お母様が、「草創期の教会」に戻りなさいと言われます。
そこには、何があったのでしょうか。
武田吉郎著「受難と源流」、今回は、
「面会が信徒の唯一の喜び」というところを紹介します。
梨花女子大、延世大の事件後に巻き起こった
統一教会に対するひどいデマ、そして無実の罪で
お父様が西大門刑務所に収監されるという事態がおこりました。
その時、劉孝元(ユ・ヒョウウォン)先生、
金元弼(ウォンピル)先生など4人も一緒に収監されました。
教祖が刑務所に入り、残された食口たちは
どのようにしたのでしょうか。
☆
文鮮明師にとって収監は五回目であったが、
統一教会の四人の弟子たちは刑務所生活が初めてだった。
彼らは今まで収監された人たちとは、さまざまな点で異なっていた。
普通、刑務所に入ると自分の人生を悲観して、
三、四日間、食事が喉を通らないことが多いという。
ところが、四人の統一教会員は収監された初日から、
出された食事は何一つ残さずに食べた。
時には、屈託なく笑い、平然としていたので、他の囚人から、
「あなたがたは、慣れているようですが前科何犯なのですか?」
と聞かれる始末である。
四人の中の一人、金元弼氏は優しい声をしていたので、
女性に変装しているスパイではないかと疑われたこともあった。
彼らは刑務所内でお互いに出会えば、二、三日ぶりでも懐かしくて、
思わず手を取り合って喜んだ。
世界基督教統一神霊協会の初代協会長だった劉孝元氏は、
収監前は毎日、寝食を忘れて講義をしていた。
そのため、体もやせ細っていた。
ところが、収監後は毎回出される食事を残さず食べ、
決められた時間に休むせいか以前よりも太ったほどであった。
☆
西大門刑務所にいる囚人への面会は、
囚人一人につき一日一回で、三人以内に限られていた。
教会員たちは、文師に会おうと早朝から争って集まり、
西大門刑務所前は市場のようなにぎわいを見せた。
朝早く行って列に並ばなければ、
面会のチケットを得ることができなかったからである。
後に、混乱をなくすために面会する人の順番を決めるようにした。
同刑務所には、文師を含めて五人の統一教会の関連者が入っていたので、
一日合計十五人、面会場に行くことができた。
元来、収監されている人との面会場での握手は禁じられていた。
しかし、信徒たちは文師に会えばすぐに何度も握手を交わした。
やがて看守たちは、「握手をしないようにしてくれ」と頼み込むほどであった。
また、文師と面会に来た教会員が話をすれば、
そこにいる記録係の看守は面会記録をつける。
ところが、会話の内容は、“お父さん”(お父様)がどうのこうのという話であり、
一体全体、だれのお父さんについて言っているのか、
さらには話の内容も看守には理解できず、
結局はペンを置いて知らないふりをする以外になかった。
文師以外に面会するという手続きをして面会場に行った統一教会員は、
収監されている信徒に面会するのが真の目的ではない。
そのため、彼らとの面会時間が終わっても文師の姿を一目見ようと必死だった。
面会場は多くの人が行き来していたので、
人の中に紛れ込み文師との一瞬の出会いを待つ。
文師の姿を少しでも拝見してあいさつができれば、無上の喜びに変わった。
一方、文師は自分の苦難を忘れて面会に来た教会員を慰め、激励したのである。
文師が収監された三か月間、日曜日を除いて一日も欠かすことなく、
教会員は熱心に面会に通い続けた。
このように面会に来た人が多かったのは、
西大門刑務所が開所して初めてのことだった。
☆
文師と再会した教会員は、新たな勇気と力を与えられただけではなく、
さまざまな指示も受けた。
(梨花女子大を)退学させられた学生の一人、鄭大和さんは、
文師と面会したときのようすを次のように回顧している。
「面会場で文先生にお会いしたとき、私に、
『英語の勉強をするように』と言われました。
私たちはそのとき、信仰の問題でそれどころではありませんでした。
退学させられた十四人の学生たちは地方の出身者が多く、
家族に連れ戻された人が多かったのです。
教会では慰めてくれる人もなく、
統一教会の示す道が正しい道かどうかも分からなくなるようなときでした。
このような状況の中でも、統一教会が世界的になることを見通されて、
英語を勉強するように文先生は私に指示されたのです」
☆
世界基督教統一神霊協会が創立される2年前の1952年、
