2014年10月22日

人の「死」とは? 「聖和」は出発?! 〜御嶽山で犠牲になった食口たちを悼んで〜



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死は、別の世界に入っていくための再生
あるいは新生のようなものです




先日、親交のあった食口が聖和され(亡くなられ)たので、
帰歓式に家内とともに参加させていただきました。
統一教会では、帰歓式がこの世でいうお通夜
また、聖和式は告別式のことです。

聖和されたのは、4人のお子さんを持つ、まだ50歳の婦人です。
ご主人とは、ともに青年時代、み旨の最前線で歩んだ仲であり、
式の前に、少し話をしました。
9月に入院され、余命13ヵ月と言われたものの、
よくなる希望もあったのですが、
突然に体調が急変されたとのこと。
「何だか、今もこうしているのが、信じられず、夢であって欲しい
そう思わずにはいられません。。。」
彼の率直な心境でしょう。

亡くなった婦人は、明るく教会の活動をされていましたが、
職場や地域でも人望があったらしく、教会の内外から多くの参列者がありました。
心から、彼女を送ってあげたい、そう思う人が集ったのだと思います。

いつも元気いっぱいだった印象だけを残して
霊界に旅立たれた一人の婦人。
聞くところによると、それよりほんの数日前にも
同じ50歳の頑張っておられた婦人が聖和されているとのこと。

人の死というのは、予期しないでやってくるものです。
聖和というのは、さらに人知で計れないものがあると思います。

そして、聖和式行事というのは、とても感動的なものです。
これも、祝福式と並ぶ統一教会のブランドともいえるかもしれません。

神様のために御父母様のために歩み、
人々に為に生きる実践をし、どのような家庭を作ったのか、
見えない精誠の結実として、すべて証されるのが、聖和式の行事です。
りっぱに成長されたお子さんの姿は、親族や、一般の参列者にも
証しになるものだったでしょう。
また、御主人の姿を見ても、奥さんへの愛情が伝わってきて、
また会場に神様の愛が満ちて、一人の天の娘の
最後の門出となる、本当に素晴らしいセレモニーでした。



今回、御嶽山の噴火で、食口4人が犠牲になりました。
皆様もご存知のことかと思います。
今回、犠牲になられた52名の方たちとともに、
心からご冥福をお祈りいたします。

統一教会員が犠牲になったということもあってか
報道も過熱しました。
そこに対応したのが、本部広報局のスタッフでした。

最近作られた、『統一教会広報局サイト・雲外蒼天』に
掲載されていますので紹介します。



戦後最大の火山災害となった御嶽山の噴火で、愛する教会員4名が亡くなった。
私は広報の一員として、9月29日から10月11日まで、
4名が所属する東愛知教区本部の豊田教会でマスコミ対応に関わった。
一日100本を超える問い合わせの電話、訪問取材を受ける中で、
それまでは全く縁のなかった4名のことを詳しく知るようになった。
その結果、彼らへの敬愛の念が日ごとに強く湧くようになり、
あるテレビのニュースでは犠牲者のことを泣きながら説明する自分がいた。

驚いたのは、記者たちも同じだった。

「自分にも長山照利ちゃん(11歳)と同じ年の娘がいます。
棺のお顔を見て、この子のために何ができるかを考えさせられました」(放送局)

「長山さんのお父さんとは同じ世代です。深い悲しみを覚えました」(新聞社)

「Mさんの奥さん、ご主人なくしてこれから大変だよね。
実は自分の妻の名前とおんなじでね、字は違うけど。他人事とは思えなくて」
と香典を届けてくださった新聞記者の方等々。

そうは言いながら、ご遺族や関係者に対する取材は容赦がない。
学校の友達を探して一軒一軒戸別訪問し、
写真とコメントをもらうまで社に帰れない放送記者。
深夜でも当たり前のように電話してくる通信記者。
アポなしで一日に何度も訪ねてくる新聞記者。
私は「ストーカー取材」と名付けた。

周囲からそれほど嫌われても、彼らは取材の手を緩めない。
仕事だからということももちろんあるだろうが、
やはり使命感だということがよくわかった。
被害の本当の実態、深刻さは故人一人にとどまらない。
葬儀の取材を通して、残された家族一人ひとりの人生にまで
深く影響することを記者たちはよく知っている。
そしてそれを政府や国民にきちんと伝えることで、
二度と同じような事故が起きないような社会に変えていく
――そんな強い使命感だ。

自らが最もよく知り、それを広く社会に伝える。
このような作業を通じて、取材記者のなかに
「愛」を創造しているとは言えないだろうか?

名古屋と豊田の記者さんたち サランヘヨ!



今回、聖和された婦人も、
また御嶽山で犠牲になられた4名の食口たちも
あまりにも突然の出来事であり、
親族も関係者の方たちもどれほどの衝撃かと思うと
本当に表現するのが難しいくらいです。

しかし、私たちは、『聖和』すなわち、
霊界の世界へと送り出す貴い式典をするのです。
地上の世界だけでなく、霊界という
永遠の世界に向かう出発の場が、まさに『聖和式』なのです。

今回、ニュースレターに4人の食口の証が詳細に書かれていましたので、
明日、また紹介したいと思います。



私は、私たちの運動と教会の伝統を定める、
実にはっきりした声明をしようと思います。

世の中においては、死は、生命の終わりを意味します。
しかし、私たちの世界においては、
死は、別の世界に入っていくための再生
あるいは新生のようなものです。
特に、天国実現の目的のために、またその運動のために
生命を捧げる人は、特別のヒーローです。

ですから、私たちはそのようなときに陰鬱になったり、
悲しくなったり、がっかりしてはいけません。
その代わりに、使命を捧げた生命をもつ
霊人体の勝利を喜びましょう。

もし、私たちが地上において、とても悲しんだり、
陰鬱になったりすれば、それは、天国へ昇っていっている人を
地上にひきずり下ろしているようなものです。

このことは、赤ちゃんが一番目の母の胎から生まれるように、
二番目の宇宙的母の胎から別の世界へ誕生することです。

昇華式は、実際のところ、男性と女性が結婚する
結婚式に匹敵するものです。
それは、少しも悲しい場面ではありません。
それは、虫が繭を出て、束縛から自由になって、
新しい存在、新しい実体になるようなものです。
まさに同じ過程です。
私たちの生活の仕方や伝統において、
無形世界と有形世界は一つであり、
それまでの理想に従って生きることによって、
私たちは、二つの世界を一つにするのです。


(1984年1月7日 昇華式の重要性)



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posted by ten1ko2 at 13:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは
>長山照利ちゃん(11歳)
今朝の「あさチャン」で報じられていました。
同じ岩陰に避難した横浜市の男性に怪我の手当てや保護を受けつつ、二人して亡くなられたそうですね。
17人グループで登山とだけ報じられていたので、もしかしたらと思いつつ聞いていたら、やはり二世の子女でしたか…。
照利ちゃんのお父様が感謝の言葉を語っておられ、一人で逝ったのではなかったのならば、心強かったのではないかとも言っていました。
そうしなければならないとは言いませんが、
逆の立場で証を立てる食口の話はなかなか聞くことがありません。
非原理と呼んでいる世界にも、美しい魂のあることを肝に銘じる必要を痛感させられます。
Posted by 桜葉佳代 at 2014年10月23日 10:24
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