2016年07月02日

(証し) 朴普煕が、ナンバーワンの通訳者になった理由?! 「人事を尽くして天命を待つ」



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朴先生の証し、続編です。


だから私はどうしたのでしょうか。
お父様の言葉の魂、精神とみ言葉のキーポイントをつかむのです。

私はいつも両手を使います。
右手は耳に当てて必死にみ言葉を聴くのです。

そして、一番目のキーポイントはこれだ。
二番目はこれ、三番目はこれ、四番目はこれだと左の手の指で数えるのです。

それで私の番が来たら一番から始めるのです。
お父様の語られた精神で語ります。


例えば、お父様が怒りに燃えていらっしゃるときは、怒りに燃えて語り、
お父様が愛情を込めてささやいて語るときは、愛情を込めてささやくのです。

お父様が手を上げられれば私も同じように手を上げ、
撫でられれば、私も撫でる。

時たま、お父様は私にキスをすれば、私もお父様にキスするのです。
お父様にキスした男は私一人でしょう。

私はそれを躊躇することなく美しくやりました。
見る人はそれを演劇のように楽しみました。

お父様は狭い壇上で常に動かれます。
私もお父様と同じように動きながら韓国語を英語にします。
韓国語と英語の掛け合いのようで次第に盛り上がります。
これも授受作用です。


もう一つ重大なことは、文化の通訳です。
日本とも文化がこれだけ違うのに、アメリカとは大変な違いがあります。

東洋と西洋の違いはスープの飲み方一つをとってみても、
スプーンの使い方から違います。
東洋と西洋では正反対のことがたくさんあります。

東洋では「ご飯を食べなかったでしょう」と聞かれたとき、
食べていなかったら「はい、食べていません」と答えるのです。
しかし、アメリカでは「ノー」というのです。こんなことがたくさんあります。

お父様は説教にジョークを入れ、楽しませ、授受作用しながら語られますが、
お父様のジョークが西洋人の感覚ではおかしくないときもあります。
私には何の意味か分かっても、西洋人にそのまま言えばおかしくないし笑いません。

文化を通訳してアメリカ式に並べ替えなくてはならないのです。
これが文化の通訳です。
だから十年前にアメリカ人の生活、文化を学んでおいたことが
いかに重大であったかをつくづく感じました。


お父様の霊力は天から啓示のように降りてきて、それをみ言葉として放たれます。
原稿を読むような説教では、霊力が出ませんし、メシヤのスタイルではありません。

ところが、天から降りてくる内容をそのまま語られるお父様のスタイルは、
通訳としては大変困ります。
原稿がないということは準備ができないということです。
心情の通訳として準備するのはお祈りしかありません。

「原理講義をするときには、三時間お祈りしなさい」とお父様がいつも語られるように、
お父様のみ言葉を通訳するときにも三時間お祈りして臨めば完全に違います。

人事を尽くして天命を待つ姿勢で、
しかも謙遜でなければならないということを学びました。
自信をもったら負けです。


英語で十七時間、一体こんな訓練を受けた韓国人がいるでしょうか。
メシヤに訓練を受けた私しかいないはずです。
そのおかげで、私は通訳だけでなく英語の語り方まで徹底的に訓練されました。

韓国内では、一番英語がうまいのは朴普煕だと言っていますが、
本当はそうではありません。
私よりも英語がうまい英文学者はたくさんいます。

しかし、少なくとも大衆の前に立って話すときは、
だれも私にかなわないでしょう。
二十五年間、説教の通訳を通してお父様に訓練されたのですから。


一九七八年 、フレーザー委員会との対決も完全に勝利することができました。

外国人でありながら、アメリカの委員長を
見事に国会で打ち負かし勝利することができたのは、
通訳の訓練によって得たお父様の心情、魂、精神と、
英語を駆使する話術があったからです。

その時の私の姿勢もまた、「人事を尽くして天命を待つ」でした。


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確かにお父様と朴先生の間合いは、
本当に素晴らしいものでした。
お父様の韓国語の迫力、
そして、朴先生の的確な通訳・・・

心情が一つになっていたからこそ、
素晴らしい講演会、素晴らしい大会になったのだと思います。

アメリカにおいて、大きな大会の勝利の一つに
朴先生の通訳の勝利もあったのだと思いました。

もう少し続きます。。。

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