釜山で最初に伝道された姜賢實(カン・ヒョンシル)女史は、
文師に面会に行ったときのことを以下のように語っている。
「ある日、面会に行くと文先生は
『あの長老に会いなさい。あの教授にも会って話をしなさい』
とおっしゃるのです。
そのときは、新聞に統一教会のことがあまりにもひどく書かれているので、
恥ずかしくて顔を上げて歩くこともできないときでした。
それで、私は文先生に次のように申し上げたのです。
『今は絶対に伝道する状況ではありません』。
すると、文先生は『何が問題なのか。
真理であれば後には必ず勝利するようになっている。
真理でなければ途中で変わるが、真理は変わらないものである』
とおっしゃいました」
☆
免職になった梨花女子大学校の崔元福教授は、
「手錠をはめられたままの文先生と面会するのですが、
いつも穏やかな表情で私たちを励ます余裕をもっていらっしゃいました。
でも、私たちに何か伝えるべきことがあれば、瞬間的に指示されるのです。
その示される内容は、凡人には考えもつかない知恵に富んでいました」
と、当時を述懐している。
☆
政界で活躍した朴奉愛女史は、文師と面会した夜、夢を見ている。
文師のいらっしゃる監房のドアを開けて入ると、
同師は真っ白な服を着られ白いベッドに横になっておられた。
その横にイエス様が現れたという夢である。
☆
1953年4月、統一教会に入信した李秀卿氏が面会に行ったとき、
文師は何度も次のような話をされた。
「われわれの戦いは無言の戦いだ。
弁明をするな。
黙って善なることをすれば、いつかは認められるようになる。
今われわれが『悪くない』と言っても、彼らはそのように考えない。
悔しいことを忍耐しながら行くのだ!」
困難な環境でも、文師が教会員に明るい表情をして慰めてくれた姿を、
李秀卿氏は今も忘れることができないという。
☆
文師と教会員たちとの面会は、刑務所内で働く人々にも感動を与えた。
多くの信徒たちが毎日のように文師を訪ねて来て、
「先生、先生」と慕う、肉親の情を超えた美しい交流に心を打たれたのである。
面会場で立ち会った刑務官は、文師と劉孝元氏を
韓国最高の人格者であることを面会に来た人を前に証ししたほどであった。
なかには、文師と信徒たちがなぜ父母や兄弟以上に深い絆で結ばれているのかを、
どうしても理解できなかった人もいた。
そのため、その理由を探り出そうと、
面会に来た人に尋問するケースもあったほどである。
☆
私たちは「食口」と呼び合いますが、
真の父母様と本当の家族であるような、
深い心情の絆、そして命懸けでみ旨に燃える熱い信仰が
草創期の教会には、あふれていたようです。
収監された劉先生たちが、食事を残さず食べ、
太ったほどだったというのは、
監獄生活のほうが楽なくらいだったということです。
その当時の教会での生活がとても貧しく、
いかに寝食を忘れる熱心ものだったかというのを
物語る話であると思います。
それにしても、当時の食口たちのお父様を慕う
思いには、心服します。
まるで親鳥を失ったひな鳥のような
状況になったのでしょう。
お父様の顔を一目見たい、一言声を聞きたい、
そんなたった一人の親を慕う心情だったでしょう。
真のお父様は無実の罪で投獄されましたが、
食口たちが面会に来る姿を通して、
刑務官は、「この人はただ者ではない」
そう思ったに違いありません。
その時にお父様が、面会に来た食口に語られたみ言は
今の時代の私たちの心も打つ貴重なみ言であったと思うのです。
「今われわれが『悪くない』と言っても、
彼らはそのように考えない。
悔しいことを忍耐しながら行くのだ!」
「真理であれば後には
必ず勝利するようになっている。
真理でなければ途中で変わるが、
真理は変わらないものである」
厳しい迫害の中でありながら、
伝道するように促されながら、
そのように語られました。
今もなお、統一教会は理解されていない状況ではありますが、
しかし、あの当時の迫害から考えると
あまりにも活動しやすい状況であると言えるのではないでしょうか。
だからこそ私たちは声を上げて
叫ばなければいけないと思います。
文鮮明先生ご夫妻は、
人類の救世主、メシヤ、真の父母様です、と。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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