2016年07月26日

♪「嘆きを吹き飛ばせ」! 路傍伝道と廃品回収のスタート!! 《小室先生の草創期の証し》4


kubokihaihin.jpg
(大山先生と久保木会長)


小室先生の証し、続編です。


教会が、飯田橋方面(新宿区西五軒町)に移った後の
1961年3月末から路傍伝道が始まりました。

桜井節子さん、神山裕子さんと私の三人が、
日比谷公園で路傍伝道をしたのです。


桜井さんが黒板を持って「序論」の講義を始めると、
すぐに警官や日比谷公園の管理人が飛んできて、
「ここでは、やっていけません」と言うのです。

ここで引き下がれば、桜井さんが講義できなくなるので、
私は警官を相手に「警官の目的は何ですか。
罪悪世界をなくすことでしょう。
この講義は、罪悪世界をなくすための講義ですから、
邪魔をするのは警官らしくないですよ」という話をし始めたのです。

私は法律を勉強しているものですから、警察法のことまで持ち出して
警官と話をしたので、警官は講義をやめさせることができませんでした。

私と警官が話をしているので、公園を散歩している人は、
何事が起きたかと思って多くの人が集まってきました。
黒山の人だかりになったのを見て、
天はこのようにして人を集めるのかと思ったのです。

私と警官が話している間、桜井さんはずっと
「序論」の講義をすることができました。


美しい花園の日比谷公園で、黒板講義による路傍伝道ができたことは感謝でした。

日比谷公園以外では、渋谷では増田さん、
池袋では松本さんと澤浦さん、新宿では西川先生が路傍伝道をしました。


路傍伝道とともに、澤浦兄の発案で
「天職」と呼んでいた廃品回収が始まったのもこのころでした。

廃品回収は、両国の高橋さんという大きな廃品回収の問屋を中心に、
みんなでリヤカーを引きながらやったのです。
私はよく春日千鶴子さんと一緒に廃品回収に行きました。

両国は、坂が非常に多いのです。
リヤカーで坂を上るときには、後ろから押してもらわなければなりません。
そして上り終わると今度は下りです。
そのときいちばん大変だったのが、リヤカーを止めることでした。
上りも下りも苦労しました。


いちばん感動したことは、
ほかのメンバーがどんなに実績がないときでも、
西川先生は新聞や鉄くずをリヤカーにたくさん積んで帰ってくることです。

たとえ断食中であっても、西川先生が
リヤカーに廃品を山盛りに積んで帰って来るのには感心しました。

廃品回収が終わると、両国駅の近くにある粗末な焼きそば屋に行きます。
そこで醤油がかかった一杯三十円の焼きそばを、みんなで食べるのが喜びでした。

そうして食事が終わって午後二時ごろから、それぞれが伝道に出掛けたのです。

 
そのころ西川先生が、いつも口癖のように言われたことは、
「どんなにみんなが失敗しても万事益となる。
それは神様のためにやったことだから」と言って、
慰め励ましてくださいました。

西川先生はどんなに疲れていても、口笛を吹いて楽しそうに帰ってこられるのです。

西川先生が好きな歌が、「冷たい冬の木枯らしよ」で始まる
「嘆きを吹き飛ばせ」という聖歌でした。
その聖歌をよく歌って、私たちを励ましてくださったのです。


o0500032213256219905.jpg



日本の路傍伝道の出発、
そして、廃品回収を通しての万物復帰の出発は
このころに行われたのですね。。。

西川先生のみ言
「どんなにみんなが失敗しても万事益となる。
それは神様のためにやったことだから」
これは、今の私たちに通じるものでもあると思います。

何事も、果敢に実践していくことが
何よりも重要であると感じます。

不定期に続きます。



応援のクリックをお願いします


にほんブログ村



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック