中村牧師の証し、続編です。
☆
文鮮明先生との初めての出会い
文鮮明先生との初めての出会い
修練会に参加した後のことです。
松本道子婦人は、わたしに
「そろそろ、文鮮明先生に会われますか?」と言われるのです。
さらに、「文先生にお会いするためには、
韓国に行かなければなりませんが、
行っても必ず文先生にお会いできるという保証はありません」
と、言われました。
「できれば、文先生にお会いしたい」と、松本婦人に話しました。
来臨時代における中心人物であられる文鮮明先生にお会いして、
この目ではっきりと文先生が本物の宗教的指導者であるかどうかを、
確かめてみたいと思ったのです。
わたしはそれまでは、賀川豊彦先生を昵懇とし、
また、亡くなられた新島襄先生の夫人とも、
大変親しくお付き合いさせていただいていました。
また、ニクソン大統領ともホワイトハウスでお会いしたこともあります。
しかし、このようなかたがたとは違って、
メシヤをほうふつさせる文先生にお会いするということは、
特別なものがあったのです。
☆
文先生にお会いするため、一人で韓国に向かいました。
そのときの気持ちは、不安でした。
文先生が会ってくださるかどうか、分からなかったからです。
ソウルの青坡洞にある統一教会に行く地図を準備して行ったのですが、
間違いがあってはいけないと思い、本部教会に電話をしました。
すると、本部教会の総務課長さんが、
わたしのいるホテルまで迎えに来てくださったのです。
そのとき、そのかたを通して、文先生がわたしの訪問を
心待ちにしておられるということを伺ったときは、
どれほどうれしかったことでしょうか。
その場で、思わずひざまずいて感謝の祈りをささげたしだいです。
涙が出るほど、うれしかったのです。
青坡洞の教会に着いたときは、
文先生はわたしを心から歓迎してくださいました。
このときから、文先生とは何度もお会いすることとなったのです。
☆
殺されそうになった伝道集会
殺されそうになった伝道集会
わたしはかつて、ミッションスクールの応援で、
ソウルの汝矣島広場でキリスト教の伝道集会を開いたことがありました。
初日は、雨のため三百人ほどしか集まりませんでしたが、
最終日の七日目は、数千人が集まったのです。
その最後の日のことです。
ある反日の韓国青年が、わたしを刺し殺そうと
短刀を持って現れたのでした。
わたしは鈍感なところがあり、その青年が
わたしにしようとしていることが、よく理解できなかったのです。
日本で短刀と言えば、光っているのが普通ですが、
その青年が持っていた短刀は錆びているようで、恐ろしさも感じなかったのです。
「これでこの青年は、わたしを突こうとしているのかな?」と、
じーっとその青年を見詰めていました。
わたしは韓国を愛し、特にキリスト教を愛しているのですから、
その韓国の青年がわたしにしようとしている行為が分からなかったのです。
ですから、ボヤーッとしていました。
そのわたしの姿は、観衆から見ると異様に映ったようです。
その青年は、わたしを突き刺す直前、警察の人に取り押さえられました。
事の恐ろしさを感じたのは、その後になってからです。
この事件は、日本の新聞でも取り上げられ、
それでわたしも日本で有名な牧師になりました。
☆
この出来事を文先生に報告しました。
普通であれば、「けががなくて良かった」と言われるのが通例です。
ところが文先生は、
「そこまでやったのであれば、なぜ君はけがをしなかったのか」
と言われるのです。
「君が片手でも血を流し、背広の片方の端でもナイフで裂かれたとすれば、
韓国の牧師たちを復帰するのに本当に良かったのに、残念だ」
わたしはその文先生のお話を伺って、
文先生の摂理に対するすさまじい執念をかいま見た思いでした。
☆
この大会が行われたのは、1971年8月のことだったといいます。
事件について語られたお父様のみ言、
とても衝撃的ですね。。。
無事だったからこその言葉であるとは思いますが。
また、キリスト教の牧師に語られたというよりは、
食口に語られているような感じです。
おそらくお父様と何度か会われたあとのことであり、
中村牧師を、お父様が信頼されていなければ、
出てこない言葉だと思います。
ある面、試しているようにも受け取られます。
中村牧師の文先生の言動に対するとらえ方を見る時に
どこまでもお父様を尊敬し、信頼し、屈服していることを感じます。
他のどんな重要人物と比較しても
特別な存在、それがご父母様であると。
その後も何度か出会いがありますが、
不定期にアップしたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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