2017年08月23日

教会に人が集まるのは?! この世の和睦、その前に食口間の和睦 《李ヨハネ先生》和睦4



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李ヨハネ先生のみ言。
今回の内容は今日で終わりになります。



    和睦すれば教会に人が集まる

私たちには、この世を和睦させるべき使命がありますが、
そうしようと思えば、
まず私たち食口同士の和睦がなされなければなりません。

この世の人々が、私たちのいる所を通り過ぎようとして、
「いったい、この場にどうして来たいのでしょうか。
原理を聞いて皆さんに会ってみると、本当に真実な方々です。
この人たちを離れてどこに行けましょうか」と言う、
こういう和睦の場、この世を引き込む吸引力をもった
教会にしなければならないのが、ここに集まった私たちの使命です。


では、今日、私たちの現実はどうですか?
 教会に来ても、絶えず去ろうとする人がいるのではないですか。
もしそうならば、これは
私たちがここに集まった目的とは正反対なことです。


神の名によって和睦する関係を通して、
すべての人が私たちと共にいたいと思うような所にすることが、
今日、このように私たちが集まった目的ではないでしょうか。

真なる人ゆえに集まってきて、その人を通して
礼拝を受けようとする人々が、たくさん生じうる境地にまで
行かなければならないのが、私たちの行く道ではないかと思うのです。 

「あなたを見ると、まるで神を見るようです。
私はあなたに会いたくて来ました。
あなたの前に座ると、私の心の重荷がすべて下りるようです。
あなたの前に座ると、私の心がこんなにうれしいのはどうしてでしょう!」
という言葉を聞くことができなければならないというのです。

だれかがよくしないからと陰口を言ったり押しつけたりするのではなく、
互いにまず自分が責任をもとうとする心が
切実に要求される時が、正に今です。


教会で礼拝をする時に、その食口たちに会いたくて、
人々が集まってくるようになれば伝道は終わりを告げ、
私たちは互いに集まって、私たち同士で神を中心に喜んでさえいれば、
人々が絶えず集まるようになります。

そうなって初めて、本当に生命力のある教会だといえます。


草創期には、先生を中心にお互いに会いたいと思っていたので、
私たちが集まった所に愛と恵みが満ちていたので、
人々が絶えず押しかけてきました。霊界から役事して、
人々を凡一洞に駆り立ててくれました。
人里離れた所でしたが、人々が絶えず押しかけてきました。


私たちはこういう天の世界を知っています。

先生が獄中におられた時に、一言も語らなくとも、
霊界の導きで、獄中の人々を先生に侍らせた
というみ言を聞きませんでしたか? 

これは、先生だけでしょうか。
私たちもそうできるはずです。

先生だけならば、ご自分にだけできる特別なことだと
言われるはずですが、先生は
「あなたたちもそうです。
原理はだれにでも同じものである」と言われました。

もし先生だけであれば、先生は本当に気の毒な方です。
どれほど気の毒な方になるでしょうか。


ですから、私たちもそういう力をもたなければなりません。
今日、私たちがこのように集まって礼拝する目的は何ですか?
私たちの周りにいる数多くの生命を引き寄せうる力を備えようということです。

こういう観点から見る時、
私たちは礼拝をもっと大切に考えなければなりません。


最後に、今まで語った内容を一言でまとめると、
和睦には自己否定の苦痛が伴い、この苦痛を十分に負う時に、
これを通して神の心情が相続され、
神と教会員の間にも、和睦が成り立つということです。



やはり、外部伝道の前には、内部伝道が重要であるということですね。。
兄弟姉妹の関係を口だけではなく、
実践し、実感しているとするなら、
自然と人が集まってくるのではないでしょうか。

そして、もちろん、内部伝道の前には、
自己伝道です。

私自身が復活していなければ、
食口にも与えることができません。
そのためにも、真の父母様のように、
すべてを神様と共に受け入れていく、
まさに、和睦の精神を持つことなのだと思います。






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*李ヨハネ先生のお名前について
李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが正式なお名前ですが、
日本では、李(リ)ヨハネ先生としてもお馴染みです。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、シリーズとなった《李ヨハネ先生のベスト・アンサー》で紹介するに当たり、
親しみを込めて李ヨハネ先生とお呼びしています。



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
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その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 09:29 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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