2017年11月30日

(証し)み言の人、小山田先生!! 「私の生涯はこのためにあった!」 《小山田先生》4



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小山田先生の証し、続編です。


私は母から聖書をもらって、
中学2年生の時から読んでいました。
その時から、毎年1回は通読していました。

朝起きて、枕元に置いてある新約聖書を読み、
印象に残っているところは、赤線を引いておきます。
それで昼ご飯の時に、「何だったかな」

そして、寝る前になると、少し時間がありますから、
旧約聖書を読むわけです。
それで印象に残ったところに赤線引いて、祈ってみると、
次の朝に何かが引っかかってくるんです。

そのような生活を中学・高校・大学、
そして、統一教会に入っても、そういう生活をしていました。

だから、「み言」というものは、
私の人生において、とても重要だったんです。

ですから、先ほどもお話ししたように、
祝福、そして、原理、これは、絶対でした。


それで、お父様に関してですが、
お父様はどういう方でしょうか。

私が考えたこと、全部見抜かれるんです。
それ以上に考えそうなことまで見抜かれるですね。

お父様はこう言われました。
「親というのはだな、子供の事情を聴かずして、
わからなければ、親とは言えないんだ」

そう考えると、私たちは子供が何を考えているか、
わからないから親とは言えないですね。

お父様もそうですし、お母様もそうなんです。
ですから、人であって人でない。
姿形は人だけれど、目に見えて現れている神様だなぁ。
そういう実感がしますね。

わが生涯は、お父様と出会うためにあった、
それ以外の何物でもありません。



実は、今日の記事に貼り付けた写真に
くぎ付けになってしまいました。

(小山田先生には、失礼ですが)
顔はあんまり似ていませんが、
二人の雰囲気が、本当の親子みたいで、
この気持ちが心に飛び込んできてしまったのです。

お父様が慕わしくて仕方がない。。。
そして、お父様も小山田先生が可愛くて仕方がない。。。
そんな雰囲気を感じます。

そして私たちも真の親を目指して、
子供たちを見つめていかないといけないと思います。








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