李ヨハネ(イ ヨハン)先生の説教の続き
「苦痛をどのように扱うかが問題」です。
☆
ところで、私たちはどこで失敗しますか。
苦労の中で失敗してきたのです。
三つの十字架を一つと見ましょう。
苦労しながらある人は恨んで不平を言い、ある人は感謝します。
「私が苦労するのは当たり前です。
神様はどれほど苦労されましたか」
このように慰める人は救いを受けます。
苦労と苦痛を通して、救いを得るか死に至るかが決定されます。
これは貴重なみ言です。
☆
この世界の中で一番惨めな国は韓国です。
38度線が敷かれ、苦痛を受けていることを皆惨めだと思います。
ところでこれを訴えるところがどこにありますか。
何も言えず苦痛を受けているだけです。
この惨めな国の背後にだれがいらっしゃいますか。
惨めな人の背後にだれがいらっしゃいますか。
神がいらっしゃるのです。
☆
ところが私たちは、惨めなこと悲しいことをどのように扱いますか。
皆どのようにしたら避けられるか、
病気になってもどのようにしたら治るか、
こういう考えが先立つのです。
これを通して私は神に出会わなければならない、
というのが本当の信仰というものです。
「私はこの困難を通して、天のお父様が分かるようにならなければならない。
感謝だ。
これだけが神を知る道である。
これだけが天に行く道である。
狭い道だ。
険しい道だ。
茨の道だ」と言いましたか。
☆
今は、神の悲しみを抱いて神の子女になる時代に来たのに、
だれが神の悲しみを分かってくれますか。
皆自分の事情を持ち、自分なりに自分の計画、
自分の目的に縛られているのです。
このような世の中で今日、統一教会に入ってきた食口は皆、
天のお父様の気の毒な事情を知り、
寝ても覚めてもお父様を心配する子女にならなければなりません。
他界した殉教者たちが私たちを通して恨みを解こうとする、
そういう徹底した心を持たなければなりません。
「ライオンの洞窟に入れ」と言われても
天のお父様の命令だと思う徹底した心を持った人が歴代の人物だったのです。
「命令だから入ります」とさえ言えば、神がすべてされたのです。
私たちが決意さえすれば神が全部なされたのです。
☆
皆さんも決意だけしなさいというのです。
苦労がきても「はい、お父様が送ってくださったのですから感謝して受けます。
あなたがどれほど悲しくて、
この悲しみを通してご自身を知らせようとなさるのですか」
というように考えてみなさいというのです。
そうすると神は「そうだ、あなたはやはり私の子女である。
死ぬな」と言われるでしょう。
☆
アブラハムも決意だけしたのであって、イサクを殺したでしょうか。
刀をもって殺そうと決意はしましたが、実際に殺しましたか。
そのような決意を何日間しましたか。
四日だけ決意すればいいのです、四日だけ。
しかし、これは大変です。
「本当に殺すのか」
「殺します」
「それでは刀を準備して行ってみなさい」
「はい、行きます」それで本当に殺そうとするとき、
「アブラハムよ、アブラハムよ」と呼んで、
殺さないようにしたのです。
☆
本当に決意したことに間違いがなければ神が介入されます。
このようなことを見たら、私たちは決意だけすればいいのだ、
そうすれば力を与えてくださるのだ、
神の力があるのだということを知らなければなりません。
私たちにしなさい、というのではありません。
ですから「はい、私がやります」と言ってやる人は、
このことを少しも知らないで言うのです。
知らない者は本当に「命をささげます」と言いますが、
神がそんな命など必要だと思いますか。
どれほど価値のある命ですか。
鶏一羽にもならないようなものを、だれが持っていきますか。
死んだらお葬式をしなければなりませんから、
むしろ生きていてじっとしているほうがましです。
そうじゃないですか。(笑い)
☆
ところが私たちは、神がすることを私がすると言い、
私がすべきことを神にしてくださいとすり替えてしまうことがよくあります。
よく錯覚をします。
決意もせずに自分がやろうとして焦ることが多いのです。
1977年7月10日(日)韓国・中央修練所
説教、中央修練所教会、創立礼拝
「神の苦痛」より
説教、中央修練所教会、創立礼拝
「神の苦痛」より
☆
『死生決断・実践躬行』というみ言を思い出しました。
私の人生は、今日一日しかない、
そう思ってみ旨を歩むとするならば、
何でもできる、というのです。
神様もイサクの命が欲しかったのではなく、
アブラハムの信仰が欲しかったのでした。
そういう世界を持って、
み旨に投入していかなければ、
とヨハネ先生に𠮟咤激励された感じです。
心から感謝いたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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苦労は神様との出逢いのチャンスなのでしょうが、やはり避けたいところです。
でもうまく乗り越えないと、成長も出来ない。頭でわかっていても、心で納得することの難しさを感じます。
おっしゃる通り、
「私の人生は、今日一日しかない、」と理解すれば、苦労も何とか乗り越えられそうです。
「この世界の中で一番惨めな国は韓国です。
38度線が敷かれ、苦痛を受けていることを皆惨めだと思います。」
韓国は経済的にも、先進国になりました。現在では戦争(休戦中だが)もありません。
一番惨めではありません。
もっと惨めな国は、中近東やアフリカ大陸にあります。