2015年09月30日

御嶽山噴火から1年! 感謝して天に奉げます!! 《遺族の手記 「永遠の家族」より》


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山頂で名前を叫びたい!

娘は、尊い立場、特別な立場、使命を
持って霊界に旅立ちました。
私たち家族にとっても、
より一層特別で、
尊い存在となりました。



御嶽山の噴火から1年。
犠牲になった4名の教会員。
そのご遺族、生存者…、
様々な思いが凝縮したこの1年だったことでしょう。

昨日に続いて「永遠の家族」より
紹介します。

18歳で聖和(逝去)された伊藤琴美さんのお父さんの手記です。
(中ほどは省略し、また抜粋し編集しています。)


私は一日も早く御嶽山に登りたいと想っています。
頂上で「琴美!」と大声で叫びたい。
あの時失った時間を取り戻したいし、
娘が見て感動した景色や風を感じ、共に喜びたい。
本当はあの日、山頂で待ってくれていた娘と、
その時間を共に過ごしていたはずなのですから。

毎日、御嶽山に設置された
定点カメラ映像を見ながらそう思っています。

2014年9月27日からずっと、
私たち家族は、娘の聖和と向き合ってきました。
父として、母として、兄として、弟として、
向き合わない日はありませんでした。

玄関から「ただいま!」と帰って来る姿。
部屋から居間に入って来たときの 顔。
不貞腐れた顔。
太鼓や教会の話をしている時の笑顔。
「行って来ます!」と言って玄関を出て行く姿。

机に向かって真剣に勉強している姿。
み言を読んで、たくさん線を引いていた本。
難しいい言葉の意味を聞いてきて説明したり、
一緒に考えたり・・・。
台所に立って嬉しそうに食事を作っている姿。
自然に、当たり前のように甘えて私の膝に
座ってきた時の嬉しさは忘れられません。

まるで昨日のことのように・・・
今でもいろいろな娘の姿が思い出されます。


娘は幼い頃の高熱が原因で、
片方の耳が聴こえないというハンデを抱えていました。
そのために、辛いことや傷つくことがあったと思います。
でも、自ら「変顔」をして皆を笑わせ、
気が付けばすっかり学校が大好きになっていました。

娘は「天父報恩鼓」という太鼓の指導員をしていました。
文先生から学んだ『ために生きる』精神で、
素晴らしい関係を築いていったのでしょう。
娘のひたむきな努力は、苦難の路程を歩まれた
文先生を彷彿させます。

娘は大学に入って英語力を深め、
海外宣教へ……、という夢がありました。
登山の次の日には、志望大学の見学に行く予定だったのです。
大学生になった娘の姿を見たかったです。

娘の聖和に対して私たちは、
どのように向き合い、今後生きていけばいいのだろうか……。
私はずっと祈ってきました。
すると、不思議な夢を見ました。

私には娘の姿が当たり前のように見え、
会話をしているのです。
さらに、いろいろなことを教わるのです。
娘と私の間には、悲しみも苦しみも寂しさも無く、
とても自然に向き合えるのです。
  

実際は、私には霊感があるわけでもなく、
その夢のように娘を感じられるわけではありません。
今でも私は、寂しくもあり、悲しくもあり、苦しくもあるのです。

あの山で娘が見つかったと伝えられた時、
私はずいぶん泣きました。
本当に涙が枯れるほど・・・。
しかしその瞬間に、こんな悲しみをこれ以上多くの人が
しないで欲しいという思いも湧いて来ました。

親孝行な御子女様を五人も失われている文先生ご夫妻は、
どれほどのご心情越えていかれたのだろう。
ご子女様に対する愛情を心の奥底にしまい込み、
私たちの前では表されない文先生ご夫妻。
このような悲しみをほかの人たちには味合わせたくない、
そう思っておられたのではないかと痛切に感じました。

今回、この重荷を四人の聖和者と四つの家庭が担いました。
寂しく悲しいことは言うまでもありません。
今でも、娘に代われるものなら
代わってあげたいという思いです。

私は、どれだけ時間がかかっても、
私自身が聖和するまでには、『感謝』という心で
地上の人生を締め括れるようにならねばならないと思っています。
簡単なことではありませんが、娘のためにも・・・。

娘は、尊い立場、特別な立場、使命を持って霊界に旅立ちました。
私たち家族にとっても、
「琴美」はより一層特別で、尊い存在となりました。



本当にいろんな思いを乗り越えてこられたんだろうと思います。
娘のために『感謝』で人生を終えたい、
その言葉がとても印象的でした。

何よりも霊界が存在しているということが感謝であり、
また、私たちが通過する以上の心情世界を
すでに真の父母様が乗り越えておられる、
そのことが感謝以外の何物でもないと思います。

4人の聖和者の方々と、犠牲になった方たちに
改めて心からご冥福をお祈りします。


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山頂の笑顔




2008年12月10日に語られたお父様のみ言

実の子供を五人も、自分よりも先に
霊界に送った親の気持ちがわかりますか?
それが先生の立場だよ。
五人の子女のひとり一人の聖和を、
『天の摂理を飛躍的に推進させるための
清い聖なる供え物として受け取ってください。
私は一切そのことを恨まず、
感謝して子女を天に捧げます』
・・・そういう祈りを捧げてきた先生である。


(徳野会長、聖和の辞より)




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posted by ten1ko2 at 09:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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