2019年01月12日

言葉は必要ない?! 天国では外国人とも会話できる 《浅川先生霊界シリーズ》



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浅川先生の霊界シリーズ。
今回は、「天国の日常会話」です。


日本人の多くは、日本語で会話をし、
アメリカ人は、主に英語で会話します。
言葉は、地上生活では本当に必要なものであり、
言葉がなければ心が通じません。

では天国での会話はどのようになっているのでしょうか。

実を言うと、天国では言葉は必要ありません。
言葉がなくても心が通じ合える世界が天国なのです。


言葉は人間の心を完全に表現することは、できないのです。

自分のもっている複雑な心、自分の抱いている感情、
それがどうして言葉で正確に表現することができるでしょうか。
言葉にするとうそになる、言葉にしたために誤解される、
言葉の表現力が乏しくてすれ違いが生ずる、というのはよくある話です。

言葉では、心を一〇〇パーセント表現することはできません。
ですから、愛の世界である天国では、言葉は必要ないのです。

言葉が必要でないならば、どのようにして人間関係が
成り立っているのかというと、相手の心を見て会話する世界なのです。
相手の心が見えるのです。

それは具体的に、どういうことでしょうか。


ある人が朝食であなたは何を食べたのかと聞いても、
多分言葉だけでは正確には分からないでしょう。
トーストだ、目玉焼きだと言っても、そのイメージは
具体的にわかないと思います。

ところが天国では違います。
その人の朝食をイメージしてみればいいのです。
そこに朝食べた物を見ることができるのです。

ましてや、夕食は何を食べたいと思っているかと聞いても、
言葉だけでは正確に分かりません。

その人の夕食をイメージすれば、
夕食に食べたい物が映像として表れてくるのです。
ですからその人を見てイメージすれば、朝食で食べた物、
夕食で食べたい物を見ることができるのです。

天国では口で話し合うのではなくて、
相手の心を見る世界、それで確認する世界です。
これが天国の会話です。


ところで夫婦の間では、ちょっとした言葉のすれ違いや、
思惑の違いでけんかになる要素はいつもあります。

例えば、あるご主人が朝会社に出かけるときに、
「夕飯は魚が食べたいな」と言って玄関を出ていったとします。

魚を食べたいと言っただけで、どんな魚かは言いませんでした。
奥さんは自分で考えるしかありません。
それでサバの煮付けを一生懸命に作って夕飯に備えましたが、
ご主人が帰ってきて、「おれはサバが食べたかったのではなくて、
サンマの焼いた物が食べたかった」と言ったらどうでしょうか。

これではお互いの心が通じ合っていません。
言葉だけでは十分に伝えきれないのです。
ですから、言葉だけでは完全な愛は成立しないのです。

それで相手の心を見て読み取ることのできる、世界が
天国ということになるのです。


浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第二章 天国とは



天国では心を見れば通じるといいます。
そういうことを考えた時、
本当に私の心を正さないといけないな、
心が綺麗な人が天国に入れるな、
そう思わざるを得ません。

汚い心を持っていたら、
当然、天国には入れないですね。
というか、たとえ入れたとしても、
自分の醜い心が見られてしまうので、
自分から退出せざるを得ないのではないでしょうか。

本当に素直な心、正直な心、
純粋な心を持つ私となれるように、
そのためにも、日々、愛する実践、
神氏族メシヤ活動をしていきたいです。





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posted by ten1ko2 at 09:14 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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