苦痛、試練、悲しみ、十字架・・・
李ヨハネ先生の先回の講話では、
それは宝物であるといわれていましたが、
それでは、「苦痛」を越えていくには
どうしたらいいでしょうか?
新シリーズは、「苦痛と和睦」です。
☆
「苦痛と和睦」という題目で、神と和睦するための人間の責任と、
また、私たち人間が互いに和睦できる方法について
み言を分かち合いたいと思います。
「和睦」というのは、私たちがよく知っているように、
互いに意志が通じ合って仲が良いということを意味します。
この和睦という言葉は原理ではあまり出てきませんが、
「復帰」という言葉が「人間と神との和睦」を意味するのです。
そして、神と和睦しようとすれば、
まず人間からサタンを分別しなければなりません。
☆
こういう立場から見る時、復帰摂理は
神の怨讐だった人間がサタンを分立して
再び神と和睦しようとする、
本来の創造目的を成就するための摂理だといえるでしょう。
み言の前に祭物となり、宗教儀式や法の前に絶対的に従順に従い、
屈伏するようになさる神の摂理は、
例えば旧約時代の律法などは、結局それを通して兄弟の愛を築き、
その基盤の上で、神と人間のむつまじい父子の関係を回復なさろうとする
過程的な摂理だったのです。
イスラエル民族に契約の箱を与えたのも、
その契約の箱をエホバの神のように思って、
これを与えた神のみ意に、絶対的に従順屈伏することによって、
神の選民となり、神の祝福を受けることのできる、
むつまじい関係をもった立場に引き上げようとする意図があったと思います。
私たちの信仰路程も、普段の生活で和睦するための基盤を築き、
神との和睦という目的地に向かって歩む過程だといえるでしょう。
きょうのみ言の題目も「苦痛と和睦」ですが、聖句を見ると、
イエス様は神と人間との和睦のために十字架の祭物になられたとあります。
それなのに、人間が神と和睦できずにきた理由は何でしょうか。
一言でいって、絶対的な信仰がなかったからです。
☆
神と和睦する原則
神と和睦する原則
絶対的な信仰で、一つの中心をつかんで自分を否定すれば、
神と和睦することができますが、
そうできなければ失敗してしまいます。
ノアの家庭を見ると、息子たちが父であるノアを、
神が立てた人として絶対的に信じたなら、神の願いを成就し、
また、その家庭も破壊されなかったかもしれませんが、
息子たちに絶対的な信仰がなかったので失敗してしまいました。
☆
ところが、アブラハムの妻サライからは、
絶対的な信仰について素晴らしい手本を見ることができます。
「エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、
彼は妻サライに言った、
『わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。
それでエジプトびとがあなたを見る時、
これは彼の妻であるといってわたしを殺し、
あなたを生かしておくでしょう。
どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。
そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、
わたしの命はあなたによって助かるでしょう』。」
(創世記一二・11〜13)
という聖句があります。
アブラハムは自分が死にそうなので、異国の王に嫁げというのです。
妻サライに、耐えられないようなことをさせたのです。
ところが彼の妻は耐えられないことにも従順に従いながら、
復帰摂理の一つの結び目を解いていったのです。
サライは、エジプトの王やアブラハムにはもちろん、
神にも恨んだり不平を言ったりせず、夫と神に対して
絶対的な信仰をもっていたので、
神は彼女を助けることができました。
怨讐の懐にいる自分を、神が再び訪ねてこられるように、
サライが自らの責任を果たしたので、
神が彼女を救うことができたということです。
☆
こういう絶対的な信仰をもった信仰者になれるのでしょうか?
これが、私たち皆の関心事です。
自分を否定して初めてそうなれるといえるでしょう。
自己否定ができなければ、絶対的な信仰が生じるはずがなく、
したがって、神と和睦することもできません。
神は、私たちを導くにおいて、
私たちの考えや立場にぴったり合うように導く方ではありません。
自分の計算や考えには合わないことも、
信じて従順に従ってこそうまくいくように導かれるので、
自分を否定しなければならないのです。
自己否定には本当に大きな苦痛が伴います。
☆
ところで、自分を否定してこそ和睦できるという、こういう原則は、
人間相互間の生活にも同じように適用できます。
私たちの生活で互いに不和になる出来事をよく調べてみると、
自分自身を先に立てて計算し、勘定するので問題が生じるのです。
では、これをどうすべきでしょうか。
信仰感情が良くなければなりません。
信仰感情、平和の心情があふれるようになれば、
理論や計算に合わなくても、心情には合うものがあります。
打算的に考えれば明らかに不可能なことなのに、
情ではそうしようとするのです。
私たちの生活では、このように、自分自体の内でも
情と理性が全く食い違う時があります。
自体内でもそうなのに、ましてや他人との和睦は易しくないのです。
ですから、他人との和睦が、どこでも、いつでも問題視されてきました。
☆
神様は目には見えません。
そういう意味では、厳密にいうと、
一人一人の神観は異なるものになってしまいます。
それで、神様はご自身の代身として、
人を立てて、背後の神様を見つめさせながら、
「絶対信仰」を願われてきたのだと思います。
「私は神様を信じているが、人は信じない。
だから組織にも入らない・・・」
そのように言っている方も実際おられますが、
それは違うと私は思います。
背後の神様を見つめないと、
サタン分立されません。
また、神様は喜ばれるはずはないでしょう。
神様は人を関与して摂理なさいます。
だから、やはり「絶対信仰」が重要なのだと思うのです。
不定期に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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