2018年04月04日

真のお父様はどんな方?! 完全なる「仲保者・通過体」は自分がない 《史吉子先生》



180404.jpg


史吉子(サ キルジャ)先生のみ言、
「誰よりも神様を愛されるお父様」続きです。


お父様は、まるでサタンから神様の前へと行かせる、
多くの人々を渡らせる橋のようです。

橋は、あちらこちらを連結させてくれるのです。
ところが、橋に何かおいてあるとそれが障害物になって、
人や自動車が通り過ぎる時、引っかかるしかありません。
それで橋には、何もあってはいけません。
お父様はそんな方です。

またお父様は、高い山を楽に通過させてくれる
トンネルのような方です。
トンネルが完全に貫通していたら、
自動車が楽に通過します。

だから、お父様はこの橋やトンネルのように、
こちら(人間)からあちら(神様)の方へと楽に繋げてくれる、
仲保者の役割をされるのです。
そうして、ご自身の意識の中には、ご自身が一つもない方です。


常にお父様が語られますが、責任を持つ立場や
高い位置に上がれば上がる程、
どんな心の姿勢を持たなければならないかと言えば、
母の子宮の中に入っている胎児のようでなければならないそうです。

母の子宮の中に入っている赤ちゃんは、自由がありません。
赤ちゃんは、食べるのもお母さんからへその緒を通して食べ、
お母さんが横になれば、一緒にならないといけないし、
お母さんが起きたら一緒に起きなければならないし、
お母さんが行けば一緒に行けなければならない、

それこそ完全に自由がない状態です。


ですから、私たちが立っている大小様々な全ての位置は、
自分のものではありません。

自分のものではなく、お父様、お母様のものです。
ですから、皆さんはお父様、お母様のものを、
自分が代わりに守って差し上げるという立場に立たなければなりません。

高い位置に上がれば上がるほど、
この位置は天が私に責任を与えて、
ちゃんと面倒を見るようにとくださった位置であり、
自分の位置ではないと思わなければなりません。

そして、指導者は常に祈祷しなければならず、
率先垂範して熱心にみ言を訓読しなければならず、
食口たちのために生きなければなりません。

これさえきちんと守っていけば、
どんな責任を受け持っても上手に果たせるそうです。


このようになると、心が空になり、
「お父様、お父様が私をここに立てておかれたのですが、
私が何をすることを願われますか?
私がどうしたら良いでしょうか?」
と言いながら、絶えず神様にお伺いするようになるそうです。

私たちはこのような心の姿勢を持たなければならず、
指導者がこのような心の姿勢を持つことが重要です。
そうすると、天がいつでも霊感をくださり、
知恵をくださるそうです。



このみ言を読みながら、
昔見た夢のことを思い出しました。

私の母、祖母と日蓮宗の信仰を持っていたのですが、
白装束を着ている人たちが、
「何無妙法蓮華経〜」とお経を唱えながら、
山をゆっくりと登っているのです。
そこを突然、新幹線が通り抜けていくのですが、
その中に私がいたのです。

まぁ、現実とはかけ離れていますが(笑)、
夢から覚めた時、
お父様が苦労されて道を切り開いてくださった。。。
お父様の勝利圏にいるということは、
どれほど感謝なことであるか。。。
そんなことを感じました。

真の父母様の勝利圏の中にいることが
どれほど感謝なことなのか、
再確認させていただきました。






にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜

いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。

大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。

*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 09:26 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。