2018年09月05日

霊界を見てきた人たち  ── 臨死体験者の実話より2 《浅川先生》



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浅川先生の『幸・不幸と霊界の仕組み』
「臨死体験の実例」後半です。


(このあと)不思議な体験を、死者たちはしているのです。

明らかに人間ではない、けれども人間のような、
しかも体全体からは光がこうこうと輝いている、
まるで慈悲と慈愛の固まりのようなもの、
これを「光」と言う人もいれば、「光の塊」と言う人もいますが、
いずれにせよ、光が近づいてくるのです。

この光は明らかに生命体であり、
人格をもっていますが、どうやら人間ではないようです。

しかし人間のようでもあり、全体から愛があふれています。
そういう光が次第に本人に近づいてくるのを知覚しています。

そして、この光が共通に二つの質問をするそうです。

一つは、
「あなたは死に先立って、心の準備ができていますか」

もう一つは、
「あなたは自分の人生を振り返って、満足のいくことをしましたか、
あるいは私に見せられることをしましたか」
と問いかけるそうです。


そして自分の人生を振り返る時間をもつそうですが、
そのときに、自分の目の前に、自分が生まれたときから
息を引き取るまでの人生の歩みがそこに再現されるというのです。

これを「フラッシュ・バック」とも言いますが、
それはカラーで映画のように場面は動き、
あるいは立体的であるといいます。

間違いなく、それは自分の人生なのであり、
そこに登場してくる人物は、自分そのものであるといいます。


ある人は、このように言っています。

遠い昔の二歳ごろ、海で遊んでいると、お父さんが自分の目の前を行って、
いつも手招きをしてくれた、温かいお父さんの後ろ姿、
それが今再びよみがえる光景です。

また、五歳になって、クリスマスにお父さん、
お母さんが買ってくれた赤いワゴン、それを自分で壊してしまって、
泣いている姿を、そこに見せられました。

そしてまた、初めて小学校に行くときに、
お母さんからとても派手な黄色い服を買ってもらったけれども、
それが恥ずかしくて泣きながら小学校に行っていた姿、
それが目の前によみがえってきたそうです。


これらを回顧しながら、もう一度人生を振り返る時間をもつそうです。

また、ある人は、そこに自分の人生がすべて、
細かいことから大きなことまでよみがえってくるので、
自分の一生は恥ずかしい、
もしもう一度生まれ変わることができたなら、
それをすべて償いたい、としみじみ思ったそうです。

さらにフラッシュバックといわれる心理現象は、
自分の姿だけではなく、自分の語った言葉で、
友達や両親の心がどんなに傷を受けたのか、
その言葉がどんなに相手の人生を狂わせてしまったのか、
相手の受け止め方、相手の感じ方まで分かるそうです。

そのような人生を見ながら、
ふと自分の人生を振り返る時間をもつそうです。


さて、この後どうなるのでしょうか。
実は、霊界に行くか行かないか、それがこの次にかかっているのです。

ある人は「灰色の霧の壁」と呼び、ある人は「大きな川」と呼びます。
ある人は果てしない大草原の中に、
「うっすらとした柵」がどこまでも続いていると言います。

いずれにしても、ボーダーラインというものが、そこに出てくるのです。


ある人は、船に乗ると、大きな川があったそうです。
その船に乗って向こう岸に向かって、ゆらりゆらりと行きます。

やがて向こう岸が近づいてくると、
亡くなったお父さん、お母さん、お姉さんが岸に立って、
自分を手招きして呼んでいる姿を見たと言っています。

しかし自分は、「駄目だ、駄目だ、今そこに行ってしまっては駄目なのだ」
と必死に叫んでいるうちに、向こう岸に着く瞬間に、
船は方向を変えて、再び元の岸に戻り始めたそうです。
そして、その人はよみがえったのです。


ある人は、大草原の遠くに続くはるかなる柵の近くまで行きましたが、
柵の向こうにはたくさんの男の人たちが
自分を待っているように見受けられたともいいます。

しかし、自分はもう一度やらなくてはならないことがある、
やり残したことがある、そういう思いに駆られたとき、
その柵を越えなかったそうです。

どうやら、この柵、「向こう岸」と言われているものが、
霊界に完全に入るか入らないかの境界線のように思われます。

この柵を乗り越えず、向こう岸に渡らず、
何らかの形で再びこの世に戻ってきた人たちが、
臨死体験者ということになるのです。


これはおそらく事実です。
病室で亡くなる人もおり、家で亡くなる人もいるでしょう。

しかし、その方は死んだのではありません、
いなくなったのではありません。
今その場に霊となって存在しているのです。

そして、病室に来た皆さんの声を聞き、心を見ています。
だから、決して故人の悪口を言ってはいけません。
また、故人に対して悪い思いを抱いてはいけないのです。

死んだ直後の人たちは本当に複雑で、
どうしていいのか分からず混乱した心をもっています。
そんなときに、皆さんが悪口を言えば、心を傷つけることになり、
悪い心でもって、深い心の傷になる可能性があります。

ですからそのときは、本当に故人をしのび、
良い言葉、良い思いをもって、
その方を見送ってあげなければならないのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第一章 霊界を知らなければならない理由



私は教会に来る前は、死後の世界、
霊界のことを全く信じていませんでした。
親からも教えられないし、
学校でもそういう勉強をするわけではないし。
普通の環境に育った人たちは、
基本的に、霊界はないと思っているのではないでしょうか。

しかし、み言を通して、
神様がおられるということ、
霊界が存在することをはっきりと知るようになり、
人生観が大きく変わりました。

永遠の世界、霊界が存在するとするなら、
今の地上生活が大きく関わっている、
良心に従って生きなければならないということを
全ての人たちが知ったならば、
もっと違う世界になるに違いありません。

私たち食口だけではなく、
全ての人たちに知ってほしいし、
私たちも伝えなければならない、
そのように思うのです。





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posted by ten1ko2 at 07:31 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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