2018年06月13日

「南北統一」の祈りが結実する時! 真の父母の訪北から26年、南下から68年!!



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皆様もご存知のように、昨日は、米朝首脳会談がありました。
世界中がシンガポールに注目しました。

26年前、真の父母様が北を訪問し、金正恩の祖父である
金日成と会談したことを思い出します。

また、68年前、南北の境界線でのお父様の祈り。。。
真の父母様のこれまでの精誠が
すべて結実しつつあるのを感じるのです。

過去ログから、お父様のみ言を二つ紹介したいと思います。



私は、38度線を越える時に
祈祷した言葉を忘れません。

「天の父よ! 私は韓国の地に行きます。
私は北韓に来てみ旨を成すことができずに
敗者のつらさをもったまま、
獄中の身を免れることができませんでした。
そして今、追われる群れの歩みに従って
南に行きます。

しかし、またこの地を
訪ねてこなければならないことを知っています。
たとえ私が、38度線の北側に行くことができなくても
私の思想を植えて後孫を行かせます。
彼らが行くことができなければ、
私に従う弟子を送って行かせます」
と、そのような決心をしてきたのです。

そして十年の歳月を一日のごとく、
今まで戦ってきたのです。
私が天の前に誓って出発した歩みは
皆さんとは違うのです。

両手で38度線の土をすくい、
「必ずこの手で共産党を消化し、
何年かのちには必ず戻ってくる」と決意しました。

「私のこの手で自由世界を収拾し、
糾合して、北韓を解放するぞ」
と祈祷したのが、昨日のことのようです。

38度線に両足でまたいで立ち、泣きながら
「南北を私の手で統一します」と誓いました。

目に涙をためて祈祷したことは、
一緒に来た人も知らないのです。

私が悲しみを残して、私のために精誠を尽くした
故郷にいる母と父と兄弟を後ろに残して来ながら、
「この親不孝者が再び帰ってくる日を
待っていてください、
死なずに待っていてください」
と念じ、北韓の地を離れてきたことを、
私は忘れないでいるのです。




文総裁でなければ、世界、南北韓の統一は
成し遂げることはできません。
南韓の国民も90パーセントはそれを認めています。

文総裁でなければ、
統一の門を開くことはできない
ということを知っているのです。
分かりますか?

以前、先生が金日成に会いに行こうとしたとき、
父母の墓前に行って姉と妹が痛哭しながら、
「お父さん、お母さんが願っていた
お兄さんが来ました」
「弟が来ました」という、
哀切な声を聞きました。
人であるならば涙を流さざるを得ない場面です。

しかし、わたしがそこに行ったのは、
息子としてそこに行ったのではありませんでした。

南北を統一することのできる偉業を中心として見るとき、
どれほど悲惨に死んだのか分からない
北韓の墓場に埋められている多くの息子、娘がいるのに、
自分の父母の墓前でかわいそうであるといって
涙を流すことはできないのです。

姉や妹がそれを見るとき、
わたしはこのように祈りました。

「父母様、申し訳ありません。
わたしは公人として来たので、
これはしかたがありません。

わたしが南北統一を成して、
天下全体万国がやってきてから、
お母さんの眠っておられる場に訪ねていき、
息子の責任、孝子の責任を一度、果たします。

万国の分裂した嘆息の国家が統一され、
神様をお迎えして
万民の祝福を祈ってあげることのできる
統一の王国を建設してから
お母さんに侍ることによって……」

先生は、生涯で親孝行を一度もできませんでした。
父と母にポソン(韓国式足袋)一足も
買ってあげられませんでした。

しかし、今まで統一教会の数多くの人々には
服も買ってあげ、家も買ってあげ、
さまざまなことをしてきたのです。
しかし、先生の一族には何もしませんでした。


(「三・十節」の御言より 1999年9月10日 
京畿道九里市水澤洞、中央修練院大講堂)



昨日、そのような時を迎え、
ちょうど、路傍伝道の日でしたが、
出発式の代表祈祷で、
上のお父様のみ言を思い出し、
嗚咽するような祈りになってしまいました。

南北が分断された時、
38度線をまたいで、涙を流して、
南北統一のために祈られたのは、
真のお父様しかおられなかったでしょう。

そして、奇跡的に北朝鮮を訪問した時、
愛する父母の墓を前にして、
公人として、南北統一を果たす前に、
涙を流すことができないと決意される方は、
真のお父様以外にはおられないに違いありません。

真の父母様の熱い思いが、
様々な壁を乗り越えて、
このような時に至っているのだと、
思わされてなりません。

かつてお父様は、
「南北統一は、世界統一より難しい」
そのように語られました。

与えられたみ旨を果たすことが、
南北統一に繋がることを信じて、
歩んでいきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 07:24 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
真の母の使命

