2016年03月26日

マグロ釣りは、神の解放、人類の解放、万物の解放?! 《金元弼先生の「お父様と海」》



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真のお父様は海を愛されました。
そして、魚釣りに精誠をこめられました。

金元弼先生が、お父様が
マグロ釣りのチャンピオンであると言う点を
5つにわけて解説してくださっています。


第一に、先生のマグロ釣りの目的ははっきりしています。

魚がたくさんいても、人々がどんどん魚を取り、また人口が増えると、
魚の資源はどんどんなくなり、食糧難が必ず襲ってくるようになります。
それで、先生は魚の養殖に非常に関心を示しておられました。

また今日のアメリカは、造船や水産業が非常に遅れている状態なのです。
それは、水産業に携わる人が一度海に出ると、三カ月以上帰ってこなくて、
奥さんたちがその帰りを待ち切れず、離婚率が高くなっていくからです。

ですから、離婚を恐れて若い人たちはなかなか水産業をやろうとしないのです。
それが水産業が振るわない、大きな理由の一つなのです。

そういう中で、アメリカを救い、世界人類の食糧問題を解決するという
遠大なる目的から、先生は水産業、造船業に早くから手を出されたのです。


先生は、生き物を殺すことに対して、
こういう理解を私たちにさせてくださいました。


「マグロは、いつかは年を取って死んでいく。
病気にかかって死んだり、事故で死ぬこともある。
また、他の魚に襲われて死ぬこともある。
いろいろな形でいつかは死んでいく。

しかし、万物には創造された目的があり、存在目的がある。
万物は、真の人によって愛の主管を受けなければならないのに、
人間が堕落したことによって、それを果たせずして死んでいくので、
万物には恨みがある。

真の人に主管され、その真の人に喜びを与え、
真の人の喜びを通して神に喜びを返すことができ、
それによって万物も神の喜びのためにあったということで、
その存在目的を達成していく」


ですからツナは、真の人のために犠牲になったという場合に、
その恨みは晴らされ、初めて存在目的を達成することができるのです。

こういう原理的な観点から見るときに、マグロを釣ることのできる人は、
メシヤと、メシヤによる真の子女しかいないということになるのです。

先生が取らなくても、いつかは全部死んでいき、
そうすると万物の恨みは全部残っていくのです。
それで先生において、その恨みを晴らしていくということが、
マグロを釣る目的の一つでした。


そして先生はそれを取るばかりでなく、どんどん養殖して、
人類の食糧難を解決するということにもかかわっていかれたのです。

オーシャン・チャーチの設立も、そういうきっかけからだったのです。
ですから先生がマグロを釣る目的は、神の解放、
人類の解放、万物の解放と、はっきりしているのです。


チャンピオンになった二番目の要因は、先生のマグロについての知識です。
先生はそれまでの知識に、常に新しい知識を加えていかれました。

まず先生は、ツナの生態から研究し始められました。
何が好きで、どういう所に好んで行くのか、
いつよくエサをかむのかということから始められたのです。

それは、多くの本を読まれたということではありません。
先生は、人の話を聞きながら考えられたのです。

次に先生は、釣るのに道具が必要ですから、まず釣り針を研究されました。
いろいろな釣り針を集め、どれが一番良いのかを常に考えられました。

そして先生が直接使ってみて、いろいろと構造を変えたり、
そればかりでなく、それにつなぐロープについても、
太さなどをいろいろ検討していかれました。
そのように、すべての道具を一つ一つ検討されたのです。

次に、エサを垂らすにも、いくつ垂らせばいいのか、
それもどのくらいの深さで垂らせばいいのかということも研究されました。
このようにして、すべての知識を得て、マグロ釣りにそれらを投入されたのです。


三番目に、先生は、マグロを釣るのに本当に心を投入していかれました。

というのは、先生はマグロを「魚の女王」だと言っておられ、
女王を迎えるためには、それ相応の道具を準備して
迎えなければならないと考えておられるのです。

魚を取ることを正業としている人は、
三週間かけて一匹取るのでは費用がたくさんかかって大変です。
それで彼らは、浮きの代わりに空きビンを使うのです。

しかし、先生は、そうしてはいけないということで、
当時四ドルほどの浮きをきちんと買って、
きれいにテープを巻いて使われました。

そればかりでなく、ロープを入れるかごにしても、
本当にお金をかけた良いものを使われました。
ロープも先生が買われ、直接深さを決めて使われました。

そして、エサをどんどんまかれるのですが、それは腐ったものではなく、
お金をかけて良いものを使われました。

世の中の人たちは、ただ切って投げるのですが、
先生はそれを喜ばれず、私たちがエサを切る時でも、
きれいに切って、真心をこめてまくことを願われました。

私たちがリンゴを切ってもらうとき、きれいに切ってあるのと、
でたらめにただ切ってあるのとでは、美しいほうを食べるでしょう。
万物も人間と同じで、魚もそうなのです。


また、船の上で動くときも、音を出して動くことを禁じられました。
その音が、マグロがエサに近寄るのを妨げるからです。
そして、エサなどを切っていると船の中が汚れるのですが、
先生は常にきれいにすることを願われました。

また、マグロがエサをかむ時間があり、
その時間帯が過ぎると、数時間は静かなのです。
そういう時間は疲れるので、ある時本を読んでいると、
「本を読むのではない」と言われました。
それは、釣りにすべての真心を尽くしなさいということです。

(月刊『ファミリー』一九八八年四月号掲載)



お父様は万物を心から愛しておられるのだと感じます。
それは、神様がどのようにマグロを創造していかれたのか、
その御心情を何よりもご存じだからではないでしょうか。

また、釣りをするときの精誠も本当に素晴らしいと感じます。
マグロは船の様子はわからないのですが、
マグロのためにもエサにも心をかけ、
船の中も整理整頓される真のお父様なのです。

釣りは伝道にも通じると言われます。
お父様の精神を相続していきたいと思わされます。

明日に続きます。


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