人気の李ヨハネ先生のシリーズ。
今日は「苦痛の中での『信従』」の最終回。
「永遠なる『愛の基準』をつくるには」を紹介します。
第1回目で、「私の悲しみとお前の悲しみが同じだから、
お前のほかには話す者がいない」という
神の声を聞くような心情基準、精誠の基準が必要だと言われていますが、
そのまとめになります。
☆
先生が私たち幹部を連れていって服を買ってくださる時にも、
先生は「作業服がいい、旅行する時はアイロンをかける必要もなく、
洗ってパンパンはたけば、そのままさっと着て
出掛けることができるからとてもいいんだ」と言われながら、
作業服に近い洋服を買ってくださろうとする場合があります。
ところがお母様は「講義する時にも着ようと思えば、
少しいいのを買ってあげなければならない」と言って、
「もっと高いのを買ってあげてください」とおっしゃいます。
これは、一般的な家庭とは反対ではないですか。
こんな光景は先生の家庭だから見られるのであって、
普通では到底望めないことです。
他の家庭では見られません。
先生はお母様を、与えたがる性格をもち、
すべての神の業に感謝なさると称賛されました。
☆
過越の祭にイエス様がベタニヤに来られた時、
マリヤが慟哭したところで、私は信仰感情に対するヒントを得ました。
私たち夫婦もこうならなければならないのです。
夫が悲しければ、語らずとも妻も悲しく、
夫が何かをしたがれば妻もそうしたがる、
具体的な伝達がなされる夫婦であってこそ完成基準に到達した夫婦です。
☆
皆さんも神の愛と人類の愛を受けようとすれば、
自分自身、愛の基礎を築くことができなければなりません。
この基礎という言葉は、神の苦痛を自分の苦痛よりもっと気の毒がり、
み言を抱いてすべての困難を信仰によって克服しつつ、
神の感情に自分の感情を一致させようと努力し、
人類を愛する心を抱くことを意味し、これが正に信仰基台になるのです。
このように、自ら困難を克服し、信仰基台を立てられない人は、
環境の支配を受けることになるのです。
信仰の基礎は自分がつくるものです。
だれも代わってあげることはできないのです。
☆
愛の基礎は自分がつくらなければなりません。
神の愛を占有する基礎は自分がつくらなければなりません。
ですから、恨んだり不平を言ってはいけません。
イエス様は十字架で亡くなられる時に、
神の愛と人類の愛をすっかり占有できる基礎をつくられました。
これを知らなければなりません。
イエス様が十字架上で、恨みや不平なく、
神のみ旨と人類の不信を一人で負われたので、
永遠なる愛の基礎をこの地上に立てたのです。
これを具体的に知る時、皆さんも
神の愛の基礎を築くことができるようになるでしょう。
☆
今や私たちは、苦痛を放置しておいてはならないのであり、
苦痛を浪費してもいけないのです。
苦痛というのは、永遠なる愛の基礎を築くことができる、
私の宝物の基盤なので、貴重なものなのです。
☆
今までの復習になりますが、
苦痛を与えた人に対して、
また環境圏に対して、
どのように受け止めることができるか、
物事の捉え方が重要なのだと思います。
そして、私が通過した以上の苦痛を
真の父母様が通過され、
すべてに感謝して乗り越えておられます。
イエス様を慕うクリスチャンたちは、
たとえ2000年前の過去の人物だったとしても、
イエス様が十字架の道を越えて、
全てに感謝し、勝利の道をいかれたので、
自分が通過した苦痛の道と照らし合わせ、
ともに乗り越えていくことにより、
慕わしきイエス様、主なるイエス様・・・
そのようにして心情を近くしていきました。
イエス様を慕う人は数多くいます。
さらには、真のお父様のみを慕う人もいます。
しかし、私たちは真の父母様に侍る者たちです。
そのことを誇りに思いつつ、
だからこそ、全てを感謝に変えていけるようにしていきます。
*李ヨハネ先生のお名前について:
李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが正式なお名前ですが、
日本では、李(リ)ヨハネ先生としてもお馴染みです。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて李ヨハネ先生とお呼びしています。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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