2016年04月05日

神様が働く私になる!! ウキウキ、ワクワク、「復興」するための3つの要素! 〈WEB説教〉



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阿部局長のWEB説教
<あなたは復興・復活していますか?>
説教内容を抜粋して紹介します。

復興・復活のためには、神様が役事する
復興した人生が必要であるといいます。


どのようにしたら、何をしたら
私たちの人生に神様が働いて下さるのでしょうか。

今日は神様が働くための要素として三つ紹介いたします。



第一の要素は「精誠を尽くす」ということです。
精誠に関するみ言を紹介いたします。


神様の愛を受けるためには、
どのようにしなければならないのでしょうか。
神様は、私たち人間に完全な愛をもってこられるので、
私たちは、完全な何かを投入しなければなりません。

「至誠感天(至誠、天に通ず)」という
韓国の格言があるのですが、それは天理に通じた言葉です。

精誠をすべて捧げるというのは、
内外のすべてを尽くすということです。

また言行一致、すべての実践、
内外のすべての生活圏までも合わせて捧げるということです。
それが精誠です。
(天一国経典「天聖經」P1169)




このように、精誠とは限界を超えて誠を尽くすことです。
外的な限界、内的な限界を超えて
神様に精誠を捧げた生活をすれば、
神様の役事があることでしょう。

真心を尽くして祈りを捧げること、
毎日継続して訓読の生活を捧げるなど、
信じる限界、愛する限界、為に生きる限界を超えて
善なる条件を立て続ける生活です。

ここで大切なことは、継続することです。

人間始祖・アダムとエバは神様のみ言を
最後まで全うすることができなかったように、
堕落人間は継続することが苦手です。

人間は継続することを通して成長します。
継続することを通して
本質的な人格を育むことができるものです。


また、精誠を尽くす時に大切なことは、
周りの人と比較するのではなく、
むしろ過去の自分と比較して、
今まで以上に精誠を捧げようとする姿勢です。

一人一人をよくご存じである神様ですから、
私たちは人と比較したり、
人と競争したりするという姿勢ではなく、
自分自身と真摯に向き合いながら自分の殻を破っていく、
挑戦していくという向上心が必要です。

何事も幼い初心者であっても、熟練者であっても、
各自が自分の限界に挑戦し為に生きる姿を見れば、
神様は喜ばれることでしょう。

「至誠感天」の字のごとく、
私自身の精一杯の誠を尽くすならば、
その姿を通して天は感動されて、
私たちの人生に働いて下さることでしょう。




次に、神様が働くための第二の要素は、
「神様中心の動機」です。

このことに関するみ言を確認してみましょう。


真の信仰の道というとき、真とは一つしかありません。
信仰の対象とは誰でしょうか。
絶対的な神様です。

信仰生活とは、神様のみ旨に合うように、
神様が願う目的地を訪ねていくためのものです。
「私」が願うものではないというのです。
信仰する人たちが願うものではありません。

今まで信仰界の混乱が世界的に広がったのは、
信仰の目的が自分を中心としてするのではなく、
神様のみ旨を成就するためのものであることが
分かっていないからです。
(天一国経典「天聖經」P830)


このように、私たちは何をするかという行動も大切ですが、
何を中心としてどんな動機で行うかが更に大切になります。

奉仕するにおいても、相手の幸せのために
奉仕する愛の動機の人もいれば、
自分の利益や名声のために奉仕する人もいます。

善なる行動であっても、動機が悪なる自己中心であれば
神様は働くことはできません。
常に絶対的な善の基準となる神様を中心とした心の姿勢を持ち、
自分の動機に敏感な人になりましょう。

神様は天の父母様なので、父母が願うこと、
父母が喜ぶことを成そうという孝子・孝女の姿勢に働かれます。
天の父母様が願う愛の動機で歩む姿勢を貫いていきましょう。

堕落人間は、愛を動機として出発しても、
時間の経過と共に変化します。
苦労や困難に直面すると自己中心の動機に変わってしまいがちです。

外的には精誠を尽くしても、
神様中心の動機がなければ善なる条件になることはできません。




さらに第三の要素として、大切なことは「悔い改め」です。
神様は悔い改める心の姿勢に働かれます。

復活の定義の中に次のような説明があります。

「罪を悔い改めて、昨日の自分より
きょうの自分が少しでも善に変わる・・・」
(原理講論P213)

このように、悔い改めてこそ、善に変わるという点が重要です。


人間関係でも、相手の問題や課題を発見した時に、
「あなたが問題です!あなたの責任です!」と指摘し、
追及するのではなく、そのような場面に遭遇したとき、
それを自分自身に対する神様のメッセージとして
受け止める姿勢が大切です。

「相対基準」という原理用語があるように、
私自身に同じような課題があるのではないか?
私の心の反映としてそのような姿を
神様が見せて下さっているのではないか?

「鏡の法則」という言葉があるように、
自分の姿が鏡に映し出されるように
教えて下さっていると受け止める姿勢です。

そして、それを自己責任として受け止め解決しようとする
「悔い改め」の心に神様の役事があります。


堕落人間の心の特徴は、
「自己中心になって、自己の位置を離れ、
傲慢になり、責任転嫁すること」でした。

神様が働く心の姿勢とは、それと反対に、
「神中心に、自己の位置を守り、謙虚に、
自己責任で善を繁殖させる」という姿勢です。

まさに、一言で表現すれば
「悔い改めて、自己責任でとらえる」ことです。
そのような人は善なる人生を創りだす力を持っています。


悔い改めに関するみ言を紹介いたします。


堕落した私たちが
神様の生命圏と愛の圏内に入るためには、
必ず悔い改めが必要です。

先祖から今まで、百の罪を犯したのなら、
それ以上の努力をして悔い改めなければなりません。

ですから、信仰生活において
悔い改めは欠かすことができません。
(天一国経典「天聖經」P819)


このように、神様の生命圏と愛の圏内に入るためには
「悔い改め」を欠かすことはできません。

「相手を変えよう」「環境が問題だ」という心の姿勢ではなく、
「自分が変わろう」「環境を創り出す」という姿勢こそ、
悔い改める人の特徴です。

家族の人間関係においても、安易に相手を責めるのではなく、
自己の悔い改めを土台に愛の実践をする者になりましょう。


私たちのみ旨における最大の実績は、
神様が役事してくださったという「証し」です。

神様の役事の証しがあふれる教会、証しが絶えない家庭こそ、
復興した教会、復活した家庭ということができます。
神様と共にある人生を歩んでいきましょう。



「精誠を尽くす」
「神様中心の動機」
「悔い改め」

日々の生活で心がけつつ、
神様を中心とした本当の復活・復興をなして、
神様を喜ばせる歩みをしていきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 10:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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