2017年08月09日

サタンの罠にかからない生活姿勢?! お父様の生き様とみ言に学ぶ 《web説教》後



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阿部局長のWeb説教
「試練という成長の糧」の後半です。


真のお父様は1948年以降、北韓において宗教抹殺政策によって拘束され、
後に興南監獄という強制収容所に送られてしまいました。

その時、真のお父様が選択した受け止め方は普通ではありませんでした。
真のお父様は境遇を悲しんだり、落ち込んだり、
憤りの思いを持たれたのではなく、
「監獄に行けという神様ではなく、
行かせなければならない神様の事情を考えた」と言います。

大変な状況に追い込まれても神様を第一に考えて慰められました。
また、「これから行く監獄の中に神様が準備された人との
出会いがあることを待ち望んで行かれた」とも言います。
どんな状況でも神様のみ意があることを忘れませんでした。

また、悔しくて泣きながら見送る弟子たちに対しても、
真のお父様は対照的に、希望に満ちた笑顔で手を振りながら行かれました。
また、監獄に入ったその日、腕に手錠をはめられながら、
「これは神様が私を愛されているというラベルを貼られることだ」
と考えたとも言われます。

さらに、血を吐く拷問の場で、何度も倒れながら、
意識をすべて失ってしまう場でも、
「お父様、私をどうぞ救ってください」とは祈祷することなく、
「お父様、心配しないでください。
まだ死にませんでした。
いまだに死にません。
あなたに約束した志操が、そして責任をもつべき使命が私にはあります。
同情を受ける時ではありません」
と、祈祷されたと言います。


このように、生きるか死ぬかという深刻な地獄のような境遇でも、
そのように神様を慰労し、神様を励まし、
神様に喜びを返す歩みをされたのが真の父母様です。

そのような心の動機や歩みにはサタンが入る隙間がありません。
まさに天運を呼び込む生き方でした。

私たちも同じような凄絶な人生体験をする訳ではありませんが、
日々の生活の中で、その心の姿勢を相続していくことが大切なこととなります。

それでは、私たちの生活態度のあり方について語られたみ言を紹介いたします。



「いかなる受難の道でも、
その受難は自分にとって被害とはなりません。

またそれが、引っ掛かれば死地に落ちて
さまようかもしれないサタンの罠だとしても、
その罠とは何の関係もなく、
むしろサタンが怨讐視する
勝利の結果をもたらすことができるのです。

したがって、このような信仰生活をするときには、
サタンがどのように作用したとしても、
神様のものとして
和解させることができる立場に立つのです。

神様は、悪なる世界にいらっしゃったとしても、
いつも神様の立場をとることができる方です。

いかなる迫害、いかなる困難があったとしても、
それらが私自身をくじけさせたり、
滅ぼしてしまうことはできません。
むしろ、勝利の資料として、
勝利の結果をもたらしてくれるのです。

これは、神様が
六千年の復帰歴史を導いてこられながら、
サタンがどんなに反対しても、
神様はそれを勝利の結果として体得し、
消化させてこられたのと同じことです。

ですから、このようにすれば、
間違いなく神様の息子となることができるのです。
このような生活態度に、
皆さんが関係を結んでいかなければなりません。


(「後天時代の生活信仰」P215〜216)


このように、「いかなる困難があっても勝利の資料として、
勝利の結果をもたらしてくれる」とあるように、
勝利的人生を歩むためには「人生の困難の受け止め方」が大切だということです。

また、次のようなみ言があります。


「一日の生活を何気なく過ごしてはいけないのです。
それは、すべて天が実際の生活を中心として
天国を成すための一つの材料であり、
一つの教材として私に接近させてくれるものです。

そうだとすれば、それを良い結果として
消化させることができる主体的な自我を
どのように発見するか、ということに
力を注がなければなりません。」


(「後天時代の生活信仰」P220)


このように、すべての出来事を「天国を成すための材料・教材」
として考える姿勢が大切です。
毎日の生活が曖昧にならないように、チェックしていきましょう。

「祈りや瞑想」を通じて行動や心のあり方を振り返り
神様に報告する生活をしましょう。
祈りを通して、神様の目で自分自身を見つめることができます。


また、「感謝日記」を書くことも有効です。
日記と言っても出来事を書き並べるのではありません。
書き方は自由ですが、ここで提案する「感謝日記」とは、
毎日三つのことを書き続ける日記のことです。

第一は、今日一日を振り返って「感謝すること」を一つ書きます。
何か良かったこと、有り難かったこと、
嬉しかったことを一日の歩みを振り返って探していきます。
堕落人間は、不満と不平の思いになりやすいので、
毎日、感謝することを探すことを通じて心が浄化され、
感謝する心の感性が高まります。

第二は、「反省すること」を一つ書きます。
一日を振り返って、何か反省し悔い改めるべきこと、
改善すべきことを探していきます。

堕落人間は、人のせいにしたり、
環境のせいにするという「責任転嫁」の傾向にあるので、
自分自身の足りないところや悔い改めるべきところを探すことで
「自己責任」を果たす姿勢になります。
「自分が変わろう」という自己改善の心が育まれます。

そして最後に、「明日の計画」を一つ書きます。
明日は「これを行う」「このように成し遂げる」
「これをやり始める」という目標や行動計画を明確にすることです。

思っていてもやらなかったり、
やろうとしても先延ばしにしたりすることがないように、
生活の具体的行動を書き出します。

このような感謝日記も参考にして、
毎日、心のチェック、生活のチェックをしていきましょう。


本日は「試練という成長の糧」と題して説教しました。

困難を不幸とみるのではなく、
神様が与えてくださった試練と見ていきましょう。
そうすれば、その試練は限りなく成長に導いてくれる糧となります。

皆様の人生の飛躍と家庭の幸せを心から願っております。



私自身もこの二三日、いろんなことが立て続けにあって、
とても落ち込みそうになりました。
ちょうど、タイミングよく、この記事を書いていましたので、
前向きに捉えることができました。

また、阿部局長のアドバイスのごとく、
「感謝日記」というのもいいかもしれませんね。

お父様の精神を忘れることなく、
相続する者になっていきたいと思います。





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posted by ten1ko2 at 09:16 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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