お父様は1953年7月20日から
原理に対するみ言を語り始められました。
それではお父様はなぜ1953年に
原理宣布を始められたのでしょうか?
原理に対するみ言を語り始められました。
それではお父様はなぜ1953年に
原理宣布を始められたのでしょうか?
☆
金榮輝先生の特別集会のみ言
第2回目です。
興南解放のあと、南下され、
お父様が原理原本を執筆されたことについてです。
☆
釜山に到着してまず最初に実行されたことは
原理原本を執筆することでした
1951年5月11日から1952年5月10日まで
お父様がこのように1年間原理原本を書かれました
金元弼先生に聞いた話によると
お父様が北朝鮮におられた時
食口たちに原理について一言も
話されなかったそうです
北朝鮮の食口たちに毎日語られ、
多くのことを教えられましたが
時が至らなかったために
原理の内容を一言も語られませんでした。
お父様が興南収容所から釈放された後
平壌にいる全ての食口たちを訪問され
彼らと共に韓国に下ろうと提案されました。
けれども誰もお父様について行こうとしませんでした。
後でその方々に直接聞いてみると
万が一その当時に北朝鮮で原理について
学んでいたならば、お父様を拒否することは
なかっただろうと言いました。
かえってお父様にしたがって行ったでしょう。
彼らが言った話です
それゆえ彼らが立っていた立場と
現在の私たちの立場は完全に違います
☆
お父様は1953年7月20日から
原理に対するみ言を語り始められました。
姜賢實女史に開拓伝道の使命を与えられ
大邱に送りました。
それではお父様はなぜ1953年に原理宣布を始められたのでしょうか?
お父様は1953年に何歳だったでしょうか?
正確に33歳でした。
イエス様が33歳にこの世を発たれました。
お父様が正確にイエス様のその年に合わせて
使命を引き継いで行かれたのです。
お父様は何かをされる時にも
何の計画もなしに無造作に行ったりはされません。
必ず正確なプログラムに従って
全てのことを行われるのです。
☆
お父様は北朝鮮で
原理を語られずに伝道されました。
特に私たちが知っているのは、
興南において、み言をまったく語らずに
12名の弟子を立てられたということです。
精誠を捧げ、霊界を動員し、
先祖が導いたというのです。
33歳になるときまでは
原理を語られなかったお父様。
どれだけイエス様を愛し、
イエス様の土台で、ご自身が立っているということを
何よりも自覚されておられたのだと思います。
「正確なプログラムに従って
全てのことを行われ」た真のお父様。
霊界においても、そのようなプログラムの中で、
お母様を指導されながら、
摂理を進めておられるに違いないのです。
不定期に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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