2015年04月03日

ノアが摂理から外され、私たちが用いられる理由は?! 〈信仰の姿勢4〉



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☆黒石洞にて☆


愛と真理は
キリストという人格において
一つになり、
その人格の中に包摂される


(中村惣一郎先生)



地区長のみ言、今回が最後です。


私たちは、父母様の勝利圏ゆえに歩んでいます。
そして、父母様に愛され、許されて、
この場に立たせて頂いています。

ノアの家庭を見てください。
ノアは、神様からの命令を受けて、
120年間、箱舟を作り続けました。

それはどれだけ素晴らしい信仰でしょうか。
神様から一度命令を受けて、そのことをひたすらに信じて、
周囲の中傷を浴びながらも乗り越えていきました。

しかし、息子のハムがノアと心情一体化できなかったので、
ノアの家庭は摂理からはずされてしまったのです。

ノアの信仰は、私たちからすると
比較にならないくらい、素晴らしい信仰です。
しかし、天はノアの家庭を立てることができなかったのです。

私たちが摂理を勝利しなければなりませんでした。
何度祝福を受けた私たちでしょうか。

歴史上の中心人物を見たとき、
私たちは、摂理からはずされてもいい立場なのに、
今もまた歩むことを許されています。
摂理の最前線に立たせて頂いています。

これは、すべて父母様ゆえです。
父母様が私たちを愛してくださり
許してくださり、守ってくださっているゆえです。
御父母様は、サタンの讒訴がないように
完全に勝利圏を立ててくださいました。

父母様が愛の父母様で本当に良かったと思います。
もし審判の父母様であるとするなら、
一人も立つことが出来ないのではないでしょうか。

み言を元に編集しています
文責:ten1ko2



地区長のみ言を聞きながら、
中村惣一郎先生の証しを思い出しました。
「愛と真」、「審判と赦し」というテーマの証しです。

愛というものは人を包み込み、真理は善悪を審判するものです。
真理をもって人を分別していこうとすると、
愛を示すことができず、愛をもって赦し、受け入れると、
分別して導くことが難しい、と中村先生は、
信仰の初期に悩まれたそうです。

しかし、イエス様との霊的な出会いを通して、
「この全く矛盾するように見える二つのものは、
一つの人格の中において統合されるのだと感じ、
そしてその人格が、メシヤ、キリストということだと感じた」
といいます。

さらには、
「一人の人の人格の中にはこの二つのものが入り得る。
神様のみ旨を思い、摂理の最先端を走るとともに、
一番しんがりにあって傷ついた人々をいたわり、
抱いて進むことができる。
愛と真理はキリストという人格において一つになり、
その人格の中に包摂されるのだ」
そのように思わされたそうです。



お母様は、元老食口たちを集め、み言を語りました。
「あなたたちは責任を果たしましたか
果たしていないでしょう」
そのように言われながらも、
それでも最前線に立つことを願われています。

原理原則から見るならば、
あまりにも不足な者でありますが、
それでも愛の父母ゆえに、
許されて最前線でみ旨を歩むことができる私たちです。

愛され許されてこの場に立っている私である・・・
まさに感謝以外の何物でもありません。
感謝の心情を先立てながら、歩んでいきたいと思います。



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posted by ten1ko2 at 08:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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