願いでなく、天の父の願いでもなかった」と言われたのです。
その意味を知ろうと、滝に打たれたり、
太平洋の荒波が砕ける岩の上で一晩中祈ったりしました。そんな時、
統一教会の女性に出会ったのです。

私の疑問を解いてくれたのは、韓国から宣教に来ていた西川勝先生です。
「イエス様はイスラエル民族の不信仰のために亡くなられた。
もし十字架がなければ、理想世界は実現していた」と聞き、
「ここに本物があった」と思ったのです。
私は涙で生徒たちに別れを告げ、職場を辞めて教会に入りました。
真のお父様に報告したら、それは君が通過した
旧・新・成約の摂理であったのだと言われました。

当時、日本の教会員は28人しかおらず、
(杉並区)馬橋にあった教会は古い家の2 階の借間でした。
しかし、西川先生の説教は火を吐くようで、輝く瞳に心を揺さぶられます。
そして、新宿駅の雑踏で路傍演説をし、教会を支えるため
リヤカーを引いて廃品回収をする日々が始まったのです。
生活はみすぼらしくても、夢は「地上天国実現、天宙復帰」と大きなものでした。



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このような証しを善進様の前で
熱心に語られた周藤先生だったのではないかと思います。

真のお父様が
「君が通過した旧・新・成約の摂理であったのだ」
と語られたように、
周藤先生は、最初、「生長の家」の谷口先生を通し、
病気を克服し、そのあとクリスチャンになりました。
しかし、聖書の中に疑問を見出すことをきっかけとして、
統一教会に出会ったのです。

私たちも次元は異なりますが、
この道に出会う前にいろいろなことがあったと思います。
それを超えて、この道に導かれました。

かつてヤコブもハランの地で神様に出会い、
その出会いを忘れずに、ラバンおじさんを通しての迫害を越え、
エソウを屈服していきました。

私たちも、出発の原点を忘れずにしていきたいし、
貴い道に出会った感謝の思いを強く持ちながら、
多くの人たちにみ言を述べ伝えていきたいと思います。


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