私たちの心は複雑で未成熟です。
本心と邪心が葛藤し、良心がいろんなところで
行ったり来たりします。
人類一家族を夢見ていますが、
私自身の心も体も一つになるのが、なかなか難しいです。
今日は、可知講師の集会で
印象に残ったところを取り上げたいと思います。
本心、良心、邪心についても説明されています。
☆
人間の心には、絶対的価値基準を中心とする本心と、
相対的価値基準を中心とする良心と、
偽りの価値基準を中心とする邪心の三つがあります。
良心はどんなに善に基づく心であったとしても、
価値判断基準がまだ完成していない成長の途上の場合は、
価値基準が各人により異なるため相対的です。
さらに心の中には知的側面と情的側面があるので、
三つの心にも両側面があります。
すなわち、邪心における自己中心的エゴ的情愛とエゴ的思考、
良心における人情的相対的情愛と相対的真理による思考、
本心における真の愛による情愛と絶対的真理による思考とがあります。
☆
では本心と良心と邪心との関係はどのような関係なのでしょうか?
善を指向する本心・良心と悪を指向する邪心との関係は、
対立的葛藤的関係になります。
また絶対的価値を指向する本心と
自分の価値基準に基づく良心との関係は、
調和的関係になる場合もあれば、対立的関係にもなります。
☆
次に、このような三種の心を持った人間と
人間の関係はどのような関係となるのでしょうか?
自分の心の中の良心と他人の邪心、
また自分の邪心と他人の良心とは敵対的関係となります。
すなわち他人の不正を見れば、自分の良心は反発し、
怒りを感じ、自分の邪心から見れば、
とがめる他人の良心に反発します。
☆
ところが人を人とも思わぬ邪心による行動に
怒りを覚えるまでは良しとしても、
その人間そのものまで否定し虐待してしまう場合があります。
虐待した人間にも良心があり、また自らにも同じ
邪心があることを忘れてしまうのです。
例えば他の民族や国家から虐待された時に、
「その民族は悪人ゆえに、その民族であれば
誰であろうが虐待してもいい」と考えて行動してしまう事が、
今日においても世界において多々見る事ができます。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、
否定すべきは罪であり、人そのものではありません。
罪を犯す人は罪のとりこになって罪を犯しているのに、
堕落人間はその人自身を憎み、虐待して問題を解決しようとします。
☆
また良心同士、邪心同士は調和的関係にもなりますが、
それは一時的であり、良心は価値基準が個々によって異なるため、
対立的関係ともなります。
邪心は自己中心的であるために、
利害が一致するときは調和的関係となっても、
根底が自己中心的であるため、最終的には対立的関係となります。
☆
したがって心と心において、一時的一体化ではなく、
真に調和一体化できる関係は、「本心と本心」の関係以外にはありません。
しかし、そこにおいて情緒においては真の愛であっても、
考え方が誤っておれば一体化できません。
また考え方が絶対的真理に基づいていたとしても、
人間の心の根である情緒が真の愛に基づかなければ真の一体化はできません。
それゆえ、真の愛と絶対的真理が両立した本心と本心の関係となったときに、
人間同士の真の一体化がなされるのです。
☆
一つとなるといっても、それぞれ自分勝手なことを
言っていては、一つになりません。
可知講師はこのような例をあげていました。
強盗は「お金を盗む」という利害関係は一致しているために
徒党を組むこともありますが、もともとの動機が自己中心なので、
独り占めをしたい欲望をもって、
強盗仲間を殺害したりすることもあるのだと。
ですから、邪心を中心として
一つになることはあり得ないということです。
絶対的価値観を提示できるのは、
それは真の父母様しかできないことであり、
その背後には真の愛があるのだということ、
それがどれほど尊いことであるのかを感じるのです。。。
☆
お父様のみ言
お父様のみ言
堕落した私たち人間の力では、
良心の機能を本然の位置に戻せる道はありません。
天との縦的な関係が垂直になることができずにいるからです。
六十五億の人類すべてが、自分なりの角度をつくり、
それが正統であり最高のものであると
錯覚して生きているのです。
絶対的基準を形成して測定できる
最短距離の垂直の角度が出てくるまでは、
救援を受けられる道を誰も探し出せないのです。
(天聖経)
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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