朴普煕(パク ポウヒ)先生は、
どのようにしてお父様に出会われたのでしょうか。
そして、そのあと取られた行動とは。。。
☆
真のお父様との出会い
真のお父様との出会い
(翌日、)陸軍少佐の私は、部下に
「金永雲(キム ヨンウン)先生の教会がどこなのか調べなさい」と命令しました。
それが「統一教会」だということと、
教会は青坡洞(チョンパドン)にあるということが分かりました。
そして水曜日、軍服を着た私は青坡洞に1人で現れたのです。
しかし道がよく分からないし、看板もありません。
それで近くの店の人に、「統一教会はどこか分かりますか」と聞いたら、
「ああ、統一教会ですか」と、
じろりじろりと見ながら教えてくれました。
「向こうを回って角を曲がったら小さな入り口があります。
そこを行って、右に曲がったら小さな門がありますから、
その門を押して入りなさい」と言うのです。
昔は入り口がなく、看板もありませんでした。
そのとおりに行ってみると、旧本部教会がありました。
☆
その夜、初めて統一教会の礼拝に参加しました。
2月で大変寒く、ストーブはあっても火はついていません。
5、60人の若者たちが、ひざまずいて座って、聖歌を歌っていました。
若者の聖歌の歌声は心霊に深い感動を与えてくれました。
私は一番前に座って、説教を聞いたのです。
説教が終わると、私のそばに座っていて質素な軍人の
ジャンパーを着ていた方が立ち上がって、み言葉を語り始めました。
「この若いお方はだれだろうか。眼光が鋭く、
あまりにも威厳がある」と思いました。
その時、礼拝堂の後ろのいすに座っておられた
劉孝元先生が教会の責任者だと、私は思っていました。
☆
礼拝が終わると、金永雲先生は笑顔で握手をしてくれました。
そして「どうやって来たのですか」と言うのです。
それで「案内がなくても、私は情報将校だから、
そのぐらいのことはすぐ分かります。
『また来てください』と言ってくださるのが待てなくて、
自分で探してやってきました」と私は答えました。
すると金永雲先生は「あなたは特別です。先生にご紹介しましょう」
と言って、私をお父様の所へ連れていってくれました。
そこでごあいさつをした方がお父様で、
先ほど私の前でみ言葉を語られた質素な方だったのです。
お父様は力強い握手で、「あなたの話は金永雲先生からよく聞いていました。
部屋に入りましょう」とおっしゃいました。
それが、私とお父様との出会いです。
☆
その日からできるだけ、私は教会に時間を費やしました。
昼は軍人として勤務し、夜は毎晩教会に行って、お父様のみ言葉を聞きました。
朝も早く教会に行って、5時のお祈りをして、教会の掃除をしました。
というのは、私は肩には将校の階級章がついていましたが、
統一教会から見たら二等兵だったからです。
私は毎朝、教会の便所掃除をしました。
それから礼拝堂を掃いて水拭きしました。
外に出たら将校、中に入ったら二等兵という気持ちで、
教会の掃除をするのが、当時の楽しみでした。
「めざそう!天国家庭」より
☆
「将校」という身分は、とても立派なのに、
教会では、「二等兵」だと自ら自覚されて、
トイレ掃除から出発された朴普煕先生。それも喜んで。
これはなかなかできることではないですね。。。
朴先生は、み言に出会う前から、
しっかりとした人格の方だったでしょう。
このような方のことを「義人」
と呼ぶのではないか、と思います。
その後、アメリカ大使館で武官として派遣され、
10年間、英語を完璧にマスターしたのちに、
お父様の通訳として活躍され、
「メシヤの口」というニックネームがつきました。
フレーザー委員会の時にも証言にたった朴先生。
「真実」というタイトルのビデオも懐かしいですね。
お父様の摂理を進めていくにおいて、
大きな役割を果たされた朴先生。
霊界でのご活躍を心から祈念するとともに
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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文鮮明先生がどれほど苦労されたか。そしてそれを支えた弟子達がどれほど素晴らしかったか。
玄界灘に建設されたトンネルを利用し、数多くの後孫達が訪ねて来て泣きながら追慕する日は遠くないでしょう。