2016年09月09日

「アフリカでも行きます!」 私とご父母様  《徳野会長・アフリカ大陸会長時代の証し@》



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真のお母様・孝進様と共に 2006.7.21☆


2006年徳野会長は、真のお父様の命を受け、
アフリカ大陸会長に就任しました。

今日紹介するのは、2005年11月
アフリカに真の父母をお迎えした際の
証しを中心とした内容です。

2006年8月に本部教会の礼拝で、
説教されたものです。



去る(2006年)七月十八日から二十六日まで、
真のお母様と文孝進様ご一行がアフリカに来られて、
七か国を巡回されました。

その間、真のお母様に直接侍ることを通してたくさんの恵みを受けましたが、
真の家庭に侍ることが、やはり簡単ではないということも、身をもって体験しました。

そこで、きょうは「侍義生活の貴さと難しさ」というテーマでお話しします。


初めに、わたしがアフリカに行くようになった経緯からお話しします。

わたしが、二〇〇四年にUTS(米国・統一神学院大学校)を卒業して、
一年間ほどシカゴで研修生活をしていたとき(2005年)、
真の父母様から韓国人の四十六人のUTS同期の卒業生たちと一緒に、
イーストガーデンに急遽、集められました。


そこで、真のお父様からみ言を頂いたのです。

そのとき、真のお父様は韓国語でみ言を語られたのですが、
わたしはお父様が何をおっしゃっているか、よく理解できませんでした。

でも、結論として世界宣教に行って、世界の人々に
祝福を与えていく使命を担うということだけは、はっきりと分かりました。
世界のどこに行くかは、くじ引きで決まることになったのです。


そのとき、真のお父様はわたしに、
「徳野、おまえは韓国人ではない。
だから、このグループに本来は入ってはならないんだ」
と、はっきり言われました。

真のお父様は、
「しかし、一点条件がある。
おまえはハングルができる。
それを条件にして、このグループに入れた。
日本人の種として、このグループの中に入れたから、
感謝して天命を受けるように」
と言われたのです。


真のお父様は、わたしが相当ハングルができると信じておられます。
できないと思われているよりは良いのですが、
正直いつもそのことが負担になるのも事実です。

わたしは、そのようなみ言を個人的にも受けたので、
くじ引きをする前には、
「どこにでも行きます。
わたしは日本人なのに、韓国人のグループに
入れていただいただけでも感謝感激です」
とお祈りしたのです。

そして、お祈りの最後にもう一言、
「たとえ、アフリカでも行きます。」と加えたのです。


それは、くじを引く一、二分前のことです。
これが運命の分かれ目で、その一言を加えたことが、
くじ引きに多大な影響を与えたことが、後になって分かりました。

くじを引いてアフリカに決まった瞬間、
「神様! 正直に言って、ここまでお祈りを
叶えてくださらなくても結構なのですが」
というのが、わたしの本音でした。

妻に、この結果を伝えましたが、さすがに相当驚いていました。


アフリカに行く前に、日本で、アフリカの李相振大陸会長にお会いする機会がありました。
そこで、わたしの任地はケニアから遠く、
気候もアフリカでいちばん厳しい西アフリカに決まりました。

その時点では、今年(2006年)の「真の神の日」にアフリカ大陸会長になるなどとは、
想像することもできませんでした。


日本を出発し、アフリカに向かいました。
大陸会長に挨拶をするために、まずケニアに立ち寄ったのです。
そのとき、李大陸会長から受けた指導が幾つかありました。

それは、西アフリカではマラリアで亡くなる人が多いので、
マラリア対策として、精誠を込めて、
自らの宣教の使命が果たせるように命懸けで祈り、
現実的には定期的にマラリア予防の薬を飲むように言われました。

さらに、「日本を愛する以上に、アフリカを愛せるようになれば、
神様が守ってくださる」と言われたのです。


最後に、アフリカ宣教の出発のため、
三日断食をして出発するようにと、アドバイスしてくれました。

断食をすることは、栄養を摂らないということですから、
免疫力が低下し、明らかにマラリアにかかりやすくなります。
そのため、三日間断食をすること自体、少し心配でしたが、
西アフリカのコートジボワールに向かう機内の中で、
断食する決意を固めました。

コートジボワールに着いて、三日断食のことを主な責任者たちに告げると、
純粋なアフリカの責任者たちは感動し、数人がわたしと一緒に、
一日または二日断食をしてくれました。

わたしは、このようにして三日断食をもって
アフリカでの宣教を始めたのです。


アフリカでは、もちろん日本語が通じません。
コートジボワールは、フランス語圏です。

わたしは、残念ながらフランス語はできないので、
ブロークン・イングリッシュを駆使して、
それを通訳してもらい説教や信仰指導を始めました。


コートジボワールに到着して約四か月が過ぎたころ、
真の父母様がアフリカに来られるというニュースが入ってきたのです。

このことは恵みであると同時に、アフリカに真の父母様をお迎えして
大会ができるかどうか、率直に言って心配でした。

当時、わたしの担当する任地が、西アフリカの十六か国でした。
その十六か国に、真のお父様の来られる国が三か国もありました。
ナイジェリア、マリ、ベナンです。


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ナイジェリア大会のご父母様 2006.11.6


二〇〇五年十一月六日、真の父母様ご一行は、
アフリカの最初の訪問国であるナイジェリアに到着されました。
ナイジェリアで真の父母様をお迎えするために、いろいろと準備をしましたが、
結果的に言えば十分な準備ができなかったのです。