忍耐し、陰で祈る。要求しないで祈る。
本当の母になることは難しいと自覚している人は一歩前進している。
お母様は完全無私である。お母様ほど孤独を味わった人はいない。
お母様ほど涙を流した人はいない。いつも微笑みを浮かべておられる。
天からの難しい要求の中で一点の不平不満もなく、愚痴もなく、感謝して神と共に乗り越えられた。
兄弟の中で泣く事が出来ず、子女の前でも泣く事が出来ず、神との間だけで泣いて来た。
お母様に近づくには、どんな難しい問題も不平不満を言わず、自分の腹の中で消化して、神に感謝して陰で涙を流す。自分の為でなく、神の為に涙を流して泣く。
祈りは「一日も早く完全復帰がなされます様に」と祈り涙を流す。
お母様に近づく努力をするなら、どんな事情圏も不平不満を言わない。
耐えて耐えていく。神を慰め、夫を慰め、子供を励まし、み旨の前に全てを捨てて行かなければならない。
孤独な時こそお母様の心情を通過する道。神様との心情因縁を持つ最高のチャンスである。
一人の女性というものは一人の男性、夫の為に道を揃えてその行くべき道を作っていくそういう人にならなければいけない。
涙を流したり、汗を流したり、あるいは人前で笑いを絶やさないように一生懸命努力することにより、その努力が肥料となって夫が良い実を結ぶようなそういう人になって行かなければならない。
いつもなごやかな平和な心を持っている事をこそが女性としてあるいは妻としてのあるべき姿である。
黙々と一生懸命妻として母としての役割を果たしていくそういう人になりなさい。
自分に触れる環境圏が広くなり環境圏が広くなればなる程自分の心も広くなる。
そうして色々なものを包み補い、助け見守り抱いてあげることができると信じて、それを実際乗り越え勝利していくことが神の子女として願われている本来の姿である。
自分自身が努力して沢山積み重ねていったその努力功績が全ての先祖達を赦し、その行く道を作ってあげる。その土台となってゆくものである。
だから人間というものは、いつもいつも自分自身をよく見つめ、深くとらえ反省して歴史的に先祖が反省して来たものを引き継いで完成させていく。
そういう役割を満たしていけるように自分で絶えず天の願われる自分自身の姿を目指して進んでいく者とならなければならない。
そのようにしていつもしっかりと自分を見つめつつ前進することが大切である。
その道は自分を磨いていくしかない。一生懸命自分自身を見つめながら、やがて先祖達が築こうとしてきた最高の位置にたどり着いて、今度はその位置を超えてそれ以上の位置に立ってゆくようにならなければならない。
これがお母様からのメッセージです。

興進様より
Posted by 興進様より at 2018年06月14日 08:22
お母様の愛

あなたはお母様が共にいることを忘れたのですか。
お母様はここにいるのですよ。
お母様は打たれて打ち返してきたと思いますか。
キリストは十字架上で自分の胸をやりで刺し殺すものに対しても許すといったではないですか。
そして三度も裏切っていったペテロに対しても、それでもこの私を愛するかといって尋ねて行かれたのでしたね。
その愛の基準こそ世界を一つにし皆を一つに導くのです。
罪なきキリストが、真のお父様が、打たれて打ち返したと思いますか。
真のお父様は何も悪いことをしていません。なのに打たれて来ました。
私もそうでしたよ。何も間違ったことをしていないのに周りから色々言われ覚えのないことまで言われて来ました。
しかし私は一度も言い返したり打ち返したりはしませんでした。
あなたはお母様が皆から慕われ愛される事を知っていますよね。
何故お母様がそのように慕われるようになったかといえば、
神様が、キリストが、許してくださったように私もひたすら許して愛して来ました。
私はどんな時にも原理のみ言をもって正したりということはしませんでした。
私は許して愛して来ました。ただそれだけでした。
原理のみ言の背後には許しと愛と救いの心情があるのです。
女性はそれを伝える使命があるのです。
原理のみ言をもって正すよりお母様は許して愛して来ました。
あなたは打たれて打ち返してそれで幸せになりますか。それでどうなるのですか。もしあなたがそうするならば、それはお母様のやり方ではありませんね。
あなたはお母様の様にならなければなりません。その為にはあなたはお母様がそうしたように許し愛するのです。分かりましたね。
お母様は何も打たれる事はしませんでした。けれども打たれて来たのです。
あなたは罪があり打たれる事をして打たれたのですから、それで打ち返すならばとうてい信仰の道を行っている人には見えません。
打たれて当然の事をしていて打たれて全てを受け入れるべきです。
例えあなたが正しいとしても打ち返してはいけません。
何故ならそれはお母様の様にならなければなりません。それが神様の願いなのですから。だから女性は原理のみ言で相手を正したりするのではなく、まず、お母様がしたように相手を許し愛するのです。
お母様の勝利の秘訣はこれだけでした。それ以外にはありません。
女性はお母様がそうであるように許しと愛を与える人となって欲しいのです。
わかりましたね。お母様の様になってください。お祈りしています。

興進様より。
Posted by 興進様より at 2018年06月19日 21:45
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