鄭元周(チョンウォンジュ)秘書室長の証し、
続編です。
☆
世界巡回
(1991年、日本での四大都市講演──電話中継開始のエピソード)
世界巡回
(1991年、日本での四大都市講演──電話中継開始のエピソード)
ご父母様の摂理の中で世界巡回と共に行われた講演会こそ、
最も大きくてご苦労された業績であり、摂理発展の生きた歴史です。
1990年以前には、主にお父様がみ言を語られ、
お母様はそれに同行なさいました。
お父様は主に夕刻に国家指導者たちに講演なさり、
食口たちには夜の集会を通じてみ言を語られました。
☆
お母様の講演は1980年代にもありましたが、
92年5月に「理想世界の主役になる女性」というテーマの講演が
本格的な始まりでした。
そして(2003年当時まで)約10年余りの間、
お母様が壇上で行われた講演会だけで百ヵ国余り、
600回以上にも及ぶのです。
大学の講壇や国会、国連と小規模の行事もありましたが、東京ドーム、
蚕室総合運動場のように10万人を越える大きな場所でも講演をなされました。
講演会が最も多かった1993年(は)、153回もみ言を語られました。
世界のいかなる指導者も真似することのできない外的な驚きもありますが、
お母様の講演の中で感銘深く残っているのは、
お母様の生まれながらの声と美しさに多くの指導者たちが魅了されたことです。
また講演前の緊張感が感じられるほど精誠を尽くされるお母様のご苦労があります。
一年に150回余りの強行軍で、のどがかれ、
強い照明によって視力を損なわれても、
肉身の犠牲をものともされないお母様に謹んで頭が下がります。
☆
お父様が突然、お母様の日本四大都市巡回講演を決定なさったのですが、
講演まで1週間の余裕しかありませんでした。
そのとき、お父様はアラスカにいらっしゃいました。
これがお母様の世界巡回路程の出発でした。
東京、岐阜、福岡、札幌の四大都市の大きな体育館で開かれた講演会でしたが、
初めての講演なので、傍らで拝見するのが息詰まるほど
一生懸命に準備されていました。
1991年9月14日、お父様の熱い愛のお見送りを受けられて、
お母様は孝進様とご一緒にアラスカを出発して、日本に到着なさいました。
東京本部に到着なさって食口たちの歓迎を受けられながらも、
日本がお父様の入国を許可しなかったことを思われたのか、
お母様の心情はかなり錯雑とされていました。
食口たちの前で慈愛深い微笑でお父様の愛と共にみ言を下さるお母様!
寝室に入ってこられたお母様は、
寝台に腰掛けられて静かに祈祷されて人知れず泣かれたのです。
その姿を拝見したとき、責任を果たすことができず、
ご父母様の胸を痛くした親不孝のために心が砕かれるようでした。
しばらくしてお父様と電話で会話をされ、
明るく愛にあふれる美しい声で
「アボジ(お父さん)、
日本に無事に到着して食口たちにみ言を語って帰ってきました。
一緒に来たら良かったのですが…。
海に出られるとき、ちゃんと服を準備して着られるようにしてください。
アボジ、愛しています」
と言われて受話器を置かれるお母様。
☆
そのときはお母様の初の巡回講演なので、
誰も電話中継や画像中継を考えることができませんでした。
お父様は講演の時間だけを待って焦る気持ちが伺えるのです。
初めての巡回講演の際には、お母様が韓国語で講演なさって
朴普煕会長の通訳へと続きました。
いよいよ時間になってお母様が壇上に上がられると、
アラスカのお父様から神山会長(当時)の携帯電話に電話がかかってきたのです。
たぶんスピーカーの近くに受話器を当ててさしあげるようでした。
受話器は大型スピーカーの前に置かれました。
「お父様、お母様の声がよく聞こえますか?」とお聞きすると、
とても喜ばれてお母様の講演(そのときは一時間ほど)を
すべてお聞きになりました。
そのときからそのように電話中継は始まり、
今日(2003年当時)の画像中継にいたっています。
お母様は壇上から降りられながら、お父様が始めから終わりまで
電話を通じてすべてお聞きになったという内容に触れられて、とても喜ばれました。
講演が終わったあと、教会本部に戻ってこられ、
指導者たちから各自の感想をお聞きになったお母様は、
感じられたとおりに足りない点があれば鋭く指摘してくださり、
苦労した点については称賛と激励を惜しまれませんでした。
お母様の細やかさと深い愛を近くで感じると、
食口たちはより一層一生懸命にやらなければならない
という決心と覚悟をもつことができるのです。
やはりお母様は、お父様と一心一体であられることを感じます。
常に後ろにだけ静かにおられながら、
お父様に内助だけしてこられたお母様は、
5万人の聴衆を前にして途方もないみ言を宣布され、
その者たちを翻弄されるのです。
(2003年4月発行の著書より)
☆
お母様の涙の祈祷、
そして、お父様とお母様のやり取り。。。
お父様を日本にお迎えできなかったことが、
なんとも申し訳ないし、悔いが残るものであることは、
誰もが思うところなのではないでしょうか。
いつもお父様の陰に隠れるようにおられたお母様が、
今は、前面に立って歩まれています。
この頃から、その準備が始まっていたのだろうと、思わされるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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