その結果、いろいろな問題が起こり、真の父母様もがっかりされました。


その時、真のお父様以上に、真のお母様から、
その準備不足をはっきりと指摘されました。

わたし個人としては、アフリカ、ナイジェリアでの講演会を通して、
真のお母様のみ旨に対する真剣さ、
責任感という意味における厳しい一面を、
この時かいま見たような気がしました。

真のお父様は、いろいろなことがあっても、
「ここはアフリカだから、しかたがないんだ」という雰囲気で、
受け止めてくださっているような感じを受けました。

ところが、真のお母様はそうではありません。
「それでも、よく精誠を込めて準備をし、
お父様にもっと真心を込めて侍りなさい。
わたしが今まで妥協なく、努力して侍ってきたように」
というような波動が、お母様の言動を通して、伝わってきました。


当時の大陸会長は李相振先生でしたが、
わたしがサブリージョナルリーダーですから、
わたしの責任は半分以上あります。
あとの残りは、やはり現場で一貫して準備の責任者であった
ナショナルリーダーであるといえるでしょう。

でも、結局は、アフリカのすべての問題の責任は大陸会長にあるので、
真のお母様は食卓で大陸会長に、
「なぜ、このように準備ができていないのか」と指摘されました。

訓読会の時の通訳のセッティングの準備不足から始まり、
マイクの音が入らなかったことから、
大会のときに上映するビデオが映らなかったことなど、
挙げれば切りがありません。

それほどナイジェリアの大会は、
明らかに準備不足、精誠不足でした。


いかに準備ができていなかったかについての実例をもう一つだけ挙げれば、
以下のようなこともあったのです。

「天宙平和連合創設大会」が終了した後、
当初は、VIPたちだけを集めての、
小規模ながらバンケット(晩餐会)をやる計画でしたが、
ナイジェリアでは経費の関係で、
数日前にその晩餐会の開催を断念していたのでした。

わたしは、そのことをナショナルリーダーに、
大陸会長と郭会長に、
早めに必ず伝えておくように何度も言っておいたのです。
ですから、わたしは当然そのことは、
お二人に伝わっているものとばかり思っていました。

ところが、大会が終わると郭会長は、
「どこでバンケットをやるのですか?」
と、大陸会長に尋ねるのです。

ところが、大陸会長もどこでやるか知りません。
大陸会長と郭会長は、大会が終わった時点でさえも、
ナイジェリアでは、今回、バンケットは
やらないことになっていることを知らなかったのです。
ナショナルリーダーだけが分かっていたのでした。

大陸会長は、ナショナルリーダーをしかりつけました。
それを見ていた郭会長は、大陸会長に
「あなたも悪い」としかられたのです。
このようなミスコミュニケーションの連続でした。


真のお母様は、準備不足が目立ったので、
二度、三度と大陸会長にその点を、強く指摘されました。

真のお母様のご指導は、実に具体的でした。
真のお母様は、とてもお優しいおかたではありますが、
単に優しい部分だけではないということです。

真のお母様は、真のお父様の代身として、
すでに偉大な指導者としての風格と内容の
すべてをお持ちになっていらっしゃるという印象を、
わたしは、昨年持ちました。


その後、真の父母様はナイジェリアからマリに行かれました。

マリの大会は決定的な失敗はなかったのですが、
それでも十分な準備はできていませんでした。
大会参加者も三百人くらいで、
大成功とはやはり言い難い状況でした。

真のお父様の疲労が、ついにピークに達したのが、
このマリの大会が終わったときです。

それで急遽、真のお母様の決断だと思われますが、
大事を取られて、真の父母様はベナンの大会に、
その代身として郭会長を送られることになったのです。


昨年十一月、本来ならば、アフリカは十か国巡回される予定でしたが、
わたしたちの精誠不足、準備不足のために、
結果的にはナイジェリアとマリの二か国だけで終わったのです。

真の父母様が行かれる予定であった他の八か国から、
やはり失望と無念の声が上がりました。

真の父母様は、アフリカからヨーロッパに行かれ、
少し休養された後、十一月十七日、スイスのジュネーブで、
摂理的に非常に重要なヨーロッパ全体の次元における、
「天宙平和連合ヨーロッパ創設大会」を開催されたのです。

それが、昨年十一月のアフリカ巡回のようすでした。



くじ引きでアフリカに行くことが決まった徳野会長。
「たとえ、アフリカでも行きます」
神様は徳野会長の純粋な祈りを聞いてくださいましたが
それがきっと御意にかなう祈りだったのだと思います。。。

アフリカでのご苦労の土台があり、
今、日本の家庭連合会長として、
重要な責務を担われています。

そして、お父様以上にお母様が
鋭敏であり、迅速に決断されるということ。
今のお母様のお姿を想起できるエピソードです。

不定期に続きます。



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