2016年12月05日

私は感謝していますか? そして、感謝されていますか?! 《阿部局長のweb説教》



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阿部局長のweb説教
<「感謝する人」と「感謝される人」>
とても分かりやすい内容です。
ボリュームが多いので、少し省いて紹介します。




人の正式名称は「人間」であるように、
「人と人との関わり合い」が大切です。
家族や友人など、身近な人との関わり合いを持つことは
幸不幸を左右するほどに重要なことです。

人との繋がり合いで幸せを感じるようになっています。
嬉しい時は喜び合い、苦しい時は励まし合い、
悲しい時は慰め合うなど、どんな時も互いに疎通と共有をして
幸せに向かい努力するようになっています。


真の父母様のみ言を紹介いたします。

「愛だけは、いくら持っていても、
一人では感じることができない。
愛には必ず相手が必要である。 
愛は相手を通じてのみ感じることができる」


どんなに優秀で才能がある人でも、
愛だけは一人では味わうことも、育むことも、
完成させることはできません。

人間は愛を育むために、無意識に
関係性を結ぼうとするようになっているようです。

しかし、人によっては「私は一人の方がいい」
「一人の方が自由だ」「一人の方が気楽で幸せだ」
と主張する人もいるかもしれません。

それは合理的な考え、自立した考えのようですが、
そのような考えに至るまでの事情があるように思います。
その背後には誰かとの関係の中で傷ついたり、
うまくいかない煩わしさを感じたり、
うまくいかないことで挫折感や諦めの心を持つなど、
否定的な体験の影響からくることが多いものです。

まさに、人間は誰もが関係を結び、愛を完成させたい
という願望を持っているということです。


このように、人生にとって「関係性」は、
大変重要な影響を与えるものですが、
皆さんの関係性はいかがでしょうか?

例えば、あなたの家族との関係はいかがでしょうか?
友達との関係、職場の人間関係、近所の人間関係など、
改めて考えて見ましょう。

信仰生活では神様との関係が重要です。
さらにもっと身近なのは自分自身とどのように付き合うか、
という自分との関係もあります。

これらの関係が「良好な関係だ」、「仲が良い」、
「一体化している」と言えるでしょうか?
しかし、自分がそのように思っても
相手も同じように思っているとは限りません。
両者の思いを一つにする秘訣は何でしょうか?


そこで大切なポイントとなる秘訣が「感謝の心」です。
人生にとって感謝の心で生きるのか、
不満の心で生きるのかという姿勢は、
人生の充実度や関係性に大きな影響を与えます。

何を行うにしても、その時に「どのような思い」
「どのような動機」を持って行動するかが大切です。
「心の持ち方」や「捉え方」、「動機」によって全く結果が違います。

皆さんの信仰生活はいかがでしょうか?
「仕方なく」信仰生活をしているのでしょうか、
「嫌々ながら」信仰生活をしているのでしょうか、
「断りきれずに」信仰生活をしているのでしょうか。
それとも、「納得して」信仰生活をしていたり、
「満足して喜んで」信仰生活をしている人もいるでしょう。

同じ礼拝に参加していても、心がけ一つで恩恵が違います。
同じ伝道をしていても、心の持ち方で結果が違います。
同じ精誠条件を立てても心の姿勢で、その恩恵は違います。

信仰生活で重要なことは、「喜んでために生きること」
「感謝して生活すること」ではないでしょうか。


真の父母様のみ言を確認してみましょう。

宗教の本質は、感謝することです。
それで、サタンを防御するための一番重要で
緊急な要件を挙げなさいと言えば、
「感謝することだ」というのです。
その次に、満足することです。
(「後天時代の生活信仰 」より)


神様は、私を救う立場にいらっしゃるので、
私よりももっとかわいそうな方です。

・・・子女が父母の立場で死んでいくとすれば、
当然、子女もかわいそうですが、
その子女を見つめる父母はもっとかわいそうです。

・・・いつ神様が私に感謝できる日があるのでしょうか。
神様が私に感謝できる日を持てなければ、
私たちがいくら神様に感謝を捧げたとしても、
それは私だけで終わる感謝であって、
神様と一つの目的を中心とする感謝として
実を結ぶものではありません。

それでは、私よりも神様が感謝できるのは、
どのようなところでしょうか。
それは孝行するところしかありません。

では、その孝行するとは、どういうことでしょうか。
父母が悲しむことに対して、子女が先に悲しむということです。

その時に父母は、その子女を無限の希望の実体、
自分のすべての命を身代わりする価値の存在として
立てたい、と思うのです。
そのように思いながら、父母は子女に感謝します。

環境が困難であればあるほど、
父母はそれ以上の感謝を感じるのです。
(「後天時代の生活信仰」P147〜148)



このように信仰生活にとって大切なことは
「神様に対して感謝する生活」ですが、
神様が私たちを見て感謝しているとは限りません。
感謝する生活だけでなく「感謝される生活」を目指すことが必要です。

神様に感謝を捧げるのは信仰生活の出発点でありますが、
信仰生活のゴールは私たちの歩みを通して神様が喜ばれる、
神様が感動する、神様が感謝されるようになることだということです。


同じように、子女として父母の前に感謝する生活が大切ですが、
夫婦の関係でも、子供に対しても同じことが言えます。

このように、天の父母様に感謝するだけではなく、
天の父母様から感謝されることが必要です。
家族に感謝するだけでなく、家族から感謝される者になることです。


そのようになるためには、「感謝する心」と共にもう一つの心が必要です。
それが「愛する心」です。
私が感謝するだけでは足りません。愛する心と実践が必要です。

相手が私に対して「感謝です」と認めてくれるまで、
限りなく愛する心と継続的な愛の実践が大切になります。

「あなたのおかげで幸せになりました」「あなたとの出会いは忘れられない」
「あなたは尊い存在です」と感謝される人生は、
本当に素晴らしい人生と言えるでしょう。
私たちは感謝する人生を土台として、感謝される人生を目指して歩んでいきましょう。

今日は「感謝する人と感謝される人」という題名でお届けいたしました。
参考にしながら皆様の人生が、
さらに素晴らしいものになることを心から願っております。




感謝する生活より感謝される生活が重要である。
そして感謝される生活の一段階レベルアップした内容が
神様に感謝される生活であり、
そのためには、愛する生活が必要である。。。

もちろんその通りなのですが、
これは頭で理解しただけでいいというわけではないですね。
心から思える自分にならないといけないわけです。

また、愛し、尽くしたにも関わらず、
人から感謝されない時ほど、
「神様は感謝されているのだ・・・」
そのような思いを持つことが重要だと思いました。





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posted by ten1ko2 at 09:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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