2014年11月28日

(証し) 「夢で会えたら!」 〜お父様の夢を819回見た人の証し〜



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「ああ、神様に会いたい」
「ああ、先生に夢でも会いたい」
それで、真心を尽くす。
それしかないね。




昨日お父様の夢の話をしましたが、
お父様の夢をたくさん見ておられる6000双の先輩がおられます。

その回数は何と、819回!!
どんな夢かと言いますと
先日見られた夢は・・・



食口がたくさん集まっている会場に到着されると、
お父様は、真の父母様の夢をたくさん見ている人を探し始められました。
ある人が私を紹介されたので、私はお父様のみ前に進み出て、
「820回ぐらい見ております」と申し上げました。
お父様は、とても喜ばれ、笑顔で、私にいろいろとお声を掛けて下さいました。



この先輩は、以前、中和新聞に夢の証しを
投稿しておられます。
お願いして、原稿をいただいたので、
皆様に紹介しますね。
(一部、編集しています)



私の出会った文鮮明先生
神様の似姿、神様との仲保者
「お父様の夢を通し、神様に出会う」


私はこれまで、お父様(文鮮明先生)の夢や幻を、
515回(2007年当時)見てきました。
最初に見たのは、1977年の4月で、
成約断食の5日目でした。
断食の最も苦しい時に、夢で、お父様から、激励を受けたのです。
その時から、30年余りになりますが、
この30年は、まさに、お父様の夢に励まされ、
導かれて、歩ませていただいた期間であったと思います。

1976年9月18日に、
アメリカで行われたワシントン大会の歴史的大勝利により、
翌年の1977年2月23日(陰暦1月6日)のご聖誕日は、
「天地勝利の日」として、記念されることになりました。
その時、お父様は、
「今後は、神様が自由に、先生の姿で、夢に現れるようになるよ・・・」
という内容のみ言葉を語られました。
私がお父様の夢を見たのは、それから、ちょうど50日目でした。
まさしく、お父様の、その勝利圏の恩恵の中で、
私は、最初の夢を見ることができたのです。

私はこれまで、修練会や大会などで、お姿を拝見する程度で、
個人的に、お父様にお会いする機会はありませんでしたし、
当然、名前も覚えていただいてはいませんでした。
でも、夢では、何度も、名前を呼んでいただきましたし、
親しくお声を掛けていただいたことも、数多くありました。
それはやはり、夢の中のお父様は、神様だからでしょう。

ところが、修練会などで、直接お父様とお会いできた時に、
夢で出会ったお父様と、実体のお父様とが、
同じ人として重なってしまうのを、何度も実感しました。
しかも、私が見た夢の内容を、お父様は、
すべてご存知でいらっしゃるような感じがしたのです。
特に、お父様と目が合った時には、確かに、そんな感じを受けました。
夢は、お父様のお姿を借りた神様であったとしても、
その内容は、すべて霊的(心情的)に、お父様にも連結されて、
お父様は、その内容を、感知することができるのではないかと思いました。

また、1974年に語られた「伝統の旗手」の中に、
『「ああ、神様に会いたい」。「ああ、先生に夢でも会いたい」。
それで、真心を尽くす。それしかないね。』
というみ言葉があります。このみ言葉と、
直接お会いした時の印象から、私は、
神様に出会うこと、夢でお父様に出会うこと、
それは、実体のお父様と心情的に出会うことでもある、という思いを持ちました。

最初のお父様の夢を見た時から、5ヶ月目に、
私は、筑波山に、一人で徹夜祈祷に行き、そこで、神体験をしました。
今から、ちょうど30年前で、私はその時、20歳になったばかりでした。
その後から、お父様の夢を見る機会が増えていきましたが、
それはやはり、神様、夢の中のお父様、実体のお父様が、
私の意識の中で、一つに繋がることができたからだと思います。

霊界では、神様は、真の父母様のお姿で、顕現なさると聞いています。
それだけに、夢というものは、その霊的な世界に通じているように思います。
神様が、夢の中で、お父様のお姿で現れるのは、
お父様が勝利された「真の父母」であるからでしょうが、
それにより、神様は、多くの人々に、そのお姿を顕現することが可能となりました。
これは、歴史的に考えますと、本当に凄いことだと思います。

神様と人間との仲保者である真の父母様は、
「天地勝利の日」における勝利圏により、完全に神様の似姿となり、
私たちは、「真の父母様の夢」という形で、
その恩恵の一部を、享受できるようになったのではないでしょうか。
この30年間で、お父様の夢を通して、神様に出会えた恩恵はとても大きく、
しかも、忘れられない貴重な出会いが、数多くありました。
特に印象に残る、お父様のいくつかの夢を思い出しながら、
改めて実感するのは、まさしくお父様は、神様の似姿であり、
神様と人間との仲保者である、ということです。



「神様に出会うこと、夢でお父様に出会うこと、
それは、実体のお父様と心情的に出会うことでもある」
これは本当にそうだと思います。

地上におられないお父様ですが
夢で出会えるとするなら、
『私自身』が地上での人生を終えて、
霊界に旅立ったときに、霊界のお父様から
「あなたは、こういう夢を見たね」
ときっと言われるに違いありません。

そういう意味でも、
今、夢でお父様にお会いするというのは
本当に貴重だなと感じます。

明日も続きます。

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posted by ten1ko2 at 10:22 | Comment(1) | TrackBack(0) | 夢の証し ご父母様の夢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつまでもお花畑でいいのだろうか・・・?
Posted by fatherfujioka at 2014年11月29日 00:16
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