神様のために
血を流し、涙を流し、汗を流す姿。
これが最大の贈り物。
☆
血を流し、涙を流し、汗を流す姿。
これが最大の贈り物。
☆
私たちは、何かあった時に、
神様にお願いしますが、
それが叶わなかった時、さて、どうしますか?
ファミリーフォーラムに紹介されていた
韓国・毎日宗教新聞会長のメッセージが、
とても素晴らしいと思いました。
この方は、プロテスタントの司祭をされておられるようです。
少し長いので、いくつか省いて紹介します。
☆
「神と人間」
私の親戚は、プロテスタント教会の篤信な勧士(長老の女性格)です。
ところで、昨年「もう教会を離れなければならない」と宣言しました。
理由は次のようでした。
これまで教会へ熱心に通いながら神に忠誠を尽くしたが、
神が自分の祈祷を聞き入れてくれなかったそうです。
息子がホテルの器物を壊して従業員に暴行を加え、警察署に拘禁されました。
それなりの理由もあり、親戚は、神に対して
息子が拘束されないようにしてくれと切実に祈りました。
ところが、その祈祷の内容はついに成就されませんでした。
親戚は、とても腹が立ちました。
「神様は私に対して、どうしてこういう仕打ちが出来るのか?」
と言って、神に対する怒りで心が一杯になりました。
人間は人間の力ではどうにも出来ない災難が起こったり、不幸な出来事が発生すると、
当然として「神は薄情だ」、「神が恨めしい」という話をよくします。
不幸の原因を神のせいにします。
そして、神に不幸を幸福に変えてくれと哀願します。
神は人間を保護してあげて、人間に福を与える方であると信じているからです。
大部分の宗教が、そのように信徒を教育して来たと思います。
ところが、自分の願いが成就されなければ、
「神は無慈悲な方だ」、「神はいない」と、神を恨んでは神を愚弄します。
神は栄光を受けて生きていながら、私の苦痛を無視するという考えのためです。
意外にも神を恨む人間は無神論者よりも有神論者が多く、
恨みの程度もはるかに強いようです。
神を信じない人間は何か良くないことが起きても、
大部分は先祖のせいにしたり、自分のせいにして、神に哀願する祈祷をしません。
宗教を信じる人は熱心に教会や寺に通いながら平和と博愛精神を学ぶものの、
その内面を覗いて見れば、自身と家族の安寧と幸福を祈る
御利益的な感情が大きく占めていることが分かります。
御利益信仰は、信仰対象との関係よりは自身の利益を求めるのが目的です。
厳密に問い詰めると、御利益信仰は宗教の教えではありません。
自自身と家族に不幸な出来事が起きる時、神に成就して欲しいと祈祷して
も結果が出なければ、神を恨んで信仰を捨てる人間もいます。
「病気を治して下さい」、「お金がよく儲けるようにして下さい」、
「子供の将来がうまくいくようにして下さい」、「これをして下さい、あれをして下さい」
と駄々をこねながら、神を自分の僕として働かせようとする人は、
いつでも神を恨んでは排斥する可能性が潜在している人です。
神ほどに可哀想な方はいないようです。
人間は神を単純に天空に存在する神と規定して、
人間が自分勝手な思いで神に接し、
人間が自分の都合通りに利用出来る存在だと思っています。
イエスに対しては救いを受けようと思って信じ、
神は願いを叶えてくれる存在として信じる人は、
神の僕でなく、神を僕としてこき使う罪人です。
その性根が強欲者と乞食と、どこが違うのでしょうか?
両親は子供が幼い時にはせがまれるままにやってあげて育てますが、
大人になってもせがまれれば、苦痛です。
人間は、神は思った通りに何でもなれるし、作ろうと思ったら、
その通りに作ることの出来る、そのような神として思っているようです。
神自身も、神が自然法則を定めたので、
それに従わない訳にはいかない方だと思います。
悪も強制的に防ぐ事も出来ず、殺すことも出来なくて、
努力しないで得ようとする事に対しても、
どうしようにも出来ない方が神ではないかと思います。
神は人間と万物を創造した父母であり、宇宙を主宰する方であるからです。
何が良くないことが起こったり、上手くいかなければ、
その原因を探して正そうと努力する考えを持たないで、
神を恨んでは神に何々をしてくれとすがりながら神を困らせるのは、
人間としての正しい行動ではないでしょう。
神は人間のために苦労しながら努力をしているのに、
神におねだりをして手を広げて待っているばかりであれば、
神はどんなにか、もどかし思いでいらっしゃる事でしょうか?
孝行息子・孝行娘は親の事情を知って
親が喜ぶ生活を送り、親の心の中にいる子供です。
親の事情を考えないで親に対してせがむだけの子供は、心配の対象です。
神を安らかに迎えようという考えをするのが、子供である人間の道理でしょう。
神の懐の中で抱かれようとせず、自分の願いだけを成就してくれと祈祷する人は、
子供のような人であり、神を利用して神をこき使おうとする人となります。
こういう人は、神がしようと思っている事と
神が自分に願われる事が何であるかを、知ろうともしません。
宗教人が真に神を信じて神を愛する人ならば、
自分の事情よりも神の事情と御心を知ろうと努力しなければならず、
神の御心を探る祈祷した後に自らの事情について祈祷するのが、
神の子供としての正しい心掛けはないかと思います。
☆
神様の事情、心情にたって、語られている
素晴らしいメッセージだと思います。
神様は生きて働いておられる
親なる神様である、ということを
私たちに教えてくださっています。
幼い子供は、愛を受ける事ばかりを願います。
また、凡人は、自分の生活に余裕があったら親孝行します。
しかし、孝子は自分の生活に困難があっても、
父母のために尽くそうとします。
家庭盟誓の2番にも
「家庭では孝子、国家では忠心、
世界では聖人、天宙では聖子の道理を・・・」とあります。
親の為に生きる「孝子」、さらには、国の為に生きる「忠臣」。
世界の為に生きる「聖人」、そして、神様の為に生きる「聖子」。
結局、全ては「親孝行する孝子」ということになります。
「私」を動機として、歩むのではなく、
神様・父母様に喜びをお返しする歩み、
そんな生活を送れるように努力しないといけないと思います。
☆
● 皆さんは、父親に捧げる贈り物がたくさんあります。
たとえ持っているものがなく、備えたものがなくても、
神様に捧げることができる贈り物があります。
それは、世の中の人々が楽しむようなものではなく、
神様のために血を流し、涙を流し、汗を流す姿です。
それが苦痛の父、悲しみの父、無念の父には、
最大の贈り物なのです。
● 孝子とは、父母の前で、得になることばかりをやって
愛を受ける人ではありません。
孝子とは、父母の悲しみに責任をもつために、
困難な場を訪ねていって責任を果たすことにより、
父母に喜びを捧げる人です。
ともに(天一国経典「天聖經」P330)より
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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