2016年07月29日

CARPの先駆け、中大原研出発!! 「伝道は天がする!!」 《小室先生の草創期の証し》5


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天から声がしました。
「小室よ、泣かなくてもよい。
伝道はわたしがするのだから、
心配しなくてもいい」

「神様、私を用いて伝道してください」
徹底した祈りの結果、
多くの学生がみ言を聴き、
入教するようになったのです──


小室先生の証し、続編です。



路傍伝道や廃品回収をしているころ、西川先生から
「中央大学に『原理研究会』をつくらないか」と、言われたことがあります。
日本中、どこを探しても、まだどこにも
「原理研究会」がないときのことです。

1961年4月には、新入生を対象に
「原理研究会」の募集を始めました。
多くの学生たちは興味を持って、このサークルに集まってきたのです。


原理研究会の顧問に、どの教授に
なっていただいたらよいか随分と悩みました。
原理研究会が当時の日本の大学には
まだつくられていないサークルなので、
どの教授が納得してくれるか分からなかったからです。

政治学の小松春雄教授の講義を聞いているときに、
小松教授が日本の現状を憂う講義を時々されるので、
一番前の席に座ってできるだけ小松教授に顔を覚えてもらえるよう努力し、
講義を真剣に聞いている態度を見せました。
五、六回講義に出てから小松教授の部屋を訪れたのです。

もちろん訪れる前に、四日間の断食をしました。
教授の部屋に入ると、小松教授は私の顔を覚えていてくれて
原理研究会の趣旨を聞いてくださいました。
中央大学の精神的支柱を確立し、家族的情味のある
中央大学にするのが会の目的であることを、情熱を込めて語りました。

それを聞かれた小松教授は「顧問になっていいよ」
とおっしゃったので、とても神に感謝しました。
別の教授にも働きかけると会の趣旨に賛同していただきましたが、
学生に人気のあった小松教授を原理研究会顧問に選んだのです。

二十数年後、小松教授の自宅に妻と一緒に訪ねたとき、
同教授は妻に「(小室さんは)学生服に直立不動で
丁寧に挨拶したので、この時世に
このような純粋な学生がいるのだろうか」と思い、
感動したと話してくださいました。
きっと神様が、私を純粋に見せてくださったのだと思っています。


白門祭(中央大学の学園祭)においても、
「統一原理」を紹介する展示会場を借りることができ、
たくさんの学生がやって来ました。

そこでは大きな声で原理講義をするので、
学生たちは何事かと思って毎日が満員御礼となりました。

その中から何人かは、飯田橋にあった教会に訪ねてきて
西川先生から講義を聴いたのです。

ところが西川先生は正義感にあふれていたので、
語る言葉も激しいものがありました。
「今は、勉強している時ではない。
愛と真の世界を創ることを最優先しなければならない」と言われるので、
たくさんの受講生はいたものの、途中で教会に来なくなる学生がほとんどでした。


私はあまりにも実りが少なかったので、
大学の屋上に上がり何日も泣きながら祈りました。

そうして「神様、なぜ私のような者を召命したのですか。
私よりも、もっと素晴らしい人を導かれれば、
中大生はつまずかないで済みます。
私がここに来たために、中大生はかわいそうです」
と言って、泣きながら祈ったのでした。

そのとき、天から声がしたのです。
「小室よ、泣かなくてもよい。
伝道はわたしがするのだから、心配しなくてもいい」
と言って私を慰めてくださいました。

ですから「神様に用いられてこそ、人材復帰はできるのだ」ということを、
このときに悟らされたのです。

それで私は、「神様、私を用いて伝道してください」という
徹底した祈りをするようになりました。
その結果、多くの学生がみ言を聴き、入教するようになったのです。


毎日、朝と夕方に中央大学の四十以上の教室の黒板の左側の隅に、
原理研究会の宣伝文章を書きました。
しかし講義がある度に、折角書いた宣伝文章は消されてしまうので
私は泣きたくなる思いでした。

なぜかといえば、当時の私は法律の勉強はもちろんですが、
剣道部の活動、アルバイト、教会活動などでとても忙しかったからです。

昼間の講義が午後四時半になると終わり、
その後、夜間の講義が始まるまでのわずかな時間に、
たくさんの教室に原理研究会の宣伝文を書くことは非常に忙しく大変でした。


だから見渡朗良兄と、もう一人の学生が黒板の宣伝文を見て、
原理研究会の勉強会に来てくれた時は大変うれしく思いました。
何日も一人で空き教室で、待ち続けながら
祈っていた苦しさから解放されたからです。

そのとき十二名ほどの新入生が、中央大学原理研究会に入会してくれました。

原理研究会には、見渡兄、江利川安榮さんをはじめ、
田代正一兄、吉岡征治兄の中大のメンバーなどが入会し
修練会に参加することによって、多くの人が献身的に歩むようになったのです。

このようなことも、中央大学の屋上で悔い改めたことを
天が取ってくださったのだと信じています。


後に、全国大学連合原理研究会(全大原研)が設立され(1964.7)
原理研究会設置の運動が展開され始めました。

初代の全大原研会長は、
立正佼成会の大物であった小宮山嘉一兄です。
澤浦秀夫兄の路傍伝道に感動して、「統一原理」の講義を聞いたかたで、
このかたが久保木会長を伝道したのです。

中央大学原理研究会の初代会長は私で、顧問は小松春雄教授でした。
私の後は、小林育三兄が後を継いでくれました。



「伝道は天がする」・・・
これは、私たちが持つべき、信仰の原点だと思います。

そして、以前、朴先生の証しを紹介しましたが、
「人事を尽くして、天命を待つ」のごとく、
小室先生が、5%を尽くしていったので、
天から答えが与えられたのだと思います。

そのような精神を相続していきたいです。。。

不定期に続きます。



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